◎福住正兄の『二宮翁夜話』(1884~1887)について
昨日のコラムに対しては、予想外にアクセスが多かったので(たぶん、歴代一一位)、本日は、その続きとする。
福住正兄(一八二四~一八九二)が筆記した『二宮翁夜話』(静岡報徳社、一八八四~一八八七)は、最初、分冊の形で出版された。これについて、二宮尊徳研究の第一人者として知られた佐々井信太郎(一八七四~一九九一)は、次のように書いている。
福住〔正兄〕翁は二宮塾を退きたる後、福住家を復興し、村名主〈ムラナヌシ〉となつて〔箱根の〕湯本村の振興を計り、或は国学、儒学、仏教等を研究し、特に神道に通じ、和歌和文に熟達した。当時各地の報徳社徒の教〈オシエ〉を聞くもの甚だ多く、殆ど翁を宗〈ソウ〉として指導を受くるに至つた、「二常翁夜話」はこの頃出版を計画せられ、静岡市に報徳図書館を開かしめ、その出版費用は全部〔翁が〕之を出資し、利益は販売人に属せ〈ショクセ〉しめた。
初めこの書を公にせんとしたる時、一度に出版するとも世人の顧みるなきを思ひ、分冊することゝし、毎巻種々の材料を配合すること雑誌の如く編纂し、五回に分つて〈ワカッテ〉木板和装にて出版した。
巻一 明治十七年十一月一日
巻二 同 十八年十一月十六日
巻三 同 十九年正月二十一日
巻四 同二十年三月三十一日
巻五 同 同年六月二十一日
斯くて〈カクテ〉翁は明治二十五年五月二十日歿した〈ボッシタ〉が、その後出版者は之を合本〈ガッポン〉して活字版とした。その頃より非常に歓迎を受け、何万部といふ版を重ね、今に至るも絶えず要求せられる。大正十三年、他の多くの報徳書類と共に、著作権を小田原二宮神社内報徳文庫に移した。
以上は、岩波文庫版『二宮翁夜話』の冒頭にある佐々井信太郎の「解題」の一部である(佐々井は、同文庫版の編者であった)。昨日、このコラムで紹介した福住正兄の「夜話自跋」は、「巻五」の巻末に置かれていたものであった。
なお、右で佐々井が挙げている各巻の「日付」については、若干のコメントが必要だが、これは明日。