◎映画とはアメリカ映画のことであった
昨日に引き続き、青木茂雄氏の映画鑑賞回想記を紹介させていただく。
記憶の中の映画(3) 青木茂雄
映画とはアメリカ映画のことであった・2
私が家族(主として父)に連れられて見たころには、当然のことながら見た作品名をメモするわけなど無いし、何を見たかはまったく記憶していない。なによりも、まだ幼くて内容がさっぱり理解できなかったのである。6歳年上の兄に「解ったか?」とよく聞かれた。いや解らないのがほとんどであった。私には映画の内容を理解できるようになることが即ち自分が成長して行くこと、つまり少しずつ利口になっていくことと思われた。
それでも、カラー(「総天然色」―私はなぜ「総」の文字を冠するのかといぶかった)のスクリーン上に展開されるアメリカの生活の断片には驚嘆した。豊かなのだ。広い清潔な、内部が良く整頓された家、それにらせん形を描く階段、芝生が張り巡らされた広々とした庭。自家用車。そして、レストランで注文した料理が出てきても、用事があると殆ど手をつけないままに、そそくさと退出する、そういう生活のスタイル(当時の私たちは、一個の卵を兄弟数人で分け合っていた)。
家に帰り、暗い一本の電灯のもとに粗末な夕食をとりながら、家族で「あの手をつけない料理はそのまま捨ててしまうのか、何と勿体ないことか」などと談じ合ったものである。 豊かなアメリカ、貧乏な日本、この抜き難い固定観念はこのころ観た幾本かのアメリカ映画によって形成されていったことは間違いない。この幾本かが何であるかは思い出せない。映画の筋は除外視されて、ただ光景だけが印象に残っていたのである。
テレビドラマを通してアメリカの生活の光景が日本の茶の間に入ってきた、という話はよく聞くが、私の家にテレビが入ったのは平均的な家庭よりもかなり遅れて東京オリンピックの開かれた1964年だったから(私は家が貧乏であると固く信じていた)、アメリカの光景は、テレビよりもまず映画からであった。
最初の回にも書いたように、私が初めて映画の内容を理解することのできたのは、小学2年生の時に観た『海底2万マイル』であったが、このころ以降の記憶では、映画のタイトルと内容が結び付くようになる。
思い出すままにタイトルをあげると、『スピードに命を懸ける男』(お気に入りのカーク・ダグラス主演)、『宇宙征服』、『ローンレンジャー』(テーマ音楽としてロッシーニの「ウィリアムテル序曲」が使われていた)、『誇り高き男』(ロバート・ライアン主演の西部劇の名作。内容はさっぱり理解できなかったが、あの独特の音の出る楽器を使ったテーマ音楽だけは覚えていた)、等々。
シネマスコープの横長の画面が珍しく、とくに上映開始まえにシュルシュルという音ともにスクリーンが左右に拡大していく様には心を躍らせた。何よりも、最初の画面に登場する“CINEMASCOPE”のロゴ。私のお気に入りは20世紀FOXの、文字の下の線が横にきれいに一直線をなし、最初のCから終わりのEまでの文字の上部の線がきれいな弧状をなし、そして中央のMAがはるかに小さく奥の方に引っ込んで見え、続くSの文字が心なしにやや背伸びしているあのロゴであった。このロゴの美しさには他のいかなるロゴも比べものにならなかった。とくに、日本の“日活スコープ”や“東宝スコープ”のロゴの下品さといったらなかった。私は、この“CINEMASCOPE”のロゴを何度も何度も白紙に書き写した。