礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

森永ミルクキャラメルと岩波書店の意外な接点

2013-10-21 04:08:52 | 日記

◎森永ミルクキャラメルと岩波書店の意外な接点

 森永ミルクキャラメルが発売されてから、本年で一〇〇年になるという。岩波書店もまた、今年で創業一〇〇年だという。
 この両者の間には、「今年で一〇〇年」ということとは別に、意外な接点があるようだ。そのことに気づいたのは、数日前、たまたま、大塚久雄の『社会科学における人間』(岩波新書、一九七七)を手にしたからである。
 その一四二~一四三ページに次のようにある。

 もちろん、彼ら〔禁欲的プロテスタンティズムの信徒〕の抱く隣人愛のイメージのなかには、さまざまなことがらが含まれていたでしょう。しかし、現実の生活のなかで、彼らがいちぱん強調せざるをえなかつたのは、こういうことだったのです。自分たちはさまざまな商品を生産して史上に供給している職人や農民だ。だから、自分たちにとっては、隣人たちがほんとうに必用とし、手に入れたく思っているものを、できるだけ良質に生産し、できるだけ安い値段で供給する。それこそが、さしあたってまず実践しなければならぬ隣人愛の内容ではないか。そういうふうに考えたのです。ともかく、このように禁欲的プロテスタンティズムは、「資本主義の精神」の著しい特徴の一つをなしている「世俗内的禁欲」のエートスを生み出すことになったのです。
 もちろんその裏側として、こうした「世俗内的禁欲」のエートスは、古い商人たちの道徳など物ともしない暴利や高利貸の搾取をとうてい許しえなかったわけですが、それにはまだ少し追加的な説明が要るようです。実は、商人たちがそうした掛け値・値切りの売買による利潤――いわゆる譲渡利潤――を獲得できたのは、一般の人々も日常生活のなかで当然のこととして掛け値を言ったり、値切ったりしているというそうした土壌が、前提としてあったからです。日本ではつい五、六十年まえぐらいまで、そうした掛け値や値切りは日常的に見られたことでした。これが無くなりはじめるのは、私の記憶では大正二、三年ごろ、あの定価売りのミルクキャラメルが出まわりだし、それから岩波書店が古本の定価売りをはじめた、あのころからではなかったかと思います。ところで、ヴェーバーによると、イギリスやアメリカで掛け値や値切りをやめ、正常価格での売買を押し広めていったのは禁欲的プロテスタンテイズムの信徒たちだつたのです。つまり、彼らは、古い商人たちの営みを倫理的に批判するだけでなく、それを可能にする土壌をもつぎつぎに掘り崩していったのでした。

 大塚久雄の記憶によれば、森永製菓の「定価売りのミルクキャラメルが出まわりだし」たのと、岩波書店が「古本の定価売りをはじめた」のとは、大正二、三年ごろとあるという。大塚のこの記憶は、かなり正確である。
 岩波書店の創業は、大正二年(一九一三)であった。創業当時の岩波書店が古本屋であったこと、しかも「古書の正札販売」を謳う、当時としては異色の古本屋であったことは、よく知られている。森永ミルクキャラメルの発売は、大正二年(一九一三)で、この時は、バラ売り。翌大正三年(一九一四)に、今日のような紙サック入りが発売された。ただ、森永製菓が、「定価売り」の方針を特に強調していた会社だったのかどうか、その「定価売り」が、ミルクキャラメルを嚆矢としたのかどうかは、確認する必要がある。
 いずれにせよ、森永製菓や岩波書店は、日本において、「掛け値や値切りをやめ、正常価格での売買を押し広めていった」パイオニア的存在として受けとめられ、その影響が、その後、あらゆる業界に及んだということはあったように思う。こうしたことを忘れずにいた大塚久雄は、さすがだと思う。

コメント
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