組織論に「パワー」という概念がある。この場合の「パワー」とは、個人ないし集団が相互に行使するあらゆる種類の影響を意味する。 Max Weber は、「パワーとは行為者が社会関係の中で抵抗を排除してでも、それが依拠する基盤が何であれ、自己の意思を貫徹する立場にある可能性である。」と定義している。 Blau は、このWeber の定義を拡張して「パワーとは、定期的に与える報酬を差し止める形態をとろうと、罰の形態をとうろと、脅かすことで抵抗を排除してでも、人々あるいは集団がその意思を他者に強いる能力である。」としている。
「パワー」を一種の心理的力として、個人間の相互作用におけるその潜在性の側面を強調する立場もある。French=Raven は「パワーとは与えられたシステム内で集団ないし他人に影響を与える潜在的な能力である。」と定義する。
「パワー」の定義は多様であるがこれらの定義に一致していることは、パワー現象は二人あるいはそれ以上の人々の相互作用という複数の状況のみに生起することであり、社会的行為者間の関係においてのみ意味のある概念であるとしていることである。
上記のFrench=Raven は、潜在力としての「パワー」を“報償的パワー”、“強制的パワー”、“正当的パワー”、“同一的パワー”、“専門的パワー”の5類型に細分化した。この「パワーの5類型」は学説としては認められていないようだが、興味深い考え方であるのでここで紹介しよう。
例えば、この「パワーの5類型」を教師の生徒に対する教育指導に当てはめてみると、“報償的パワー”とは生徒に対する正の評価の付与、“強制的パワー”とは同じく負の評価、処罰の付与、“正当的パワー”とは教師の地位、権限の行使による指導、“同一的パワー”とは教師の人格による生徒との信頼関係の確立、“専門的パワー”とは生徒への学術指導等専門的情報の提供、以上のように操作化できると思われる。
これらのうち、いかなる「パワー」がいかに行使されるかは組織目標達成に決定的影響を与える。しかしながら、最適な「パワー」の分布と行使は組織環境や組織構造の影響を受ける。すなわち、上記の教師の例の場合、教師の行使する「パワー」は結果的に所属する学校の校風創出に影響を与えるであろうし、逆にその学校の教育理念は教師が行使するべき「パワー」を決定するであろう。
教師の資質としての理想型は、これら五つの「パワー」をバランスよく備え、条件適合的にそれらの「パワー」を行使し得ることであろう。しかし、そのような理想型の人材は存在し得るすべはなく、ひとりひとりがいずれかの「パワー」を偏在させているのが現実であろう。そこで、組織はそれら偏った人材をバランスよく確保することにより組織全体の均衡を保ち、組織目標達成を可能とするのであろう。学校現場における多様な人材の確保は、多様な個性をもつ生徒への対応という点でも有効である。ただ、組織が確固たる理念や風土を既に創り上げている場合においては、組織成員個々人のもつ資質や信条との間に齟齬が生じ、両者の間にコンフリクトが発生し、組織からの逸脱を企てる成員も生じるであろう。
以上、原左都子自身の教員経験も交えつつ私論を展開したエッセイである。
さて、皆さんはいかなる「パワー」をお持ちでしょうか? あなたがお持ちのその「パワー」が周囲に影響を及ぼし、世界をも動かしているのかもしれませんね。
参考文献 : 野中郁次郎他著「組織現象の理論と測定」1989年
「パワー」を一種の心理的力として、個人間の相互作用におけるその潜在性の側面を強調する立場もある。French=Raven は「パワーとは与えられたシステム内で集団ないし他人に影響を与える潜在的な能力である。」と定義する。
「パワー」の定義は多様であるがこれらの定義に一致していることは、パワー現象は二人あるいはそれ以上の人々の相互作用という複数の状況のみに生起することであり、社会的行為者間の関係においてのみ意味のある概念であるとしていることである。
上記のFrench=Raven は、潜在力としての「パワー」を“報償的パワー”、“強制的パワー”、“正当的パワー”、“同一的パワー”、“専門的パワー”の5類型に細分化した。この「パワーの5類型」は学説としては認められていないようだが、興味深い考え方であるのでここで紹介しよう。
例えば、この「パワーの5類型」を教師の生徒に対する教育指導に当てはめてみると、“報償的パワー”とは生徒に対する正の評価の付与、“強制的パワー”とは同じく負の評価、処罰の付与、“正当的パワー”とは教師の地位、権限の行使による指導、“同一的パワー”とは教師の人格による生徒との信頼関係の確立、“専門的パワー”とは生徒への学術指導等専門的情報の提供、以上のように操作化できると思われる。
これらのうち、いかなる「パワー」がいかに行使されるかは組織目標達成に決定的影響を与える。しかしながら、最適な「パワー」の分布と行使は組織環境や組織構造の影響を受ける。すなわち、上記の教師の例の場合、教師の行使する「パワー」は結果的に所属する学校の校風創出に影響を与えるであろうし、逆にその学校の教育理念は教師が行使するべき「パワー」を決定するであろう。
教師の資質としての理想型は、これら五つの「パワー」をバランスよく備え、条件適合的にそれらの「パワー」を行使し得ることであろう。しかし、そのような理想型の人材は存在し得るすべはなく、ひとりひとりがいずれかの「パワー」を偏在させているのが現実であろう。そこで、組織はそれら偏った人材をバランスよく確保することにより組織全体の均衡を保ち、組織目標達成を可能とするのであろう。学校現場における多様な人材の確保は、多様な個性をもつ生徒への対応という点でも有効である。ただ、組織が確固たる理念や風土を既に創り上げている場合においては、組織成員個々人のもつ資質や信条との間に齟齬が生じ、両者の間にコンフリクトが発生し、組織からの逸脱を企てる成員も生じるであろう。
以上、原左都子自身の教員経験も交えつつ私論を展開したエッセイである。
さて、皆さんはいかなる「パワー」をお持ちでしょうか? あなたがお持ちのその「パワー」が周囲に影響を及ぼし、世界をも動かしているのかもしれませんね。
参考文献 : 野中郁次郎他著「組織現象の理論と測定」1989年
教員の指導力をパワー概念に当てはめたのはユニークですね。
これからの学校はこういう理論を取り入れていくといいですね。
実はこの説は、私が教員時代に既に考察していた説です。学校現場という所はこういう学説とは無縁の世界であることを残念に思いつつ、当時私は教員として勤務しておりました。 今なお、学校(教育行政)は前進後進の激しい世界ですのでまだまだ遠い話だとは思いますが、今後は学問的バックグラウンドも取り入れつつ、子ども達の明るい未来のために少しずつでも前進してくれることを私も願っております。
実は、事情により少しの間ブログの執筆を休んだのですが、このブランクが功を奏したのか、自分でも頭がリセットされたような気がしているのです。何だか素直になれて、自分が書きたい記事を書きたい気持ちが強くなったように自分でも思います。
今後はどうなるかわかりませんが、今はこの気持ちを大切にしたいと思っております。
また、是非お立ち寄り下さいね!
どうなのでしょうか…
そのような立派な資質は持ち合わせていないような…
でも自分の子供に対してはそのようなパワーでもって
制しているように思います
私は強制的パワーはあまり強くない人間ですね…
どちらかというとそれを嫌うような部分が…
これを読む限りでは<正当性パワー>と<同一的パワー>
で接しております…とはいえ
私の生徒は…私自身の子供2人のみですが(笑)
私は教員時代にはパワーのバランスを意識していましたが、自分の子どもにはどうしても生身の人間として接してしまう愚かな親です…。やはり、潜在的パワーも公私の場面により顕在化のされ方が異なってくるようです。
また、是非お越し下さいね!
ごめんなさい、すたーびっつさん。