◎倹約は国を富ませて民救う(二宮尊徳)
昨日の続きである。福住正兄の『二宮翁夜話』のから、【四十六】の訓話を紹介する。本日は「原文」を省略し、現代語訳(拙訳)のみ。
【四十六】賀茂神社の社人で梅辻という神学者が江戸に来て、神典と天地の功徳〈クドク〉、造化の妙用を講じました。尊徳先生は、ある夜、ひそかにその講談を聞かれました。そして、こう言われました。「その人柄だが、弁舌さわやかで飾り気もなく、立居ふるまいも落ちついていて、物に拘るところがない。達人と言えるだろう。その説くところも、だいたいもっともだ。しかし、まだ極めていないところだけが目立つ。この人が説いているぐらいのことでは、一村はもとより、一家でも衰えているものを興すことはできないだろう。どうしてかというと、その説くところに目的がなく、達する目標がなく、もっぱら倹約を尊んで、ただやみくもに、倹約しろ倹約しろと言っている。倹約をして、それからどうするという話がなく、善をおこなえと言って、何が善なのかを説かず、善をおこなう方法を言わない。その説くところを実行すれば、上下の区別が成り立たず、上国・下国の区別もなくなるだろう。このように、ただ倹約しても、何かおもしろいことがあるわけでもなく、国家のためにもならない。そのほかにも、いろいろ説いていたが、ただ弁舌が巧みなだけだ。いったい私が倹約を尊ぶのは、それを用いる目的があるからだ。建物を簡素にし、衣服を粗末にし、飲食を質素にすることで、資本を作り、国家を富有にし、万民を救済するためなのだ。梅辻は、目的がなく、到達する目標もなく、ただ倹約しろと言っているのだが、私が言うのはそれとは全く違う。誤解してはいけない。
ここに梅辻とあるのは、江戸後期の神学者・梅辻規清〈ウメツジ・ノリキヨ〉のことである。一八四六年(弘化三)年、江戸に居を構えて布教したが、翌年捕らえられて、八丈島に流されたという。おそらく幕府は、その教えに危険なものを見出したのであろう。
二宮尊徳が、梅辻規清の講席に列したのは、一八四六年(弘化三)年、またはその翌年のことであろう。
さて以上の訓話だが、これを川柳風にまとめれば、「倹約は国を富ませて民救う」となるか。