◎なぜアカギ叢書は短命に終わったのか
ここのところ、大正初年の「アカギ叢書」をめぐって、いろいろとセンサクしてきた。本日は、アカギ叢書を創刊した赤城正蔵という人物について紹介する。
といっても、この人物については、この間、初めて関心を抱き、初めて調べてみたような次第である。
しかし、インターネットというのは便利なもので、瞬時にして次のような情報が集まった。
〇赤城正蔵〈アカギ・ショウゾウ〉は、一八九〇年(明治二三)に、東京九段の和菓子屋の次男として生まれた。番町〈バンチョウ〉小学校から府立一中へと進学した。
〇中学を卒業後、実家の近くの出版社「同文館」に就職したが、出版界への疑問を抱いて、そこを退職。
〇一九〇四年(大正三)、アカギ叢書を発刊。発兌元〈ハツダモト〉は「赤城正蔵」。このとき、そのとき赤城正蔵、二五歳。
〇「アカギ叢書」は一九〇四年三月に第一編『人形の家』を刊行、同年一二月に第一〇八編『最近独逸の発展』を刊行したが、この間に一〇八編すべてが、番号の順に刊行されているというわけではない。
〇一九〇五年(大正四)四月、第一〇六編『モンテツソリーの教育』を刊行、同年六月、『ダーヰンの進化論』が刊行されたが、その後の刊行はないと思われる。
〇赤城正蔵は、一九〇五年(大正四)三月一一日、肺病で死去。享年二六歳。つまり、『モンテツソリーの教育』と『ダーヰンの進化論』は、赤城の死後に出版されたことになる。
〇一九〇五年(大正四)、赤城書店の名前で、安藤博著『徳川幕府県治要略』が刊行された(国立国会図書館に架蔵)。これも赤城の死後か(未確認)。出版業は、その翌年までに廃業したという。
アカギ叢書が短命に終わった理由は、赤城正蔵の「短命」にあったのである。以上の情報は、主として、竹内貴久雄氏のブログ「竹内貴久雄の音楽室」二〇〇九年五月三一日記事から得た。記して感謝の印としたい。
*アクセスランキング歴代25位(2013・10・18現在)
1位 本年4月29日 かつてない悪条件の戦争をなぜ始めたか(鈴木貫太郎)
2位 本年2月26日 新書判でない岩波新書『日本精神と平和国家』(1946)
3位 本年8月15日 野口英世伝とそれに関わるキーワード
4位 本年8月1日 麻生財務相のいう「ナチス憲法」とは何か
5位 本年2月27日 覚醒して苦しむ理性(矢内原忠雄の「平和国家論」を読む)
6位 本年9月14日 なぜ森永太一郎は、落とした手帳にこだわったのか
7位 昨年7月2日 中山太郎と折口信夫(付・中山太郎『日本巫女史』)
8位 本年2月14日 ナチス侵攻直前におけるポーランド内の反ユダヤ主義運動
9位 本年7月21日 〈この日は記事の更新なし〉
10位 本年6月23日 小野武夫博士の学的出発点(永小作慣行の調査)
11位 本年10月7日 福住正兄の日本語論と文章論(『二宮翁夜話』より)
12位 本年4月30日 このままでは自壊作用を起こして滅亡する(鈴木貫太郎)
13位 本年10月2日 福沢諭吉、内村鑑三に反発し「銭」より「名誉」を説く
14位 本年7月5日 年間、二体ぐらい、起き上がってゆくのがある
15位 本年6月29日 西郷四郎が講道館入門した経緯についての通説と異説
16位 本年7月29日 西部邁氏の不文憲法支持論(1995)への疑問
17位 本年9月3日 統制経済は共産主義の緩和か(高田保馬の統制経済観)
18位 本年9月23日 「成果主義」が消滅した(?)2005年
19位 本年7月26日 世にいう「本願ぼこり」と吉本の「関係の絶対性」
20位 本年9月24日 西田幾多郎と夜間動物園
21位 本年8月24日 「無実の罪で苦しむのも因縁」と諭された免田栄さん
22位 本年9月30日 内村鑑三の「日本道徳の欠陥」(1897)を読む
23位 本年7月30日 過激派にして保守派の西部邁氏にとっての伝統とは
24位 本年10月11日 木の札の文字を頼りにタネを掘る(二宮尊徳)
25位 本年10月10日 タイマツの火が手に来たらすぐ捨てよ(二宮尊徳)