原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

なぜ悪い事をすると罰せられるの?

2007年11月20日 | 左都子の市民講座
 「なぜ悪い事をすると罰せられるの?」

 この答えはとりあえず簡単!
 「法律で決まっているから」です。

 しかし、本当はこの問題はとても難しい。
  ○「罰する」ってどういうことなの?
  ○罰を与える人は何の権利があってそういう事をするの?
  ○そもそも「悪い事」って何なの?
       など、いろいろな問題を含んでいる。

 そこで、とりあえず法律は正しいものであるとして、それに従うことを前提に考える。
 そうすると、法律で決まっているから悪い事をすると処罰されることになる。

 逆に言うと、法律で決まっていないものは処罰しない。
           これを、 罪刑法定主義 という。

 しかしそうすると、“悪法も法なり”という問題も生じる。


 さて、各論に入ろう。

 ○「罰する」ってどういうことなの?

   1.悪い事をしたことに対する応報という考え方
      犯罪者に責任を取らせ、償いをさせるために罰するという考え方
      悪い事をした人はそれに見合う不利益を受けるのが当然だとする考え方
      この考えに従うと、 自分の犯した罪の重さ = 処罰の重さ
      の数式が成り立ち、
      例えば、殺人犯は死刑になるのが当然ということになる。

      しかし、そもそも「償い」とは個人の心の問題である。
      刑罰として国家が科するのは出すぎた態度ではないの?
             という問題も生じる。

   2.犯罪の防止という考え方
      悪い事をしないように罰するという考え方
      要するに、悪い事をした人を教育する意味で罰するという考え方
            = 教育刑論
      そして、他の人々に対しては、ああいう悪い事をすると罰せられるの
      だと威嚇することにより、法律を遵守させる目的もあるという考え方

      しかし、懲らしめや見せしめにより人間を犯罪から遠ざけるなんて、
      人をバカにしてない?
      そもそも、国家に個人の人格にまで介入する権利があるの?

 問題を抱えてはいるが、刑罰とは「応報」「防止」の両面から説明するしかない。
 すなわち、刑罰とは“過去の行為の清算”であり、“将来に向けた防犯”である。


 ○罰を与える人は何の権利があってそういう事をするの? 

   刑罰とは国家による個人への介入である。
   国家が個人を罰することができる根拠
    ①犯罪者の他人の利益の侵害を防止するため
    ②倫理秩序維持のため
    ③犯罪者自身の利益のため

   しかし、国家が個人の真の利益を判断できるのか?
   我々はなぜ、個人を処罰するというような大きな力を国家に与えて
   いるのか?        という問題は残る。
    例: 死刑存廃問題
     死刑を存続するか廃止するかは大いに議論の余地のある問題である。


 ○そもそも「悪い事」って何なの?
       につきましては、別講座にて解説します。お楽しみに!

   
        
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