礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

森永、ポケット用ブリキ缶入りキャラメルを発売(1908)

2013-10-05 03:07:28 | 日記

◎森永、ポケット用ブリキ缶入りキャラメルを発売(1908)

 昨日の補足である。
 昨日、森永は、一九九九年(明治三二)の創業当時からキャラメルを製造していたと書いたが、このことは、『森永五十五年史』(森永製菓株式会社、一九五四)の二〇六ページに載っている開店挨拶用の「引札」によって確認できる。この引札は、一九九九年八月のものとされ、開店の挨拶のあとに、卸と小売をおこなう商品の目録が掲げられている。商品は、「キヤンデーの部」と「御菓子〈ケーキ〉の部」に大別されているが、「キヤンデーの部」の三番目に、「フレンチ、キヤラメル 種々」とある。
 同じく昨日のコラムで、「森永ミルクキャラメル」の発売は、一九一三年(大正二)で、最初は、一粒五厘でのバラ売り、その翌年一九一四年(大正三)に、ポケット用サック入りの「森永ミルクキャラメル」が発売されたと述べた。
 これは、間違いのない事実である。さらに詳しく言えば、バラ売り用の「森永ミルクキャラメル」が発売されたのが、一九一三年(大正二)の六月一〇日、ポケット用紙サック入りの「森永ミルクキャラメル」(二〇粒入り一〇銭)が発売されたのが、一九一四年(大正三)の三月二〇日である(『森永五十五年史』年表による)。
 ところが、昨日、インターネット上で、次のような経済記事を見かけた。

 滋養豊富、風味絶佳――。黄色を基調としたレトロなデザインの紙の箱を特徴とする、森永製菓の定番菓子「森永ミルクキャラメル」が、2013年6月10日に発売100周年を迎える。
 森永製菓の創業者である森永太一郎が米国でキャラメルと出会い、帰国後に「日本の子どもに栄養価の高い菓子を」と、試行錯誤を重ねて作り上げたのが、森永ミルクキャラメル。1913年に、現在と同じような紙箱入り(発売当時の価格は20粒で10銭)で発売されたのが歴史の始まりだ。

 前段・後段ともに正しくない。「現在と同じような紙箱入り」で、「黄色を基調としたレトロなデザイン」の「森永ミルクキャラメル」が発売されたのは、一九一四年三月二〇日だからである。右記事の誤りは、たぶん、記者の取材が不十分だったことによるものだろうが、森永側の広報そのものに不備があった可能性も否定できない。
 なお、話がこみいるが、森永は、一九〇八年(明治四)にも、ポケット用キャラメルを発売している。このポケット用キャラメルは、ブリキ小鑵入り一〇粒一〇銭と高価だったため、あまり売れなかったという。『森永五十五年史』の二二八ページには、その写真が載っている。ブリキ小鑵のフタには、T.Morinaga & Co.’s Pocket Caramelsと書かれている。商品名は「森永ポケット用キャラメル」あたりか。いずれにせよこれは、「森永ミルクキャラメル」ではない。【この話、さらに続く】

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