原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

連休終盤に日本橋を行く。 (岩合光昭氏「ねこの京都」展編) 

2017年05月08日 | 芸術
 (写真は、5月15日まで日本橋三越本店 本館・新館7階ギャラリーにて開催中の 岩合光昭氏写真展「ねこの京都」のチラシと絵はがきを撮影したもの。)


 5月の連休が終わり、私が住む都会では帰省や旅行からUターンした人々で溢れ、巷はいつもの喧騒がすっかり戻って来ているようだ。

 さて。 で、一体我々母娘が何をしに一昨日お江戸日本橋へ出向いたのかと言えば、要するに日本橋三越本店で開催中の「ねこの京都」写真展を見るのが第一目的だった。


 母娘共々、決して“ネコ好き”とまでは言えない人種だ。
 そんな娘が私立中学に合格した際、合格祝いの一端として、(私としては“半分悪ふざけ感覚”で)ヒツジとネコの枕を買ってやったのだが、これが娘に大受けした! 
 枕とは言えども、耳もしっぽも手も足もちゃんと付いていて立派なぬいぐるみだ。 そして、お顔の表情や全体の姿に愛嬌があって、下手なぬいぐるみよりも私の目にはずっと可愛いかったのだ!

 娘は幼少の頃より、ぬいぐるみが好きな子どもだった。 そんな娘におばあちゃんである義母が、毎年誕生日やクリスマスには必ずやぬいぐるみをプレゼントしてくれた。 その数たるや小学生時点で一部屋に入り切らない程になり、娘が要らないものから徐々に鬼母の私が廃棄処分としていった。
 娘はその中でも、特にキティちゃんの特大ぬいぐるみをまるで妹のように可愛いがった。 汚れてボロボロ状態にもかかわらず、それを廃棄処分にすることは娘虐待に繋がると考えた私は、娘の意思に任せた。

 私立中学受験に合格した際、もう潮時かと考えた私が、キティちゃん特大ぬいぐるみを捨てる提案をした。 それをすんなりと受け入れた娘だったのだが、何だか惨たらしい事をした感覚があった私が採ったのが、新たにヒツジとネコの枕をプレゼントするとの行動だった。

 娘は特に、ネコの枕(というよりも娘にとってはぬいぐるみだが)に対し“過去の”特大キティちゃん”よりも思い入れを抱いた様子だ。 今となっては、ヒツジもネコも娘に可愛がられオンボロボロの姿になりつつも、我が家の一員のごとく堂々とソファーに居座っている。

 という我が粋な計らいのお陰で(??)、娘はヒツジとネコに興味がある様子だ。 
 我々一家が住む高層住宅は、背丈制限があるものの一応小型動物を飼育してよいとの管理規約がある。 とは言えども、それを実行に移したならば私の日常業務が増えるだけだ。
 ここは、事ある毎にヒツジやネコの催しもの企画に娘を誘(いざな)おうと心得ているサリバンである。


 我が家の特質事情の話題が長引いてしまったが、表題に戻そう。

 5月の連休を挟みわずか2週間足らずの写真展との期間制限もあるのだろうが、とにかく会場は大混雑だった。

 私の展覧会の感想だが、写真に映ったネコが可愛いというよりも、とにかく岩合光昭氏の写真の数々が実に見事だった。
 今回の岩合氏によるねこ写真展のテーマは、京都春夏秋冬の四季や京の人々の生活に溶け込む日常のねこ達の姿を捉えたものだった。 その風景こそが美しく、また京都へ行きたいなあと誘われる気分だった。


 そして、何よりも日本橋三越本店にて当該写真展が開催されている「主眼」の程を実感させられたのが、ミュージアムショップだ。
 「あれ、ミュージアムショップがないよ?」と娘と言い合っていると、なんのなんの。

 写真展会場の何倍ものスペースを取って、「ねこの京都」写真展横の三越本店本館に「ネコグッズ」販売フロアが設けられていたのだ!!

 犬・ネコブームの現在、三越本店はこの「ネコグッズ」販売により、岩合光昭氏写真展開催中に膨大な売上利益を稼ぐことだろう。