原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

有能だからこそ眞子さまは早期に婚約決断されたのでは?

2017年05月22日 | 時事論評
 秋篠宮家の眞子さまがご婚約を発表されてから、既に数日が経過しただろうか。

 前回の「原左都子エッセイ集」にて、私は、事件や出来事が人々から忘却される速度があまりにも早過ぎる旨のエッセイを公開した。
 特に政権がらみの事件に関しては国民からの忘却を狙うがごとく政権がメディアを操り、故意に新しい話題にすり替えて目くらませしている、等々との私論も述べた。

 眞子さまご婚約ニュースのようなおめでたい話題に関しても、同様の「忘却」感が国民の間にあるように思うのは私だけだろうか?


 そんな折、本日昼のニュースで秋篠宮家ご夫妻と眞子さまがご公務として何処かの博物館をご訪問されている映像が流れた。
 亭主とそのニュースを見聞していたところ、亭主が「こんなどうでもいいことをいつまでも皇室に公務として義務付けるから皇室の負担が増え続け、結果として宮内庁経費が膨大になるんだ!」、と怒り始めるではないか!
 「ごもっとも!!」と同意しつつ、(確かにこんな“無駄な骨折り公務”に引っ張り出されカメラに向かって国民相手にヘラヘラ演技する事を皇族達が強要されてばかりいたんじゃ、皇室から出たくもなるよなあ。)と別の視点から痛く同感の私だ。


 さてその眞子さまに関するネット情報を、ご婚約発表後複数見た。

 その中から、まずは“眞子さまが有能であられる”趣旨の情報を以下に要約して紹介しよう。

 眞子さまは数少ない成年皇族の一人で、2団体の総裁職などを務め、園遊会や国賓歓迎行事など主要行事に数多く出席してきた。 皇嗣(こうし)となる秋篠宮さまが担ってきた公務を引き継ぐことも期待されていただけに、関係者の間には担い手がいなくなることを心もとなく感じる空気も漂う。
 公益社団法人日本工芸会の関係者は、総裁の眞子さまについて「伝統工芸に対する一般の興味関心を高めて頂いている。作家の方の励みになっているのは間違いない」とたたえる。 眞子さまは初代総裁の高松宮さま、2代目の桂宮さまの後を継ぎ、総裁賞などの選定や授賞式に出席してきた。
 また、眞子さまは国賓歓迎行事への出席をはじめ、単独での海外公式訪問を2度経験。 元宮内庁幹部は「有能で、両陛下の信頼もあつく、皇籍を離れるのは残念」と明かす。
 眞子さまが名誉総裁を務める公益財団法人日本テニス協会の鈴木宏事務局長は「若い総裁で協会やテニス界全体が励まされている。個人的な思いとしては、ご結婚後もご活動頂けるようになればうれしい」と話した。
 女性皇族は現在14人。 天皇陛下の孫の世代は7人で、皇太子家の長女愛子さま(15)を除く全員が結婚可能な年齢に達している。皇室典範12条は「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と定めており、眞子さまは小室さんとの結婚により公務から離れることになる。
 (以上、眞子さまご婚約に関するネット情報より一部を要約引用したもの。)

 
 引き続き、眞子さまに関する「女性宮家創設」関連のネット情報を以下に紹介しよう。

 秋篠宮家の長女・眞子さま(25)が、大学の同級生の男性と婚約することが明らかになった。 眞子さまは皇室典範の規定により、結婚に伴って皇籍を離れ一般の市民となる。 安倍政権は今後、女性宮家創設の可否など減少する皇族数への対策を検討する方針だが、眞子さまの婚約は今後の議論にも影響を与えそうだ。
 「皇室の活動をどう維持していくか。まずは、女性皇族が結婚後にも公務をこなせるような制度を検討する必要があるかもしれない」。 首相官邸の幹部は5月16日夜、早速そんな考えを示した。
 女性皇族は現在14人で、天皇陛下の孫は皇太子家の長女愛子さま(15)、秋篠宮家の長女眞子さま、次女佳子さま(22)の3人。 孫の世代にはこのほか、皇位継承順位第3位の秋篠宮家の悠仁さま(10)がいる。 政権内では「悠仁さまが即位するころには、皇室活動が維持できなくなる可能性もある」(官邸幹部)との見方がくすぶる。
 天皇陛下の退位をめぐる「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(座長=今井敬・経団連名誉会長)も、4月下旬にまとめた最終報告で「皇族数の減少に対してどのような対策を講じるかは、一層先延ばしのできない課題となってくる」と明記し、早急な検討を求めていた。
 (以上、眞子さまご婚約に関するネット情報より一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私論に入るが、秋篠宮家の眞子さまが「有能」であられるとするネット情報に、私も一応同意する。
 各種報道から垣間見る眞子さまは、確かに「有能」と評価されている事実に関して何らのマイナス材料が無い。
 大学進学時にも、自らのご意思で学習院大学ではなく国際基督教大学を選択された。 同大学の教養学部アーツ・サイエンス学部へ進学された後、3学年に進級時に、美術・文化財研究を専攻された。 在学中、学芸員資格を取得されている。 その後、イギリスのエディンバラ大学に留学美術史などを学ばれたそうだ。
 ここで一旦私事だが、その頃ちょうど我が家の娘が美大進学に向け夜間美大予備校にてデッサン等に精を出していた時期でもあり、我が娘も眞子さまのように美術方面で頑張って欲しいと思ったりしていた。
 
 昨年2016年には、眞子さまはレスター大大学院の修了式に出席し、修士(学術)(博物館学)の学位記を受けた。その後同年4月1日には、東京大学総合研究博物館特任研究員に就任され現在に至っておられる。
 再び原左都子の私論だが、皇族の一員であられる眞子さまが就職に当たり“最上級のコネ”をお持ちなのは致し方無いとして。 それにしても眞子さまの当該業績は、ご自身が自ら立ち上げられた部分も少なくなかろうと私は推測する。
 近代皇室にお生まれになられたその身分を超越して、進学・就職に際しご自身の意思を貫かれたその姿勢こそが素晴らしい。


 次に眞子さまのご婚約発表に際し、取り急ぎ「女性宮家創設」議論を持ち出す政権及び野党よりの反応に対して。
 特段「皇室」には思い入れがない私には、論評しにくい議題としか言いようがない。
 自己矛盾に溢れる私見を述べるならば、それに賛同し皇族の歴史を自ら守り存続したい!と望む女性皇族が存在するのならば、政権側からもその勢いに任せてみてはどうだろうか??


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 眞子さまご婚約に関しては、実におめでたい事と祝福申し上げよう。
 特に眞子さまの場合、ご自身が志望した大学入学後間もない頃にご婚約者であるお相手と知り合ったとの情報だ。 それを祝福し、秋篠宮家ご夫妻も直ぐに相手男性を眞子さまの将来のフィアンセとして認められたとの情報でもある。

 皇室との“至って特殊な環境下”にお生まれになった一女性が、制約多き環境下でご本人なりの自己実現を目指されつつ将来を見据え自己を育んで来られたならば、こんな素晴らしい事は無いだろう。
 
 今後は眞子さまを皇室や「女性宮家」なる重圧や軋轢から解放して差し上げて、国民皆で眞子さまの来年のご成婚をお祝い申し上げたいものだ。
 (ただし昭和以降、皇族女性が民間に嫁がれる場合、今までは1名に付き1億数千万円との巨額国税支出を計上して来たらしい。 それに関しては有能な眞子さまの場合10分の1程度に縮小してはどうか?? とも提案したいよなあ。) 

事件のケリをつけないまま葬り去られる事態に国民が惰性感を抱く恐怖

2017年05月19日 | 時事論評
 去る4月29日に北朝鮮よりミサイル発射された際、都心の地下鉄が一時停止措置を受け都心交通網が混乱を来した。
 一方、先だっての5月14日に同じく北朝鮮よりもっと破壊力の強いミサイルが発射され日本海に投下した際には、何故か国政よりの都心交通網停止措置は実行されなかった。
 一体全体、国政による防衛危機管理対応は如何なる政策ポリシーにより実施されているのだ??  それに関する発表が未だないまま、交通網混乱を導いた謝罪や今後のミサイル危機対応策も未だ発表されていない。
 その事態に関して、何故野党や国民は黙っているのか? 

 話題を変えるが、森友学園事件の際に名誉校長を安易に引き受けた安倍昭恵氏の責任問題は一体どうなったのか??  昭恵氏が秘書5人を抱え国税を食い潰している事態はその後如何に処理されたのだろう?
 これに関しても今や世間では何ら語られる事も無いまま、昭恵氏は相変わらず安倍首相とかかわりがある各種私的関係団体の役員を務め続けているようだ。 昭恵氏は今話題の「加計学園」の幼稚園園長(不正確な場合お詫びしますが)も勤めているとの事だが…。  野党よ、今度こそは是が非でも理事長と安倍氏が友人関係にあるという「家計学園」問題の決着を国民に見させて欲しいものだ。 
 これ程までに「国政を私物化」して悠々と国民にほらを吹き続ける悪質首相を、私はどうしても許せないでいる。 
 国民の皆さん(の半分弱程度?)もそうであるのならば、首相がからむ各種の事件がうやむやにされている事実に対して、何故行動を起こさないのか?!?


 等々と我が怒りの納め場所が見つからず悶々と欲求不満を溜め込んでいたところ、同様の危機感を抱えてる人物が発するオピニオンを朝日新聞紙上にて発見した。

 朝日新聞2017.5.17 夕刊「文芸・批評」ページ、「思考のプリズム」 映画作家 想田和弘氏による 「ニュースをどんどん忘れる私たち 乗っ取られる注意力」 とのオピニオンを以下に要約して紹介しよう。

 本欄に先月の北朝鮮ミサイル危機について書こうと思ったが、すでに古いニュースのように感じてためらった。 そしてそういう状況と自分に驚いた。 (中略) 代わりに騒がれているのは、フランスや韓国大統領選、共謀罪などだろうか。 いや、これらも既に「旧聞」の部類か。
 思えば近年、ニュースの循環サイクルはあまりにも短い。 例えば「森友問題」を国会で追及し続けているが、「森友ネタ」に対すメディアや人々の食欲は、一時に比べて格段に衰えている。 森友問題に何となく飽きてしまったからだろう。
 そう言えば最近、今村復興相の辞任問題もあった。 あれなど今村氏の「失言」と片付けられ辞任した訳だが、実は日本政府の本音だ。 少なくとも原発事故については国策として地方に建設されてきたとの意味で、時間をかけて掘り下げるべき本質的課題なのだが、今や今村氏の辞任について語る者は皆無だ。
 報道機関は読者や視聴者に飽きられるのを恐れて、どんどんネタを新ネタに乗り換える。 忘却のスピードは加速するばかりの悪循環。  (中略)
 人間の注意力を乗っ取る機会を狙っているのは、政治家も同様だろう。 「森友問題」への国民の注意をそらすために「北朝鮮危機」が過剰に演出されたと疑うのは、穿ち過ぎだろうか。 
 人類は「より速く」を求めて技術革新を進めてきた。 しかし私達が最も警戒せねばならないのは、もはや物事が進むスピードの「遅さ」ではなく、「速さ」なのだと思う。
 (以上、朝日新聞記事 想田和弘氏によるコラム記述内容を要約引用したもの。)


 原左都子の私論に移ろう。

 いやはや、想田氏がおっしゃる通りだ。

 私の場合、スマホやソーシャルメディアとのかかわりがさほど無い人種であるため、上ではその部分を割愛させて頂いたのだが、想田氏はこの分野の目覚ましき発展に関しても人間の「一つの事に集中する能力」が消耗している原因と位置付けられている。 想田氏曰く、「ネットをやり過ぎると大量の情報に次々アクセスするのが当たり前となり、気が短くなり注意力も散漫になるような気がする」との事だ。
 元々気が短い私だが、ネット上でのその種の経験は無いと思えるのが幸いかもしれない。

 想田氏が記されている、元復興大臣 今村氏の辞任劇に関する記述に私もまったく同感だ。
 これもまさに安倍内閣が目指すところの、福島原発事故を早期に“過去のもの”として国民をはぐらかし「原発再開」を物語る発言だった。 あれ程、東北の人々の人格を踏みにじるものは無かった程に許し難き失言だ。 今村氏のみが辞任して済ませられる訳がない。
 にもかかわらず、今現在も福島原発事故現場は多大な損傷を抱え放射能をまき散らしつつ彷徨うしか方策が採れないでいる。
 

 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 国家首長たる者が国民感情を潰しつつ、目くらませしつつ、自身が操る政権を支持するメディアをも操っているこの国で生きる国民は、如何なる行動を採ればよいのだろうか。

 安倍氏は少し前に「(自分の改憲に関する決意を読売新聞に発表したから)国民は読売新聞を読め!」とも国会で発言したねえ。 あれなど、まさに安倍首相からの一方的な「憲法改憲策」に関する独裁発言内容だった。 自由民主国家に於いてその一言で首相辞任に追い込める程の墓穴発言と私は解釈しているのだが、これまた国民はさほど騒がないままに過去の出来事として葬り去られてしまった。 何故、国民は騒ぐのをやめたのか?? 一体、どうしたことだろうか!!?
 
 それさえもがメディアに操られている事態を鑑みた場合、この私にも、もはや何らの解決策が見つからない。

 既に「安倍独裁国家」と成り下がっているこの国で、移り行く時代と共に繰り返される諸事件の忘却に歯止めをかける手立てが、残念ながらこの私にも見い出せないでいる。

左都子コレクション -大学(大学院)の講義ノート編-

2017年05月17日 | 学問・研究
 (写真は、我が2度目の大学及び大学院の講義ノートを撮影したもの。)


 上記講義ノートは、私が30代に通った大学及び大学院にて授業中に講義内容を聞き取り筆記したり、あるいは定期試験対策のため自分で試験問題を想定して模範解答を作成したもの等々である。

 一冊のページ数が約600頁。 単純計算すると、私が6年間で筆記したノート頁総数は約5000ページとなる。 

 右下が大学院時代2年間の講義ノート。
 大学院に於いては修士論文作成が主軸となるため、授業講義ノートは自ずと少ない。

 その他7冊は大学4年間に筆記した講義ノートを、卒業後学問分野毎に整理し直したもの。
 大学卒業後高校教員をしていた頃は、これらの講義ノートを紐解き自分の授業によく参照したものだ。
 ずっと時が流れて10年前に当「原左都子エッセイ集」を開設した頃にも、この講義ノートを書棚から引っ張り出しては、エッセイ執筆の参照素材としていた。 
 「左都子の市民講座」カテゴリー記事など、ほぼすべてこの講義ノートより引用・記述したものである。


 たまたま上記写真に撮影したページから、以下に少しその内容を紹介してみよう。

 上段左は、語学(英語・独語)、保健体育理論、情報処理論論等を束ねた冊子。
 写真のページは、独語授業の課題として小冊子1冊を和訳した中の1ページだ。 参考だが、一度目の大学医学部で既に独語を履修済みだったため、30歳過ぎてからの独語の授業は比較的取っつき易かった思い出がある。 

 上段中央は、一般教養科目や法学の一部を束ねた冊子。
 写真のページは「国際法」の講義から、今現在タイムリーな話題と意識して「集団的自衛権」の箇所を撮影したもの。

 上段右は、教職必修科目と特に社会科教職必修科目を束ねた冊子。 (参考のため、私は高校中学「商業」「社会」2科目の教職免許を取得している。)
 写真のページは、「教育原論」より「義務教育制度」「日本の教科書行政」等々に関して、定期試験対策のため私が出題を想定して模範解答を作成したもの。 我が記憶によれば、当時の「教育原論」担当講師氏が若くて、教育行政に関し我が思想と一致していた思い出がある。

 中段左は、「経営学」関連分野を束ねた冊子。
 私が大学院を修了して取得したのが「経営法学修士」だ。 そのため大学時代より当然ながら「経営学」もみっちりと学んだ。
 写真のページは、その中の「経営組織論」から「コンティンジェンシー理論」の部分を撮影したもの。 今となっては懐かしいなあ。

 中段中央は、これぞ我がバリバリ専門分野であり在学中に一番没頭した法学分野である 「法学概論」「憲法」「民法」「商法」関連を束ねた冊子だ。
 写真のページは、「商法総則」より定期試験対策として私がまとめた「普通取引約款」のページを撮影したもの。

 中段右は、「経済学」「金融論」「保険論」「会計学」「簿記論」等を束ねた冊子。
 参考だが、学問と言うよりも実践中心の「簿記論」が大学の授業としてはつまらなく毛嫌いしていた私だが、それでも学年最高の100点満点を取ったぞ!
 写真のページは、「経済史」より「米国の独占形成」及び「第一次大戦前の英・独の資本輸出」に関して、定期試験対策で模範解答を私が作成したもの。

 下段左は、大学在学中に卒業必須単位とは関係無く私が“趣味”で受けた(隠れ受講した??)講義を束ねた冊子。 その科目を記すならば「科学哲学」「生命科学概論」「生命倫理学」等々。(医学部併設大学だった故に、この種の講義が実に充実していた。)
 写真のページは、「科学哲学」より「量子力学的実在論」の講義内容の一部を撮影した。
 もしも私が2度目の大学にてこの「科学哲学」を受講しなかったならば、その後の我が人生観が大幅に異なり、つまらない人生を送ったかもしれないと思う程に思い入れがある。(渡辺先生、ありがとうございました。)
 
 下段右は、大学院時代の講義ノートのすべて。
 今回撮影したのは、「公企業論研究」の講義内容だ。 
 何故このページを撮影したかと言えば、それはそれは頑張り屋のこの私にしてとてつもなく厳しい授業だったからだ。
 そもそも経営法学専攻の私にとって「公企業論」はさほどメインではない。 にも関わらず、当該授業の厳しさと言えば、分厚い(200頁程)英文専門書一冊を和訳する課題が課せられたのだ。 しかも受講者は私一人!  意外と英語の読み書き力はあるぞ、と自負していた私ですら、くじけそうな時もあった。
 ただ、私はそれをやり遂げた!  授業の最終日に「よく頑張ったね」と慰労してくれた教官だったものの、返された評価は「優」ではなく「良」。(これが我が大学院時代の唯一の「良」評価だった。後は当然ながらすべて「優」だったのに……) どれ程落胆したことか……。 
 ただその後直ぐに退官されたとの高齢教授先生の思いは十分に理解出来る。  我が大学院生時代より過去に遡って現在に至るまで(?)、大学院生(大学生も含め)の英文読解力が貧弱過ぎやしないだろうか?!?  退官先生は、そんな昨今の学生達の貧弱英語力に警鐘を鳴らしたかったものと私は理解している。
 その最後の学生が私だった訳だが、今となっては“「良」程度の成績しか上げられず申し訳ございませんでした!”とお詫びするしかないなあ。


 今回は我が過去の「講義ノート」の一部を、“左都子コレクション”として紹介させて頂いた。

 そうだ! これを再び読みこなす事を今後の我が趣味の一つに出来そうだ。 などと本気で思ったりもする。

 ただ私が学んだ2度めの学生時代から、既に30年程の年月が経過している。
 その間の世界の大変動と共に、劇的に移り変わった学問・科学の世界である事には間違いない。

 それを考慮しつつ、昭和最終時期の「学問・科学史」として我が講義ノートを活用する手立てもありそうな気もする。 
 とにもかくにも、30年間保存してきた我が貴重なコレクションである「講義ノート」を、今後も大事に我が書棚にひっそりと保存しておこう。 

母親への復讐

2017年05月15日 | 人間関係
 「復讐」とまで表現すると何やら物騒な気配が漂うが、ご自身を産んでくれた母親に対し100%愛され続け、そんな実母を今でも尊敬していると高らかに宣言出来る人々とは、少数派ではなかろうか?
 (そんな奴が実際存在しているとするならば、天邪鬼の私など単なる“マザコン”かとせせら笑ってしまいそうだが…


 朝日新聞5月13日付別刷 「悩みのるつぼ」 の相談は、40代女性による 「受けた傷を母親に分からせたい」 だった。
 早速、以下にその相談内容を要約して紹介しよう。

 もうすぐ50歳になる会社員で、結婚し子供もいる。 私はAC(アダルトチルドレン)で、父はアルコール依存症、母は私に当たり散らしつつ、つねる、たたかれるのが普通の幼少時だった。 4歳で初めて自殺を考え殺鼠剤を飲もうとした。
 小さな頃からバカ、ブサイクなどと言われ、自分をそう思ってきた。 けれど現実には私は頭もよく、見た目も平均以上に良かった。 努力して奨学金で進学した。 32歳で今の夫と結婚し、悩んだ末、子どもも産んだ。 ありとあらゆる本を読み、最高の母親になろうとした。 
 努力は実を結び、子どもは虐待など縁の無い性格に育ち、優しい人になった。 そんなある日、母から「あなたがいい子育てをしたのは、私がいい親だったからよね」と何気なく言われショックを受けた。 
 今更自分が受けた傷を話して老いた母を苦しめたくもない。 ただ、黙っているのは辛く、時にノートに自分の苦しみを書きつけている。 私には持病があり、あまり長くない。 ノートは死期が近づいたら処分しようと思っているが、私の人生って何だったのだろう? 人生の先輩に聞いてみたい。
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容を要約引用したもの。)


 引き続き、社会学者 上野千鶴子氏による回答 「自分でつくりあげた人生に誇りを」 の一部を要約して紹介しよう。

 貴女は母親を反面教師にしてそうはなるまいと歯を食いしばって頑張って来たからこそ、良い母親との評価をお母さんより受けることとなったが、母親を反面教師とした事がお母さんには通じないし、そう伝える事も出来ない。
 言っておくが、たとえ口にしても母親には通じない。 私にも似たような記憶がある。 母の死の床で思い余って「お母さん、私は家を出てから自分を必死で育て直したのよ」と言った時の母のセリフ。 「なら、私の子育てがよかったんじゃないの?」 母という名にゃ勝てやせぬ。 そうです、ほとんどの母はモンスターだ。 この怪物の辞書には「反省」という語彙はない。
 貴女にももしかして、そのモンスターが潜んでいないか? 子育ての最終評価者は子ども自身。 貴女の娘さんは母親としての貴女をどう評価しているだろう? もう少し娘さんが大人になったら聞いてみるといいかもしれない。 子どもとは母と祖母との関係をよく見ているもの。 
 ともあれ、貴女は両親から学んでそれとは違う家庭を築いてきた実績がある。 貴女が自分でつくり上げた人生に誇りを持とう。 いずれ娘さんも、貴女から学んで貴女とはまた別の人生を歩むだろう。 その娘を祝福してあげることが出来たなら、貴女はよい親だったと言えるだろう。
 柄谷行人氏のことば「子育てには、成功がない」。 すべての親がこのくらい謙虚ならいいのだが。
 (以上、「悩みのるつぼ」上野千鶴子氏による回答より一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私事に入ろう。

 上記の相談者、回答者両者が記している文面内のエピソードが、我がエピソードと偶然にも見事にダブるのだ。 それに関して述べさせて頂こう。

 まずは、相談者が「小さい頃からバカ、ブサイクと言われた」との部分。
 私の場合「バカ」と言われた経験は皆無だが、美人との誉が高かった姉と比較されて相対的にブサイクだと言われたような被害妄想がずっと脳裏に残っていた。
 それを上京後郷里へ帰省した際に、母に確認せずして済まされるはずもなかった。 
 「郷里にいた頃、美人の姉と比較して私の事をブサイク女扱いしていたよねえ?!?」
 そうしたところ母からすぐさま返ってきたのは、「そんな事誰も言ってないよ。 むしろ我儘で手に負えない姉よりも、特に小学校高学年以降は“スラリとして綺麗な頭のいい子”と妹の貴女の方こそがずっと世間の評判が良かったよ。 それ、あんたの被害妄想以外の何物でもないよ。」とのご回答。 私応えて、「もっと早く言ってよ!」
 その後私が郷里へ帰省する都度、母は「貴女が中学生の時に誰が氏か(実名)が貴女を美人で頭が良いと褒めてたよ~~」等々を繰り返してくれる。 つい最近実母が現在暮らす高齢者介護施設へ行った際にも「貴方が大学生の時に嫁に貰いたいと、誰それ(実名)が親の私に願い出た事を思い出したよ」と、昔のエピソードを語ってくれたりする。 (あまり言われ過ぎると逆効果だし…
 と言う訳で、私の場合は当該事案に関しては既に一件落着している。
 相談者も、私のように思い切ってお母さん相手に「私の事を昔バカ・ブサイクと言ったよね!」と、過去に言われた事実を自身に対する誹謗中傷と判断するならば、本気で問い詰めては如何だろうか。 それすら不能ならば、もしかしたら相談者の親子関係は真に深刻なのかもしれない。

 もう一件、次は上野千鶴子氏のご回答内容から。
 上野氏が死に瀕したお母上に対して告げた「お母さん、私は家を出てから自分を必死で育て直したのよ」との言葉と同様の発言を、郷里の母へ幾度となく発して来た。
 「私はねえ、上京後単身で自分という人間を自分の実力で作り直したのよ。 幸い上京後良き人間関係に恵まれた私は、これ程までに成長したよ。 私は上京したからこそ成功を掴めることが出来たと実感している。 申し訳ないけど、郷里に舞い戻るなどあり得ないからそれを覚悟しておいて。」 
 その我が忠告に従い、現在は郷里の介護施設へ素直に入居してくれている実母に感謝だ。


 最後に、私論でまとめよう。

 私自身も不具合を抱えて誕生せざるを得なかった娘を持つ母親の身になった後には、郷里の実母と娘の成長段階に於いて様々な厳しい軋轢を繰り返した。(当エッセイ集バックナンバーにてそのバトル状況を幾度も公開している。) その苦しい時代が20年程続いただろうか…‥
 堪忍袋の緒が切れそうな時など、本気でこの親と縁を切って捨て去ろうか!!と幾度も考えたものだ。

 ただ、時の流れが解決してくれる課題も多い事を今になって実感したりもする。
 上に記載した通り、現在実母は郷里の高齢者介護住宅にて平穏無事に暮らしている。 母曰く「〇子(私の事)が勧めてくれて介護施設へ入居して本当に良かった。 ここで私は長生きして一生暮らすから安心して。」といつも電話で私に伝えてくれる。 
 あの人(我が実母の事だが)、実は元々良き人物だったのかもしれない、などと自分の母親の事を長年経過した今再びプラス評価する事が叶うような現在だ。

 朝日新聞相談者女性も、もしも叶うならば今のうちにもっと積極的に実母であるお母様と直接話し合いを持たれては如何だろうか?
 それが例えバトルになったとしても、話し合わずして時を過ごすよりも、遠き未来にずっと良き解決策が見出せるような気が今の私にはするのだ。

寿司店での晩餐 2

2017年05月14日 | 人間関係
 (写真は、寿司店で注文した寿司の一部。)


 我が家には、「母の日」の習慣などない。


 何故ならば、サリバン母の私にとっては娘の成長が第一義であれども、娘からのフィードバックなど一切期待できるはずも無かった故だ。

 もちろん、私から実母や義母に母の日に何某かのプレゼントをするとの儀式は毎年実行している。 ただ、その行動 =(イコール)娘からのプレゼント、につながるなど絶対にあり得ないであろう事を私はずっと以前より認識・覚悟してきた。

 だからこそ、私はテレビCMや新聞広告等で「母の日」がどうしたこうしたと報道されようと、本気で何とも思わない人種だ。

 何と言えばよいのだろうか。 そういう事で感激する母親達とは、それで十分に済まされるのだろう。


 我が家にはもっとずっとずっと大きな課題があったからこそ、「母の日」など超越した母子の関係が蓄積されているぞ‼ との感覚と自信を、いつも母の日に抱く私だ。


 我が亭主がそんな母として歩んだ私の心情を知ってか知らずか、母の日前日の昨夜、寿司店で次々と酒のお替りを勧めてくれる。


 随分とお酒のお替りをしつつ「母の日」前夜を心地よく過ごせた私こそが、世界で一番「母の日」を家族に祝ってもらえた気もする。