原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

楽しいお金の使い方

2013年12月18日 | お金
 義母の財産税務管理担当を任されている私は、昨日義母が口座を開設している金融機関へ預金を引出しに出かけた。
 
 皆さんもご存知の通り、現在のATM引き出し最高限度額は1日につき50万円である。 そのため、その額を超過する引出しを実行したい場合は口座開設者本人が印鑑を持って窓口まで出向き、本人確認の上に引き出すしか方策がない。 ところがあいにく義母には現在その体力がない。
 今回予定していた引き出し額はATM最高限度額を超過する額だったため、預金者本人ではない私は幾日もかけてATMへ出向き、ちまちまと目標額を引き出す予定を立てていた。

 ところが、昨日銀行係員氏に確認して初めて判明した事実がある!
 それは、一預金者の1日引き出し限度額とは、“キャッシュカード1枚毎”に50万円と定められているとの事実だ。(早く言ってよ~~)  我が義母の場合当該金融機関に複数の口座を開設していたため、それぞれの複数キャッシュカード使用によりATMにて予定額の引き出しが1日で叶ったのだ。 

 私自身子ども時代から貯蓄の趣味があるため(あくまでもチマチマ貯蓄タイプの貧乏人範疇だが…)、昔から金融機関へ出向く機会は多い。
 金融機関の顧客対応システムも時代と共に変遷せねばならない事は理解可能だが、もう少しあらゆる顧客に分かり易いシステム作りやその広報を実施してもらえないものだろうか?? 
 というのも、上記事例のごとく“キャッシュカード1枚毎”に1日50万円の引き出しが可能とのシステムを昨日初めて知った私だ。 それをもっと早く承知していたならば、目標額を引き出すために幾日にも渡って金融機関を訪れるとの無駄が省けたのに…。
 (もちろん、窓口届出によりATMにてキャッシュカード1枚1回に付き200万円まで引出す事が可能となるのは承知しているが、そのためには体が弱っている義母を一度窓口まで伴わねばならないし…)


 前置きが長過ぎたが、今回のテーマは表題に掲げたごとく「楽しいお金の使い方」である。

 このエッセイを綴るきっかけをもらったのは、本エッセイ集で毎度おなじみの朝日新聞相談コーナー 12月14日版「悩みのるつぼ」 を一見した事による。
 ただし今回の場合、その引用は表題のみに限られそうだ。
 
 と言うのも原左都子の場合、「お金」とは楽しく“貯める”対象物であり、決して楽しく“使う”ものではないとの感覚が、子ども時代より強靭だからである。

 その一例として、私は当エッセイ集 “お金”カテゴリー2008年2月バックナンバーにて、「正しいお金の貯め方」と題する記事を綴っている。
 以下に要約して紹介しよう。
 私は住宅ローンの早返しが得意技のひとつであることは、バックナンバーで既に述べた。(“お金”カテゴリー「住宅ローンの早返し」をご参照下さい。)
 現在までに4件の不動産物件を購入し(そのうち2件は買換え)、すべて短期間でローンを完済してきている。 早期にローン返済するための第一条件は言わずと知れているが、返済できる資金が手元にあることである。 では、資金を手元に保有するためにはどうすればよいか。 その答えは簡単、お金を貯めればよいのだ。
 近頃、主婦向けのマネー関連の雑誌が数多く刊行されているようだ。私はその種の雑誌を購入したことも、しようと思ったこともないのだが、新聞の下の方の広告欄で垣間見るとその内容には涙ぐましいものがある。一日の食費を1000円で抑えるだとか、年収300万円でも月10万円は貯蓄しようだとか…。 そんなに血眼にならないとお金って貯められないものかなあ、私に相談してくれたら普通に生活しながらお金が貯まる方法を伝授するのに…、といつも不思議に思ってしまうのである。 
 私は物心がついた頃からお金を貯めていた。 昔、学校の長期休暇前に「肝油ドロップ」を購入する習慣があったのだが、そのドロップ缶に小遣いの残りの小銭を貯め込んでいた。 そのドロップ缶貯金が増えることがうれしかった感覚の記憶は今でも私の脳裏にある。 中学生になると月額で小遣をもらえるため、ドロップ缶の中身は小銭に加えて札も目立つようになっていた。 そして高校生になると私の貯金は万札に形が変わり、それが何枚にもなった頃、私は自主的に近くの郵便局へ行って郵便貯金通帳を作り、今度はこの通帳が私の貯金箱となった。(参考のため、当時は未成年者でも単独で通帳が作れる時代背景だった。) 高校卒業時点でその残高は私の記憶によると数十万円を超えていた。受験生だったためアルバイトをしていた訳ではない。あくまでも小遣やお年玉や祝金等をちまちま貯めた結果である。
 大人になって一人暮らしを始めてからは、几帳面に家計簿をつけるようになった。もちろん自主的に。 そして金融商品の金利に興味を持ち、郵便貯金一本からだんだん通帳を増やしていった。その残高がどんどん増えるのが快感なのである。 私は外見や行動が派手なため一見ちゃらんぽらんな浪費家人間に見えたようだ。 私がお金を貯め込んでいることは知る人ぞ知る程だった。周囲のほとんどの人達はまさか私が預金通帳の残高を見ながらほくそ笑んでいるとは想像だにしなかったであろう。 当時は高金利時代だった。預貯金の年利が8%という時期もあり、郵便局の定額預金など10年間で元利合計が元金の2倍以上になる美味しい時代もあった。 私は新聞の経済面の金融商品欄はいつも欠かさず注視していた。お金を貯める事に関して石橋をたたいて渡るタイプの私は、ハイリスクハイリターン商品には決して手出ししなかった。 20歳代後半で預金が1000万円を超えたとき、その大部分を信託銀行のビッグ(貸付信託複利5年もの。現在この商品は廃止されている。)に入れ替えた。当時お金をビッグに入れるために信託銀行に行った時の係員の無礼な対応は今でも忘れない。一見ちゃらちゃらした小娘が信託銀行に何の用かと係員が疑うのは無理もない話だ。
 結婚後はずっと低金利状態が続いているため、お金を貯めることよりも住宅ローン返済に集中してきた訳である。
 という訳で結論として、私のような庶民にとっての正しいお金の貯め方とは何か。 “正しい”かどうかについては確信はないが、その秘訣はお金が貯まることがうれしいと思う気持ち、そしてお金を貯めることに対する興味ではなかろうか。 まさに“好きこそ物の上手なれ”である。 私の周りを見渡しても、浪費家というのはそもそもお金を貯めようという発想自体がさらさらないように見受けられる。
 そして、何よりもライフスタイルである。 私は派手好みではあるけれど、ブランド物で身を固めたいなどという欲望がほとんどないし、人と同じ持ち物が欲しいなどとの気持ちは昔から一切なく、マイペースで自分の人生を貫いてきている人間である。
 加えて、お金を貯めるために要求されるのは情報収集力であり、計画力であり管理力である。 これらは最低限の必須条件であろう。
 このように考えてくると、やはりお金とは付け焼刃では貯まらないものなのかもしれない。 持って生まれた適性や能力もお金を貯めるひとつの重要な要素となろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバー 「正しいお金の貯め方」より要約引用。)


 最後に私論でまとめよう。

 「お金」とは、“貯めてうれしい派” と “使ってうれしい派” とに大きく二分されるのではあるまいか?? 
 (これに関しては、上記我がエッセイ集バックナンバーをお読み下さるとご理解いただけることであろう。)

 私など、“貯めてうれしい派”に分類される事が歴然!なる人生を歩んできていると自己分析できそうだ。  それ故に、今回テーマに掲げた 「楽しいお金の使い方」に関しては何の論評力もない事を認めざるを得ない…。

 少しだけ今回の表題に対して論評させてもらえるなら、自分自身で目標を掲げ自分の力で貯めた蓄財を自らの価値観と判断で有効活用できた時にこそ、その金額の大小に係わらずお金を使うことが“楽しい”! と実感できるのかもしれない。

 そんな微細な“楽しさ”を時折感じたいがために、私は今尚チマチマ預金に励むとの“しがない人生”を選択し続けているとも分析可能だ…… 

祝♪ カーリング日本女子代表五輪出場決定!!

2013年12月16日 | 時事論評
 これをスポーツと表現していいのかどうかと我が頭を悩ませたのは、過去のオリンピックにて当該競技を観戦した時に遡る。


 私が「カーリング」なるスポーツを知るきっかけを得たのは、1998年長野冬季オリンピックをテレビで観戦したことによる。
 当時男子チームの若手(未だ十代だったような記憶があるが)スキップであられたイケメン敦賀信人氏が、テレビ中継によりその名を国内に轟かせた頃、初めて「カーリング」とのスポーツが五輪の一競技であることを認識した。 
 その後、時を経て2006年開催のトリノオリンピックに出場した女子チーム(チーム青森)が、国内テレビ放映に於いて全試合中継される中で7位入賞という快挙を披露したことにより、日本におけるカーリングの認知度が一挙に高まったとも言える。
 (以上、ウィキペディア情報を参照しながら記載。)

 ここで私事を語ると、何分“寒い”のが超苦手な私だ。  それ故に、氷が張られたリンクの上で繰り広げられる選手の“動きが少ない”カーリングとの競技に当初違和感を抱いた。
 実際動くのは、(私の目には)氷の床を掃く選手だけである。 その他の選手達が試合中に行っている動作とは、大声こそ出すものの始終静止状態だ。 頭脳面や精神面で熱く燃えることは理解可能だが、このスポーツとは「体力」が試されて勝敗がつく性質のものではないと当初原左都子が勘違いした事に関して、読者の皆さんより同感いただけるであろうか??


 ここで、「カーリング」との競技に関する歴史やルール等に関して、以下にウィキペディアより参照して紹介しよう。

 カーリングは氷上で行われるウィンタースポーツである。 4人ずつ2チームで行われ、目標とする円を目がけ各チームが交互に8回ずつ石を氷上に滑らせる。石を円の中心により近づけたチームが得点を得る。これを10回繰り返し総得点で勝敗を競う。 高度な戦略が必要とされ、その理詰めの試合展開から「氷上のチェス」とも呼ばれる。
 15世紀にスコットランドで発祥したとされ、16世紀から19世紀にかけて戸外でのカーリングが盛んに行われていたそうだ。 現在のルールは主にカナダで確立したもので、1807年には王立カーリングクラブが設立されている。 その後アメリカ合衆国にカーリングクラブが誕生し、19世紀の終わりまでにはスイスとスウェーデンへと広まった。  98年長野オリンピック以降冬季オリンピックの正式種目として採用されている。 現在ではヨーロッパ全域をはじめ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国などで行われている競技である。
 我が国においては、(上記記載の通り)1998年長野五輪での男子チームスキップ敦賀信人の健闘、及び2006年に開催されたトリノ五輪に出場した女子チーム青森が7位入賞との活躍を見せたことで、日本におけるカーリングの認知度が一挙に高まった。
 カーリング自体は非常に歴史のあるものであり、カナダではボウリング感覚でカーリングを楽しむなど生活に密着した光景も見られる。 ところが、日本では他競技のアスリートなどから「カーリングはスポーツではない」などと解釈されることがある。 これは、日本においては「スポーツ=体育」という認識が定着してしまい、身体を激しく動かしていなければスポーツではないという価値観が根強く存在し、例えば将棋や囲碁、チェスなどマインドスポーツがスポーツとして理解されていない点に見て取れる。
 それこそが日本国内の一部でカーリングがスポーツと認識されない大きな要因であると考えられるが、実際にはストーンを正確にコントロールする技術力、チーム内プレーの連携、そしてスコアを競い合う先読みを繰り返す戦略性や戦術といったゲーム性など、スポーツの要素を備えている。  さらにあえて身体面に触れれば、投擲の正確なコントロールや、的確にスウィーピングを行うための強靭な体力も要求される。 実際、カーリングの選手が筋肉トレーニングやスウィーピングの練習をしている様子がテレビのドキュメント番組で放送されたこともある。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を要約引用。)


 上記ウィキペディア情報を読み、「大変失礼申し上げました。」と、まずは原左都子のカーリングに対する偏見をお詫びせねばなるまい。 
 上記のごとくカーリング競技とは強靭な体力をも要求され、選手達は筋トレ等体力づくりに日々勤しんでいるとのことだ。

 さらにもう一点、我が「カーリング」(特に一女子選手)に対する“意地悪”偏見をあえて述べさせていただこう。
 2006年トリノ五輪に女子カーリング代表として出場した本橋ナンタラ氏(先程ウィキペディアで調べたら 本橋麻里氏 との選手だったようだが)が、何を血迷ったか、その後タレントとしてぬけぬけとメディアに出てきたのには愕然とさせられた。 しかも彼女はまだカーリング現役選手も続行するとのことでタレント活動によりCM収入を得た後、自分のチームまで立ち上げて国内大会に選手として姿を現した。 その後の彼女の動向は知らないが、現在はポシャったのか本橋氏の姿をタレントしては元より、カーリング選手として競技会場で見ることはない…
 本橋氏が本気でカーリング人生を貫きたかったのならば、(私の評価では本橋選手以上に“美人”の)小笠原選手や船山選手のごとく、子ども出産後も「カーリング」一筋に精進するべきではなかっただろうか!?
 いやはや、若くして自分は“美人”と勘違いして血迷い、メディアにしゃしゃり出る事が得策なのか否なのか、現世の若き女性達も本橋氏の事例を参考にして自分自身で今後の人生のあり方を天秤にかけてみるといいかもねえ。


 とにもかくにも、カーリングソチ五輪世界最終予選最終日は15日、ドイツ・フュッセンで1次リーグ上位3カ国による五輪出場決定戦があり、日本女子の北海道銀行はノルウェーを10―4で破り、日本女子として1998年長野大会から5大会連続となる五輪出場を決めた。
 日本は第7エンドを終えて3―4とリードを許す展開。だが、第8エンドに好機をつくると、最後はスキップ小笠原歩選手(35歳!)が円内に残っていた相手のストーンをはじき飛ばすショットをみせ、一気に6点を奪って逆転した。


 日本女子カーリング代表の北海道銀行女子チームの活躍の程を、ここ1週間程ずっとNHKBSテレビを通じて見守ってきた私だ。
 最終決戦の中国戦にて1点差で敗退した後、原左都子もスキップ小笠原歩選手が泣きながらインタビューに応える影像と、共に泣き崩れた……

 その何時間か後に開催された最終代表決定戦である対ノルウェー試合に至るまでの短時間内に、よくぞまあ気持ちを入れ替えられものだ。 そんな北海道銀行女子チームのチームワークの素晴らしさの程を賞賛しつつ、五輪本番の女子カーリング日本代表の活躍を祈り応援したいものだ!

どう努力しても嫌いな相手とは、確かに存在する

2013年12月14日 | 人間関係
 「どうしてもあなたが嫌いだ。」

 9月末の放送開始以降ずっと高視聴率を維持しているNHK連続テレビドラマ 「ごちそうさん」 主人公 め以子が、昨日(及び本日)のドラマ内で義理姉 和枝から無情にもぶつけられた言葉である。

 現実社会に於いては、いくら誰かに対して嫌悪感を抱いていようが、いい大人がこの言葉を直接相手に投げつけるとの行動にはよほどの事でもない限り出られないものであろう。
 ドラマの和枝の場合それがドラマ内であるからこそ叶った発言ではあろうが、原左都子には和枝の切羽詰った思いが理解可能だ。


 (このドラマをご覧になっていない方には分かりにくい今回のエッセイ内容で申し訳ないのだが)、おそらく原左都子の性格や人格とは、和枝と似ていると想像する。
 真面目で几帳面でやるべき事はすべて完璧にこなさないと気が済まない。 そのための努力を日々惜しまない反面、いつも神経が張り詰めている状態のため、周囲の人間としては気が休まる暇がない。  しかも和枝の場合、過去の過酷な人生経験によりトラウマを抱えている。(いえいえ、私の場合は大したトラウマはありませんよ。)

 そんな和枝が主人公め以子の存在が気に入らない訳が私には十分伝わる。 め以子とて努力家であることは認めるが、どうやら生まれ持っての“天然気質”を嫁ぎ先の西門家にまで持参してしまっている。 それが証拠に、本日放映内で和枝が「どうしてもあなたが嫌いだ!」と言い放つ場面にして、め以子とは義理姉和枝に歯向かう事が出来るキャラの持ち主である。 これはたくましいと思う反面、決定的別れが訪れる必然性があると私も直感した。
 そもそも私も和枝同様に“天然気質”タイプは受け入れ難い。 そんな奴に接すると、神経張り巡らせて周囲に配慮しろ!と説教したくなる。


 ここで参考意見だが、原左都子にとってはめ以子の義理姉である和枝よりも、むしろ後妻として西門家に嫁いで散財するばかりで何の役にも立たず、“のらりくらり”と居候している 静 の存在こそが鬱陶しい感覚だ。 もしも私がその時代に西門家に嫁いだならば、まずは継母である 静 こそを外に追い出す策略を講じたかもしれない。
 明治の時代とは亭主亡き後の後妻の位置付けがこれ程保証されていたのであろうか?? 現在の核家族現状に於いては想像も出来ない話である。 後妻の静と出戻り和枝との確執もドラマ内で展開されたようだが、後妻の静こそが西門家を出る必然性があると現代人感覚で私は考察するのだが… 

 余談だが、それにしても宮崎美子氏演ずる静は、“出戻り”和枝に対する“意地悪感”が自然体で表出していると感じる。 
 実は原左都子は、タレント宮崎美子氏に対して氏がデビューした時代より好印象を抱いていない。 この人の経歴を辿るならば、とある週刊誌表紙に著名写真家氏撮影による笑顔ビキニ姿で世に出た割には、その後トーク番組等でその横顔を見ると、作り笑顔の陰で元々“意地悪”そうな風貌を晒す事実を私は見抜いている。   そんな宮崎美子氏はその後特定のバラエティ番組にしか取り上げられない貧弱なタレント生命を貫きつつ、何故「漢検1級取得」にこだわり続けたのだろう?  あくまでもバラエティクイズ番組出場を一生狙い、その分野でタレント生命を繋ぎたいのならばそれで事が済んだのかもしれないが… 
 今回の「ごちそうさん」のごとく女優としてこの世を渡る希望が少しでもあるならば、漢検1級取得よりもその世界の技と芸を磨くべく精進するべきはずなのに…。 (今回のドラマでは宮崎氏は元芸者の役柄にして、三味線も歌も下手くそで聞いてられないよねえ…。)
 要するに、和枝役の俳優キムラ緑子氏の芸達者さと比較すると、番組出演者テロップで最後に出る準主役級の静役タレント宮崎美子氏の存在がお粗末過ぎる事に、違和感を感じている私なのだが…


 ここで一旦私論に移ろう。
 
 一例を挙げるならば、要するに原左都子にとってタレント宮崎美子氏とは「どう努力しても嫌いな対象」なのかもしれない。
 その根拠もある程度自己分析可能だ。 宮崎氏とは元々過疎地国立大学出身であられる。 私も同様だ。 その時代に宮崎美子氏はシンデレラガールのごとく週刊誌表紙に取り上げられたことで芸能界デビューした。 そんな経歴とは通常“一発屋”でポシャるものだが、宮崎氏はその後芸能界で何故か生き延びている。 (漢検1級など今それを取得せよと言われれば、私も多少の努力を重ねれば取れそうな思いだが…)
 とにかく宮崎美子氏は現在NHK連続テレビドラマの準主役として抜擢されている。 今後の氏のタレント生命を私が予知できるはずもないが、元々低身長のずんぐりむっくり体型、かつ現在50代半ばの若さにして顔面皺だらけの宮崎氏のその風貌に、何だか安堵させられる一庶民の原左都子との情け無い有様だ…
 それにしても、メディアに登場するタレントどもなど嫌なら見なきゃ済む話の範疇だから、何らの障害もない。

 上記事例にかかわらず一般世間に於いても、確かに「どう努力しようが嫌いな奴」とは万人に存在すると私は推測する。

 この相手が現在付き合わねばならない環境下では、実に辛いものだ。(例えば、学校クラス内とか職場内とか。)  その経験は私にもある。 それでも学校クラス内の付き合いなど1、2年の短期間で過ぎ去るものと私は覚悟を決めていた。 その覚悟の通り、嫌なクラス連中や担任などすぐさま我が人生を通り過ぎたものだ。 
 一方、職場関係は多少鬱陶しい。 こいつが嫌いだと思っても、自分がその職場で頑張る程にそこの同僚や上司との関係が長引く事は私も経験している。 どうしてもその関係が耐え切れない場合、「異動」を申し出てもよいであろう。 極端な場合、退職を選択せねばならないかもしれない。 ただその場合に関しても、自分が羽ばたける次なる舞台を選定してからにしても遅くはないだろう。

 一番辛いのが、冒頭の「ごちそうさん」め以子の事例ごとく、嫁ぎ先の人間関係ではなかろうか。
 ただ現在の世に置いては核家族化が急激に進んでいる事もあり、たとえ嫁ぎ先に嫌いな相手がいようと、それと直接対峙する場面すらないとの話なのかもしれない。
 婚姻関係に於いて婚姻先の人間関係を断ち切る事が可能な場合(例えば子どもがいない場合や、実家が裕福でいくらでも“子連れ出戻り”が可能等々)、それを実行した方が幸せな場面が今時いくらでも存在するであろう。


 冒頭で掲げたNHKドラマ「ごちそうさん」の場合、本日のドラマ場面に於いて決別した主人公め以子と義理姉和枝の事例が、今後如何にドラマ展開するのかは原左都子には未知数である。

 ただ一言言えるのは、還暦近い私にも「どうしても嫌いな奴」が現在に至って尚存在するとの事だ。 そんな相手と不安材料を抱えたまま再会するよりも、今後一生に渡り“無縁”を貫けた方がお互いに幸せに決まっている!と私は確信している。 

 そんな現代の一市民の切実な選択肢を尊重してくれるべく、「ごちそうさん」が今後ドラマ展開することを一ファンとして期待申し上げている。

 人間関係において、妙に歪んだ「絆」など何ら必要ない。 

クリスマス慣習が急激に薄れゆく国内の風情

2013年12月12日 | 時事論評
 昨日(12月11日)我が行きつけの個室美容室を訪れた際、4歳男児の母親でもあられる担当女性美容師氏がいきなり“嘆き話”を始める。
 「この時期は本当に嫌なんです…。」

 一体何が嫌なのか?との私の問いかけに美容師氏応えて曰く、「息子のためにクリスマスプレゼントを用意せねばならないが、毎年何を枕元に置いてやっていいやら頭を悩ませる」との談話だ。

 原左都子としては美容師氏の発言に、(あっ、そうか、もうそろそろクリスマスなんだ!) と初めて気付かされた始末だ。
 そう言われてみれば、ターミナル駅を降りた後も大都会の街並みにして大規模なクリスマスイルミネーションを一切見かけなかった。 店舗毎にクリスマス商戦を意識した装飾が“こぢんまり”となされていたものの、さほど目に留まる程のインパクトを受けないまま美容室へ辿り着いた。


 上記美容師氏の発言で思い起こしたのが、原左都子の子ども時代のクリスマス慣習である。
 数十年前にド田舎過疎地に生を受けた私だが、そんな時代の過疎地に於いても幼少の頃より各家庭でそれぞれのクリスマスイベントが実行されていたようだ。  例えば、美容師氏がおっしゃるごとくの “親がサンタクロースの代わりに子どもの枕元にプレゼントを置く” なる慣習とは、幼き子ども皆が大喜びするであろうイベントに間違いない。 親側としても今年は何を枕元に置いてやったら子どもが嬉しいのだろうかと頭を悩ませる事こそが、家庭内の幸せな光景を創り出す源である事は想像して余りある。

 ところが残念ながら、私の場合幼少の頃に親からクリスマスプレゼント自体はもらったものの“枕元に置いてもらう”との習慣を一切経験していない。 その理由の詳細に関しては記憶にないのだが、もしかしたら元々“合理思考”が強靭だった我が親どもに「サンタクロースなどいる訳ない」と幼き頃より感化されていたのかもしれない。 そんな風に情緒が欠落した親の下に育った私であるため、幼心にサンタクロースなどこの世に存在しないと信じさせられていたとも考察可能だ。
 小学校に入った頃だろうか。 周囲の児童達の「クリスマスイブにはサンタが枕元にプレゼントを置いていくと言うけど、本当は親が置いているんだよ!」なる会話を耳にした。 その話を聞いた私はクリスマスイブが迫った頃初めて我が親どもに言い寄った。 「よその親はイブの晩にサンタに替わって子どもの枕元にプレゼントを置くとの話だが、何でうちはそうしなかったの?」  次女である私からの初めての訴えに、我が親どもは相当困惑した様子だった。 それでもその年のクリスマスイブの夜には生まれて最初で最後に我が親がプレゼントを枕元に置いていたことを、何だか“虚しい出来事”として私は記憶している。

 ここで一旦、原左都子の私論を記そう。
 いくら幼き我が子が親の合理的思想を遺伝的・経験的に継続していようが、クリスマスイブの夜ぐらいは世間一般で執り行われている慣習に従い、わざとらしい演技であれ子どもを喜ばせても罪はなかっただろうに…。 それこそが子どもの情操教育であり、子どもに夢や希望を抱かせ羽ばたかせるきっかけをもたらす好機だったはずだ。 


 上記のごとくクリスマスに関して幼少の頃に切ない記憶がある私は、高齢出産で産んだ我が娘のクリスマスは、誕生以降大々的に執り行ってきている。
 まずは室内のクリスマスイルミネーションだ。 一時は本物のツリーもどき大きな観葉植物を室内に買い求め、それをクリスマスツリー土台とした時期もある。 そして必ずや私はその飾り付けに娘も誘った。 そんな親の演出を幼き頃からはしゃぎ喜んでくれた我が娘でもある。
 そんな娘の成長と共に、母である我が手抜きが勃発する。
 娘の私立中学受験の時期には、“お抱え家庭教師”でもある私として2月初頭の受験に備えるためクリスマスイルミネーションになど到底尽力できない。 それを理由に室内装飾をサボろうとしたのだが、娘から「○ちゃんの家では素晴らしい飾り付けをしている!」と訴えられたなら、それを実行しない訳にはいかない。 それはよしとしても後が大変だ。 装飾はいつでも可能だが、片付けは12月25日中に済ませるべきだ。 まさかクリスマス装飾のまま新年を迎える訳にもいかない… 
 そんなこんなで娘が大学生になった暁には、我が意思で少しばかりのクリスマス装飾を室内に試みようかなと思う段階に入っている。 それに同意してくれる娘のお陰で、現在の我が家のクリスマスイルミネーションは至ってシンプルである。

 我が家の事情をさて置き、大都会東京の繁華街に出てもさほどのクリスマスイルミネーションを堪能できない時代背景だ。
 その分、首都圏郊外あちこちの地に光イルミネーションを施した観光地が設けられ、その地に小旅行目的で観光客を誘う趣旨の旅行会社によるバスツアー企画等を各所で数多く発見する。 これぞまさにLED開発力による節電イルミネーション企画なのであろう。


 阿倍政権によるアベノミクス経済政策が掲げた成果はごく一部の恵まれた国民を潤すばかりで、今年も多くの国民は細々と年末を迎えることになりそうだ。

 そう言えば昨日電車にて帰路の途中、電車広告に誰かが違法に貼り付けたと思しき「貼紙」を発見した。 それによれば、阿倍政権は今後「戦争が出来る」ようこの国を仕立て上げるべき尽力しているとの事だ。
 もちろん、この貼紙をした輩の行為は違法であることなど私も承知であるとして、その内容に等しい危機感と恐怖心を私自身も抱かされざるを得ない現状である……
 我が国の政権が今後如何なる方向を目指そうとしているのかに関しては、(特定秘密保護法案強行採決がらみの政権内外の激動もあって)今は未知数であろう。

 だが、少なくともクリスマスイブの夜には各家庭でサンタ(親)が枕元にプレゼントを置いてくれる事を信じる幼き子ども達の夢や希望を、(国民が信じる政治思想にはかかわりなく)叶え続けるべく国であって欲しいものだ…。

「階級差」コンプレックスの乗越え方

2013年12月09日 | 人間関係
 昨日(12月8日)の日曜日、私は娘を伴って東京有楽町で開催された某東証一部上場きもの会社主催の「きもの博覧会」へ出かけた。

 決して和服を着る趣味がある訳ではない原左都子だが、今年はたち(20歳)を迎えた娘のために、当該きもの会社で振袖一式を仕立てた縁で“友の会”登録をした。 それにより“きもの博覧会”関連イベントへの招待状が我が手元に随時届き、幾度か参加させていただいているとのいきさつだ。


 昨日開催されたイベントは、今まで私が参加したきもの博覧会の中で最大規模だった。
 我が担当係員氏案内により大勢の友の会会員でごった返す会場内を巡りつつ、私の脳内には“ある種の階級差コンプレックス”が巡り始める…
 (そもそも和服など“超高価”であることを重々承知の上で、何故私は娘を引きつれこんな会場へ足を運んでしまっただのだろう?? 今時の民衆とは着ている服や外見でその階級のレベルを察知しにくい事など重々承知の上だ。 そうだとしてもおそらく会場内の周囲の皆さんは、ウン十万あるいはウン百万円もの値が張る和服類を是非買い求めたい意向に加えその経済力を伴って来場しているのだろうなあ……。)

 いやはや勘弁願いたいものだ。 そんな金持ち連中がこぞって出資したいとの趣味用途に使うカネなど、原左都子には一銭もないよ~~~。

 などと思いつつ、我が担当係員氏が誘ってくれた「江戸紅型(びんがた)」コーナーの細かいピンク系模様が隅々まで施された反物に唸ってしまった。 早速別の女性係員氏に帯をはじめ小物類のコーディネート着付けを鏡の前でしていただくと、私も娘も予想以上によく似合っているではないか!?!
 その後も引き続き会場内その他コーナーを係員氏の誘導により巡りつつ、私の脳裏から「江戸紅型」のピンク系の反物が離れない。  あちこちを右往左往した挙句、係員氏に今一度そのコーナーへ舞い戻ってもらい、「江戸紅型」一式を母娘で共用することを目的に買い求める決断と相成った!
 (今回発注した「江戸紅型」訪問着一式が仕立て上がった時点で、本エッセイ集に於いてその写真影像を公開する予定でおります。)
 それにしても“ちまちま貯金力”はあるものの、今に至っては大した経済力もない原左都子にして、きもの博覧会会場にて大枚をはたいてしまった事態に現在反省しきりである…
 高価な和服などを衝動買いした暁には、今後更なる“チマチマ生活”を営むしか方策がない……


 さてさて、そんな原左都子も過去に於いて「階級差」付き合いなるものを幾度か経験している。

 その中の、とある一女性とのお付き合いに関して以下に記そう。
 我が30代後半の公立高校教員時代に知り合った同僚である某女性教員氏の経歴を、ここで簡単に紹介するならば…。
 元々関西地域の名門百貨店を経営する家庭の一女として出生し後に名門女子大学卒業後、新宿超高層ビルを保有している某一部上場企業役員男性と婚姻に至っている。 その後若き時代に夫氏の海外転勤に妻子が伴い何年かの後帰国した後、その女性は自分の専門力を活かしたい!との意思で公立高校一教員を志したとのいきさつだ。(超お嬢様が何を血迷ったか、よくぞまあ公立の教員などをやる気になったものだ…) 
 その後私は当該公立高校に教員として就任し、上記女性教員氏と知り合った。 新任して来たばかりの既に30代半ばで未だ独身の私に、この女性は何の違和感も無く快く接してくれた。(後で思えば、当該女性が海外生活等をこなし視野が広かったのがその最大の要因かとも考察する。)  その女性は類稀なお嬢様経歴やそれにより培ったキャラ故に、一部の生徒や教員から敬遠されていた印象はあるものの、私にとっては公私共々素晴らしい先輩であられた。 何度かご自宅にも訪問し、手作りの料理等をご馳走になる仲だった。
 そんな両者関係のお陰で、私側が「階級差」なる言葉を一度も意識せずに済んだ事が印象深い。  お互いに教員退職後もずっと連絡を取り続けていたのに、突然の癌による死去により今はもうお会いできないことが残念だ…。 


 今回このテーマのエッセイを綴るきっかけを得たのは、本エッセイ集で毎度おなじみの朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”である。
 11月16日版「友人との会話の『階級』困惑」との題目の相談を寄せたのは50代女性であるようだ。
 何でも、この女性はセレブ開業医同年代女性との付き合いに悩んでいるとの事だ。

 この相談に応えたのは、経済学者の金子勝氏である。
 その題目だけ紹介するならば、 「2人はかけ離れていないのでは」 
 その結論部分のみをここで紹介すると、「ありのままを出して付き合えばよいのではないでしょうか。 恥ずかしいことなど何もありません。」


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。

 あらゆる人間関係において、上記金子勝氏がおっしゃる通り片方が「恥ずかしい」思いを抱く関係など存在してはならない。 如何なる交友関係にあっても、ありのままの自を出し合ってお互いに付き合えばよいに決まっている。
 そうであるにもかかわらず、付き合っている相手に対して「恥ずかしい…」などと卑下する場面が少しでもあるとするならば、そんな関係は自然と早期に崩れ去る運命にあろう。

 だからこそ人間関係など「自然体」でよいのではあるまいか? これこそが原左都子が以前より訴え続けている私論結論である。
 無理や歪みがある人間関係か否かを自分では判断しかねようが、それでも何故か相手との関係が長年続くとしたならば、その根底に信頼関係が紡がれている証拠と判断してもよいのかもしれない。

 要するに「階級差」どうのこうのよりも、もっと根底部分にある人間関係を繋ぎ止める人格面での共通項が両者間に存在し得るならば、その関係は長く続くということであろう。


 おっとっと。  それはそうとして、明日は早速昨日きもの博覧会会場で衝動買いした「江戸紅型」訪問着一式代金を、札束を持参して 全額現金一括払いにて納めに行かねばならない…。
 この価格が乗用車1台分である事実が、ちと辛いが…