◎「読書子に寄す」岩波茂雄署名は、『新訓万葉集上巻』から
一〇月二二日のコラムでは、岩波文庫の巻末にある「読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して」を、初期の形で復元しておいた。
この時、いつまでが「初期」の形(岩波書店署名)で、いつから「現在」の形(岩波茂雄署名)になったのかに言及しておいてもよかったのだが、あまりにもマニアックな考証なので遠慮しておいた。しかし、せっかく調べてみたので、以下、それを書き留めておく。
結論的に言えば、「初期」の形になっている岩波文庫は、一九二七年(昭和二)八月一〇日発売の『国富論 上巻』までであり、同年九月五日発売の『新訓万葉集 上巻』から、「現在」の形に変わった。文章の一部に改訂がなされたのも、これと同時である。
この『新訓万葉集 上巻』の段階では、なお、見開き二ページの形を保っていたが、間もなくこれが一ページに圧縮されるようになり、さらに戦後のある時期からは、現代仮名遣いで表記されるようになった。
これを簡単にまとめれば、以下のようになる。
・「読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して」岩波書店 1927・7・10~8・10
・「読書子に寄す 岩波文庫発刊に際して」岩波茂雄 1927・9・5~
・同、「一ページ」バージョン 1927・9・15(?)~
・同、「現代仮名遣い」バージョン ?
いつから「一ページ」バージョンに変わったのかは、ハッキリしない。一九二七年(昭和二)九月一五日発行の『科学と仮説』の第二刷では、すでに「一ページ」バージョンのものが掲載されている(国会図書館で確認)。ただし、同書の第一刷(九月五日発行)が、どうなっているかは未確認。
なお、手元にある同年一〇月一日発行の『綱島梁川集』を見ると、まだ「見開き」バージョンのままになっている。つまり、ある時期からすべて「一ページ」バージョンに変わったというわけでもないようだ。
いつから「現代仮名遣い」バージョンに変わったのかについては、まだ調べていない。