原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「マレフィセント2」 ディズニーは何故戦争映画を作る??

2019年10月19日 | 時事論評

 

  (写真は、昨日映画館にて見たディズニー映画「マレフィセント2」の新聞広告より転載したもの。)

 

 大変失礼申し上げました。 題名のみ決定して「下書き」処理したつもりが、すっかり公開されていたようです。

 題名のみで、既に「いいね!」を頂戴しているようで誠に申し訳ございませんが… (題名にインパクトがあったとすれば素人エッセイスト冥利に尽きますし、確かに「題名」こそがエッセイ本文内で言わんとする主題の半分以上は語るべきものと、自分でもいつも心しております。)

 とりあえず写真を公開致しました。 午後になりましら更なる「いいね!」を頂けるべく当該「映画レビュー・オピニオンエッセイ」を力強く!綴りますので、どうかもうしばらくお待ちいただけますように。

 

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 午前中は、大変失礼致しました。 決して“フェイントをかけた”訳でも何でもなく、単なる私の(老化現象に伴う?)ミスにより、表題のみを先行公開してしまったとのいきさつでした。

 

 さて、昨日見た映画「マレフィセント2」だが。

 これは写真内にも書かれている通り、「眠れる森の美女」の“新たなる伝説”を描いた実写作品だ。

 私は昨冬、同じくディズニー制作の「くるみ割り人形実写版」を見て、本エッセイ集内にそれに対する(マイナーな)感想エッセイを公開している。

 2019.12公開の「映画版“くるみ割り人形、クラシック芸術を冒瀆していないか!?」の一部を以下に引用させていただこう。

 名作古典童話の映画化はよくある。  例えばこの私も昨年は「美女と野獣」、それよりもっと以前に「白雪姫」を映画館にて見た。  それらに比しクラシックバレエ古典名作の映画化とは、私が知る限りではこれが初めてではなかろうか? 

 映画「くるみ割り人形……」に関する情報は、事前に冒頭写真の新聞広告やネットでの宣伝動画等により得ていた。
 今回の映画「くるみ割り人形」はディズニー社制作によるものだが、あくまでも映画館興行用に“娯楽作品”として制作された事実に関してはもちろん把握して出かけたものの…。

 映画冒頭でいきなり チャイコフスキー作曲「組曲 くるみ割り人形」小序曲が流れた時には、目頭がウルウルした。 というのもクラシックバレエのみならず舞台公演に於いては、誰しも開演前から観客の皆さんは期待満載であろう。 内面から溢れ出る感動を抑えつつ開幕を待つものだ。 それ故に「くるみ割り人形」のみならず、全ての舞台に於いて小序曲の果たす役割とは絶大であろう。   ところがどうしたことか、(私に言わせてもらえば)最低限この「小序曲」に関しては全曲を流すべきなのに、なんと映画版は途中で名曲をブチ切り場面を変えてしまったのだ。 (これ、クラシックバレエファンにとってはあり得ない)作曲家チャイコフスキー氏に対する侮辱と捉えた。
 
 その後もこれの繰り返しだ。
 例えば我が娘がクララの友達役で舞台で踊った「行進曲」しかり。 
 私が好きな「ロシアの踊り(トレパーク)」「アラビアの踊り」「足笛の踊り」「雪の精の踊り」そして、何と言っても舞台メインの「花のワルツ」までをも、映画版では偉大なるチャイコフスキーの楽曲すべてを途中でブチ切ったり、映画ストーリーに合わせて断裁して使用しているのだ!  この事実こそが、クラシックバレエ舞台ファンにとってはアンビリーバボー! でしかない。

 バレエの踊りに関しても。  確かに、おそらく米国のプロバレエダンサーと思しき人物達が素晴らしい踊りを披露する場面もあった。
 特に映画が終焉たした後に、「金平糖の踊り」を流しつつ踊りを少しコンテンポラリーにアレンジしたがごとくのダンスが比較的長時間上映された。 (これが、クラシックバレエを比較的まともに取り上げた“唯一の”場面だったと言えよう。)

  いや確かに、「芸術」であるクラシックバレエと「娯楽」位置付けの映画との間には今尚埋められない溝が存在することであろう。  ただ熊川哲也氏など若くしてその「溝」を埋めようと、以前より努力しておられる人材だろう。  今回の予告編でも、熊川氏による「クラシックバレエ」映画化チャレンジ風景を拝見した。 というよりも、熊川氏はご自身が主催されているバレエ団舞台の「映画化」を既に実現済みだ。
 私が素人感覚で思うに。   舞台と映画との一番の “埋められない格差” とは、その「鑑賞料金」ではあるまいか?  その格差とは、実際問題数倍以上の開きがあろう。

 娯楽である映画が何を制作しようと自由なのはもちろんのこととして。 常にリアルタイム勝負の舞台芸術と、幾らでも編集作成可能かつ世界中へ配信可能な映画を一緒くたにした挙句。  特にクラシックバレエとの古典芸術に及んでまでチャイコフスキー古典名曲を途中でブチ切りつつ、あくまでも“出来上がったフィルムを再現すればカネになる”映像との手段で、安易に映画制作公開している事実に異議申したい!

 (以上、我がエッセイ集2019年12月公開のバックナンバーの一部を引用したもの。)


 実は昨日、映画「マレフィセント2」を見るに際し上記同様の懸念を抱きつつ出かけた。 (これまたチャイコフスキーの名曲を途中でぶち切ったり、中途半端なクラシックバレエシーン映像を流すのだろうな……)

 ところがどっこい、その予想は120%勘違いだった。 もっとずっと酷い内容だったのだ!

 チャイコフスキーもクラシックバレエもその欠片もない映画だった。 それはそれで良いだろう。 上記のごとく中途半端にそのシーンを入れたものならば、必ずや私同様クラシックバレエファンから非難轟轟の結末となろう。

 この「マレフィセント2」が如何なるジャンルの映画だったかと言うならば。 まさに「戦争映画」だったのだ!  いや、如何なる童話や物語であろうが、必ずや「争い」や「闘い」の場面を敢えて入れ、起承転結を描くものである事はこの私も重々理解できている。

 それに比しこの「マレフィセント2」は、私に言わせて貰うと全体の8割が「戦闘場面」だったと結論付けても過言ではない。 登場人物や怪物・妖精たち総動員で“殺戮武器”を使用しての戦い大バトル場面を繰り広げた。 

 この映画、もしかしたら私同様にクラシックバレエファンも多く見に行くかもしれない。 昨日は公開初日で観覧者が少なく、学校が休みでないため一人として子供の姿を見かけなかったのが幸いだったが。  本日より休日だ。 これを利用して、親子連れでこの映画を楽しむ家庭も多いかもしれない。 年端もいかない子供達がこの映画を見るのかと思うと、何とも忍びない……

 そう言えば、近い過去に見た「ドラえもん映画」も戦闘場面が多かった。 ドラえもんの超能力を戦争の武器として利用した描写に、私は批判的エッセイを綴り公開している。

  近頃の映画制作とは、たとえ子供向きのメルヘン作品であろうが、「武器を使用した戦闘場面」を描かずして興行収入が成立し得ないのだろうか? 

 そんな時代に移り果てている末恐ろしさを垣間見せられた、昨日の我が映画観賞だった。


誕生日に「夢」を語ろう

2019年10月17日 | 自己実現

 私は、“年齢を重ねる”ということを肯定的に捉えている。

 故に「若い頃に戻りたい」だの、「また歳をとって嫌になる」等のマイナス感情は一切無い。

 

 毎年誕生日が来るのが実に嬉しい。 また一つ“実績を積み上げられ成長出来た”との満足感に浸れる故だ。

 子どもの頃は違ったかもしれない。  親の扶養の元に生きねばならず、自ずと制限が多く自由度が低かった故だ。

 上京を決意しそれを実行した後は、すべての選択を自らの思考と決断の下に執り行ってきている。 すべてが自己責任範疇だ!  その観点で様々な目標にチャレンジしつつ、夢を叶えつつ私は現在に至っている。 私の辞書には何らの郷愁や回帰の余地はない。

 

 話題を変えよう。

 本日午前中に、我が公的年金振込口座がある金融機関の担当者が我が家にやって来た。 この金融機関は毎年誕生日になると、プレゼントを持参して年金口座主の自宅を訪問している様子だ。  本年度より担当者が交代し、新しい担当者氏が単身で我が家を訪れるのは初めての事だ。

 昨年度まで4年間近くお世話になった担当者氏とはお互いに複数の“共通項”があった関係もあり、誕生日のみならず頻繁に我が家を訪れてくれ、談話を楽しんだものだが。  参考だが、その“共通項”の一つとは、お互いの大学(私の方は2度目の大学だが)での専攻分野が一致していて、私がお世話になった恩師教授が、後に担当者氏の私学大学学長になっていたり。 (この話題を聞いた時には、私側が驚いた。 この恩師は金融論分野で日本でも著名な学者先生だったのだが、大学院時代に当該教授から「(我が)レポートのまとめ方が素晴らしい!」とお褒め頂いた、との栄誉ある記憶があるのだ。)

 本年度よりの若き担当者氏とは、さすがに年齢的ギャップが大きいためかその種の話題の一致は無いのだが。 それでも営業職種者の例外ではなく明るく闊達な会話が弾み、我が誕生日の初っ端から楽しい時間が流れた。

 

 「誕生日に『夢』を語ろう!」などとの、大それた表題を掲げたが。

 その年金に関してだが。 (ここでは我が年齢は伏せておくが。 などと言っても過去に幾度も我が年齢を公表しているため、ご存知の読者の方々もいらっしゃることであろう。) 

 「夢」を語るためには、その前提としてやはり“ある程度の”経済的基盤”が欠かせない事に間違いない。 私の場合、後1年年齢を重ねれば、我が公的年金が増額するところまで来ている。 

 という事は私自身の経済的バックグラウンドから考察して、これから1年間は大きな変動を起こせない立場であろう。 (参考だが、我が家では亭主と「公的年金独立採算制」を採用している。 更に参考だが私は独身時代に「個人年金」にも加入し、その年金掛け金を我が独力経済力により出費し現在我が権利として受給している。)

 その関係で、我が普段の私的行動はおそらく今まで通りの展開となろう。

 もう1年経てば我が「公的年金」が確実に増額する事に期待しつつ、私はまだまだ積極的に生き伸びるぞ! 

 

 と言う訳で。

 誕生日に際し「夢」を語ろうにも、私自身の経済力が未だそれを高々に語れる程には貧弱である事実に気付く始末だ…

 ここは今までレベルの自身の人生を歩むのが一番のようだ。

 親族皆がある程度健康であるべく最大限の支援しながら、本日1歳年齢を重ねた私としては。

 昨年まで同様に 「きちんと生きる!」 事こそをメインテーマとしよう!


この1年、私はきちんと生きたか?!

2019年10月16日 | 自己実現

 明日、私は誕生日を迎える。

 それに先立ち、この1年を私はきちんと生きたか? に関して、是非共自己検証しておきたい。

 

 まずは、健康面から。

 今年も元気で良かった!  と信じようとしていたところ、誕生日目前期にして10年ぶりに内科を受診する始末となった。 その結論は未だ出していないのだが、私は我が主治医の診断を尊重したい。 多少の不調を未だ引きずっているものの、主治医が発してくれた「貴女はお元気だと思います。」の言葉を、元医学関係者として受け入れたく思っている。

 その他に関しては突発的なけがもなく、ほぼ順調だったと言えよう。

 

 次に、人間関係。

 まずは、親族関係から。 私程、親族から絶大な信頼を得つつ当てにされている人間も珍しいのではあるまいか?  その一番の原点は、上記のごとく私が健康である故と分析する。 私が親族の前で一言でも「体調が悪い」などとボヤいたものならば、その信頼は一気に吹き飛ぶことだろう。  あるいは若き頃から培ってきた我が専門力の程も、十分に役立っていると自己評価する。 親族から何を訴え出られても、それに即時対応可能な能力と行動力を発揮可能な自負もある。

 これを我が栄誉と捉え、今後共、親族皆の期待に応えたいものだ。

 実際、(亭主は後回しにしておいて)娘もサリバンの指導通り、順調に自分が進むべき道を精一杯歩んでいる。  実母・義母(認知症と難聴には困惑させられるが)は私の支援を大いに当てにしつつも、比較的元気に施設ライフを送ってくれている。 義母に関しては、私が保証人になった7年程前から徐々に不要な投薬を減らしていった事実も、現在の調子の良さの一要因であろう。 実際、実母も義母も何かが起れば、必ずや娘(嫁)が助けてくれると信じて疑っていない。 私としても有難いことだ。 その信頼に応えるべく、今後も精進しよう。   ああ、亭主ねえ。 あの人こそ口には出さないが、私に一番依存している事であろう。

 その他の人間関係だが。

 この1年に於いて一番鬱陶しかったのは、当該gooが3月に編集画面の大改造を実施した事だ。 あれ以来、編集画面へ行くのが嫌で嫌で…  と言いつつも、エッセイ執筆時には行かない訳に行かず、嫌でもアクセス数だの「いいね!」数だのの「数値」に満ち溢れた“あの画面”を通過せねばならない。  ただ一点面白いのは、goo担当者の方々とチャットが出来ることだ。 事ある毎に種々の問題提起をせんとして、チャットに励んでいる。 いつも誰も待機していないのだが、あれを有効利用しているのは少数派だろうか??  そのお陰か?「スタッフにアピール」に取り上げられて、我がブログをピックアップして下さるのは嬉しい。 それをして頂かない事には、我がオピニオンブログになど今となっては誰も近づかない事だろう。

 

 自己実現面に関しては。

 今年は、ランニング練習によく励んだと自分を褒めたい。 11月にロードレースを控えているが、益々ランニング力を“私なりに”レベルアップしたいものだ。

 娘と二人の「ウィーン個人旅行」もよく“頑張った”!  見知らぬ地で、現地の人々の人情に触れる事も叶ったし、(台北のごとくの“バスタブにて後頭部強打”)等の事故もなく、比較的元気に帰国できたのも何よりだ。  遅ればせながら現在フォトブックを作成中だが、その写真を今見ると、何とも美しいウィーンだこと! 年内に作成して、我が宝物としたい。

 体型維持も、よく頑張った。 いえいえ何を努力している訳でもないが、日々数回ずつ体組成計に乗って、我が身体情報を綿密に確認している。  165㎝、46kgのモデル体型??!? (一人で言っていよう。)を維持したまま、また一つ年齢を重ねられる事実が自己満足感を増強させてくれる。

 

 何だか自分に都合のいい事しか思い浮かばない「1年間の総決算」となったようだ。

 ただ、それこそ私が前向きである証拠と気分良くして、明日新たな年齢を迎えよう。 


高齢者ブロガー氏達との適切な距離の置き方

2019年10月15日 | 人間関係

 つい最近の事だが、当該「原左都子エッセイ集」を介して見知らぬブロガー高齢者の方々と直接かかわる機会が複数回あった。

 その一つは。

 2019.10.03に公開したエッセイ、「大学の授業内容を学生に決めさせるなどあり得ない!!」に対し、メッセージの形で反論”を頂戴した。

 驚いたのは(などと表現してはメッセージを送信下さったブロガー男性に失礼なのだが)、そのブロガー氏から2度目に頂戴したメッセージにて、何と“85歳”とのご高齢である事実が表明した事だ!

 まず、その反論者のブログを拝見した。 とてもしっかりとしたブログ構成、かつ文章も達筆であられる。 ただ我が感想では、現時点や近き過去に於いて“”プロ”としての何らかの学問活動等はなさっておられない様子だと捉えた。

 そして、以下のごとくの返信を差し上げた。

 《 この度は、「原左都子エッセイ集」宛に貴重なメッセージを頂戴いたしまして、誠にありがとうございます。 少しも「失礼」ではございません。  私どもは、このような真面目に頂けるメッセージを常に歓迎申し上げております。 〇〇さまのご意見も、ごもっともと実感申し上げます。  まず、朝日新聞の件ですが、時代がネットへと変化した今、確かに紙面にて届けられる新聞が「軽量・軽薄化」している現状を私自身も嘆いておりましたところです。

 〇〇さまは、私学ご出身とのこと。 おそらく私よりもずっと若い世代のご人物かと想像致しますが、このような反論を頂戴出来る事実から推察申し上げて、実直に学問に励まれた事であられるのでしょう。

  私どもが記載しましたオピニオンに関しましては、我が実体験等々に基づき綴っておりますが。  〇〇さまのごとくの反論がございますことは、十分に把握申し上げてもおります。 それを伝えさせて頂きたく思い、ご返答申し上げました次第です。

   「原左都子エッセイ集」  著者 原左都子  》

 

 上記にも記したが、お相手が対等なご年齢やお立場と想定可能ならば、私は相手に迎合するかの如くの返答では済ませたくは無かった。 本音を言えば、持論をもっと深く訴えたかった…  更には、私は朝日新聞の40年来のファンだ。 だからこそ敢えて「天下の」などとの表現を使用した訳だが、それがお気に召さないからと言って、それを直接的に非難する行為とは危険性すら孕むのではなかろうか。 等々、私側としては欲求不満を溜めつつの“いい人ぶり”演技返答だった。

 この我が返信を受けて再び、〇〇さまより一部反論が届けられた。 その内容とは、ご自身のご年齢に関する事が主題だった。 この方、実は85歳であられたとの訳だが…

 これに関しては私側の単なる“勘違い”であったが故に、それに関しては素直に詫びる2度目の返答を送信した。

 その後、〇〇さまより今一度メッセージを頂戴した。 内容としては、今後共ご自身のブログを訪問して欲しい、との趣旨だったと解釈出来よう。  (この時点で、私側からのメッセージ返答は打ち切っている…。)

 

 もう一件の事例だが。

 こちらに関しては、かなり頻繁に我がブログを訪問して下さり、また「いいね!」等のご反応も頂戴していたため、一度御礼のメッセージを発信するべきとの我が考えに基づき、それを実行させて頂いた。

 直ぐにお相手よりご丁寧に返信を頂戴したのだが。 どうやら、「原左都子エッセイ集」に特化して「いいね!」等を発信されていた訳ではなかったご様子だ。

 それは特別ご高齢者に限らず、一般ブロガー達も日々“そうしている”ことであろう。 要するに相手のブログを“読みもせず"して、ご自身がその返礼が欲しいがために「いいね!」を乱発している実態との現実なのだろう。

 ただこの2件目の御高齢者の方は、実に誠実な方だった。  今一度、私から「原左都子エッセイ集」の自己紹介も兼ねて返信申し上げると、それにも丁寧な更なるご返信を頂戴した。

 

 はてさて、ご高齢域に達して尚ご自身のブログを立ち上げ、それを介して“世と繋がりたい”と欲している方々と如何なる接触を成すべきか。

 それを上手くこなしている高齢者ではないブロガーとは、そもそも我が「原左都子エッセイ集」とは趣向を全く異にして、その場面も重々想定した上でブログを発信されているのであろう。

 

 私自身が「コメント欄」を公開していた2011年以前頃にも、高齢者の皆さんより反論・同感等々のコメントを沢山頂戴している。 ただそれらは、間違いなく私が発信したオピニオンテーマに対するご意見である事に揺るぎなかったものだ。 そのコメントのお陰で我がコメント欄がどれ程活性化され、更なる議論が活発化したことか! 

 そんな我が“過去のコメント欄の栄光”を振り返るにつれ…。

 今現在、高齢者ブロガーが中心とも言えるブログ界を、我がオピニオンブログとしては、今後如何に渡るべきかとの課題を突き付けられた思いでもある…


再掲載 「サンバクラブリーゼンシー」

2019年10月14日 | 恋愛・男女関係

 実は、本日はまったく別カテゴリーエッセイを綴る予定でいた。

 ところが昼過ぎ頃から若干の体調不良と共に、気持ちの持ちようも動揺し始めた。

 そこでガラリと趣向を変えて、原左都子“得意の”(??) 恋愛カテゴリーバックナンバーを再掲載してお茶を濁そう。

 

 それでは、2007.11.18バックナンバー「サンバクラブリーゼンシー」を、頂いたコメントも含めてお楽しみ下さい。

 

 ウィークエンドのこんな夜は、いつもとちょっと趣向を変えて、心ときめいた青春の一ページでも綴ってみましょう。

 ひと昔前の話になるが、新宿西口超高層ビルの一角にある外資系Hホテルの別館に、「サンバクラブリーゼンシー」というディスコがあった。 ここはディスコとはいっても顧客の年齢層が若過ぎず比較的落ち着いた雰囲気が特徴で、当時、一部のアダルト層にはひとつの隠れた人気スポットだった。

 その日、ボクは会社の社員表彰式がHホテルであった流れの2次会のため、表彰式に出席した仲間数人とこの「サンバクラブリーゼンシー」に繰り出していた。
 仲間と盛り上がっていると、隣の席に女の子二人連れが案内されてきた。 黒い服を着た方の女の子のノースリーブのすらりと伸びた繊細な腕が、一瞬にして僕の目に焼きついた。 年齢的にもちょうど狙い目なのだが、向こうは二人連れ、こちらは数人、人数が合わない。 迷ったが、別グループの男連中に先を越されてもしゃくだし、ボクはグループのリーダー格でもあったので、思い切って早速声をかけた。 ふたりは快く応じてくれ、いっしょに飲むことになった。
 そのうち、運がいいことにボクの仲間のうち若い連中が先に帰ることになり、うまいぐあいに2対2になった。 女の子たちの酔いも回り始め、さらに盛り上がる。 ボクはどうしても黒い服の彼女の細い腕が気になる。 どうにかして触れたい。 だんだん後のことはどうでもよくなり、頭の中はその下心だけになっていく。 彼女の腕に触れる妙案はないものかと思いをめぐらせているうち、ウィスキーの水割りを作る氷を利用する方法を考え付いた。 氷の冷たさを利用して一瞬にして腕を握ろうとたくらんだのだ。 これが思った以上の大成功でボクは彼女の腕を握ることができた。

 という訳で、ボクの「サンバクラブリーゼンシー」の思い出は“彼女の細い腕”と“氷”なのである。

 その後、二人はどうなったかって?  それは、 ひ・み・つ… 

 
 
出逢い (inaka)
2007-11-19 09:46:38
いつ どこで だれとだれが
どんな出逢いをするか 
どういうめぐり逢いをするか
それが大事なんだなあ

絶対の人との出逢い
その人の前にでると
絶対にうそが言えない
そういう人を持つといい

・・・とつづき

一生に一人でいい
そういう人を持つといい

で終わります
 
inakaさんへ (原左都子)
2007-11-19 10:07:40
inakaさん、素敵なコメントをありがとうございます。
相田みつを、私も是非読みます。
人との出逢いって、いつも劇的で奇跡的です。
今回私が綴った青春の一ページは、“腕”から入った出逢いです。 若かりし時代の忘れられない思い出です。 ひとつひとつの出逢いをいつまでも大切に心の中で暖めていたいと思います。
 
さとちゃん! (バン吉)
2007-12-03 20:46:13
サンバクラブも懐かしいんだけど、六本木のスクウェアビルのちょっと向こうのお店も懐かしいよね。
今は、ああいうお店がまったくないね。 古き良き時代だよね。 
バン吉さんへ (原左都子)
2007-12-03 21:05:31
バン吉さん、また来てくれてありがとう!
私はもうここ20年以上、六本木で飲んだことはないよ。スクエアビルなんてまだあるのかね?向こうのお店ってSでしょ。あそこはもう20年前に既につぶれてたよ。でも、確かに懐かしいね。今はどこへいってもチェーン店が多くて同じような店ばっかりだもんね。昔の六本木らしさなんてないね。
新宿だってそうだし…。なんで、どこもかしこも個性のないこんなにつまらない時代になったんだろうね。
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 この恋愛物語の舞台が、西新宿ヒルトンだったか、センチュリーハイアットだったか、頭が混乱していたのだが、本文を読んで“ヒルトン別館”だった事を鮮明に思い起こした。
 “腕から入った出逢い”。 素敵でしょ!
 実際私は自分で言うのも何だが、生まれ持って“腕の骨格ライン”が美しかった記憶がある。(脚のラインも!??) いえ、今でもそこそこ美しい(??)のだが、どうしても加齢と共に鮮度が落ちるしね…。
 もっと図々しく書かせてもらうならば、この恋愛以外にも私の「腕」に惚れた男がいた。 こちらは美術家氏だったがその「腕」の惚れ様が半端でなく、後々未練タラタラ追いかけられたのに困惑したものだ。 
 コメント欄に話題を移すと。
 
 inakaさんとは、我が「原左都子エッセイ集」トップバッターとして読者登録を頂戴した方だ。 このエッセイが2007.11公開との事は、それ以前よりに読者登録いただいていた計算となる。 そんなに早期からファンになって下さっていたとは、頭が下がる思いだ。    このinakaさん、あれから12年経過した今尚1日も欠かさず我がブログに訪問頂いている。(inakaさん、こんな所で引き合いに出させて頂きましたが、ご迷惑でしたらお詫び申し上げます。)
 片や、バン吉さんに関してだが。 この方は、我が独身時代中盤期頃の知り合いの人物だ。(今現在、連絡がほぼ途切れた状態だが…) 私が20代より70年代ディスコを愛好していた事を十分にご存知で、よくディスコ談義をさせていただいたものだ。 スクエアビルのちょっと向こうのお店「S」とは、サパークラブ「最後の20セント」なのだが、もしかしたら当時六本木通で行かれた方もおられるかもしれない…
(台風19号豪雨大被害の中、不謹慎とも言えるエッセイにて大変失礼致しました。)