◎岩波茂雄「読者に謝す」(1927)を読む
本年二〇一三年は、岩波書店の創業(一九一三)から一〇〇年に当たるという。
おそらく、そのためだと思うが、昨年一二月には、安倍能成〈ヨシシゲ〉著『岩波茂雄伝』の新装版が、岩波書店から発行されている。
また本年九月には、「ミネルヴァ日本評伝選」の一冊として、十重田裕一〈トエダ・ヒロカズ〉著『岩波茂雄 低く暮し、高く想ふ』(ミネルヴァ書房)が刊行された。これもまた、おそらくは、岩波書店創業一〇〇年を意識したものであろう。
先日たまたま、図書館の新刊コーナーで、この十重田氏の『岩波茂雄』を手にとった。すると、その一四五ページから一四七ページにかけて、岩波茂雄の「読者に謝す」という文章が紹介されていた。
これは、岩波文庫の巻末にある「読書子に寄す」とは別のもので、岩波文庫創刊(一九二七年七月)の直後に、岩波書店の新聞広告の一部として公表されたものである。「謝す」という言葉には、読者の岩波文庫への支持が、予想以上に大きかったことに対する岩波茂雄の感謝の気持があらわれている。十重田氏の本には、「昭和二年八月五日」の読売新聞に載った広告が影印で紹介されているが、おそらく他紙にも、その前後に、同じような広告が載ったと見てよいだろう(未確認)。
以下はその全文である。太字も、原文のまま再現しておいた。
読者に謝す 岩波茂雄
真摯にして生命ある書の最も良心的なる出版は岩波書店の根本方針である。吾人は世の風潮に倣ふ〈ナラウ〉ことなくあらゆる機会に際してこの方針を維持して来た。而して今後と雖も〈イエドモ〉あらゆる苦難を賭してこの方針の貫徹のために努力するであらう。特権階級に独占せられし真理の殿堂を開放すべく民衆の為めに企図せし岩波文庫刊行のひとたび公にされるや、社会各方面よりの熱誠なる感激の言葉は数知れず飛来した。或は不可能なることは遂に可能にされたと云ひ、或は日本文化史上画期的なる事業は今まさに為されつつあると云つて、これを賞揚した。吾人は同志のうるはしき協同の精神から発露したこれらの言葉に対して衷心〈チュウシン〉より感謝すると共に、その恩顧に忸るる〈ナルル〉ことなく、賞讃に驕ることなく、むしろ益〈マスマス〉自重努力して、もつて当初の目的の達成に向つて最も堅実なる武歩を進めるであらう。世の読書子の鞭撻と忠告こそは吾人の最も歓迎するところである。けだし岩波文庫は最後究極的なる普及版たることを期する。この目的はおのづからそれの特色を規定するであらう。嘗て〈カツテ〉単行本として存し〈ソンシ〉なかつたものがここでは極めて簡単に求められることとなる。従来稀覯本〈キコウボン〉絶版物〈ゼッパンモノ〉に属したものがここでは何人にもつねに近づき得るものとなる。これまで甚だ高価にして普通人の見ることの不可能であつたものがここでは容易に誰もの手に入ることとなる。然しながら普及の真の意義は価値あるものの普及にあると信ずるが故に、岩波文庫は以後定本たり得る資格あるもののみを収容する。校訂本を出すにあたつては、従来のいづれよりも信用し得るものを特に新たに作るであらう。翻訳書を出すにあたつては、嘗てのいづれよりも厳正にして的確なるものを採るであらう。更に進んで単に一般の教養のためのもののみならず、純粋に学術的研究的なるものをも含むはこの文庫の特色である。かくてそれは文芸思想科学のあらゆる方面に亘つて、時局に対しては近来世に行はれる大量生産予約出版物の総決算として品質に於て遥に〈ハルカニ〉それに優るものを選択の白由に委せて各箇に提供し、永遠に向つては生活の糧〈カテ〉として万人の日々新たに摂取すべき必需の資料を尽くることなく提供する。吾人がその内容の精選のために致した万全の用意を思へば、この文庫の高価を訴ふる者はないであらう。世界に販路を有するかのレクラム文庫にしてなほ星一つ二十五銭であるに反して局限された日本語の読者のみを相手とせねばならぬわが岩波文庫が星一つ二十銭であることを見れば、必ずや吾人の立場をひとは諒とせられるであらう。吾人は微力を尽して真理を熱愛する我が読書子の為めに此事業の完成を期し、切に大方の協力と後援とを希望する。善き意志は常に自己を貫徹し成就するとは吾人の確信である。
この文章のうち、「かのレクラム文庫にしてなほ星一つ二十五銭」という箇所に関しては、補足しておくべきことがあるが、これは次回。
今日の名言 2013・10・19
◎岩波文庫は最後究極的なる普及版たることを期する
岩波茂雄の言葉。岩波文庫創刊直後の1927年8月に発表した、「読者に謝す」という文章に出てくる。上記コラム参照。