◎木の札の文字を頼りにタネを掘る(二宮尊徳)
昨日の続きである。福住正兄の『二宮翁夜話』から、「原文」の一部、および、それに対応する現代語訳(拙訳)を紹介する。原文は、岩波文庫版(一九三三)のものを使用した。
【百七十二】家僕芋種〈イモダネ〉を埋めて〈ウズメテ〉、其上に芋種と記せし、木札〈キフダ〉を立たり〈タテタリ〉、翁曰、卿等〈ケイラ〉大道は文字の上にある物と思ひ、文字のみを研究して、学問と思へるは違り〈タガエリ〉、文字は道を伝ふる器械にして、道にはあらず、然るを書物を読て〈ヨミテ〉道と思ふは過ちならずや、道は書物にあらずして、行ひにあるなり、今彼の処〈カノトコロ〉に立たる木札の文字を見るべし、此札の文字によりて、芋種を掘出し、畑に植て作ればこそ食物となれ、道も同く〈オナジク〉目印の書物によりて、道を求めて身に行ふて、初て〈ハジメテ〉道を得る〈ウル〉なり、然らざれば、学問と云ふべからず、只本読みのみ
《下男がイモダネを土に埋めて、その上に芋種と書いた木の札を立てました。翁は門弟にこう言われました。「おまえさんたちは、大道というのは文字の上にあるものと思って、文字ばかり研究して、それを学問だと思っているようだが、それは違う。文字は道を伝える道具で、道そのものではない。それを、書物を読んで、それが道だと思っているのは誤りではないのか。道は書物でなく、行ないにある。今、あそこに立っている木の札を見てみなさい。あの札の文字を目印にしてイモダネを掘り出し、それを畑に植えて作ることで食物になる。道というものも同じだよ。書物という目印によって道を求め、実行することで、初めて道を得るのだ。そうでなければ、学問とはいえない。ただの本読みにすぎない。」》
二宮尊徳のある日の訓話を、福住正兄は、いかにもそれらしく再現している。
ちなみに、イモダネは、タネイモともいう。来春に備えて、収穫したイモの一部を保存しておくのであるが、それをイモダネ、またはタネイモという。タネと言っても、イモそのものである。ここに出てくるイモダネは、たぶんサトイモのことであろう。
この訓話を、無理やり川柳風にまとめれば、「木の札の文字を頼りにタネを掘る」となるか。
今日の名言 2013・10・11
◎道は書物にあらずして、行ひにあるなり
二宮尊徳が、弟子の福住正兄に語った言葉。岩波文庫版『二宮翁夜話』の158ページに出てくる。上記コラム参照。