礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

青木茂雄氏の映画評『海底2万マイル』(1954)

2015-03-23 05:56:19 | コラムと名言

◎青木茂雄氏の映画評『海底2万マイル』(1954)

 先日、映画評論家の青木茂雄氏にお目にかかった。当方のブログを、ときどきご覧になっているとのことだった。
 青木氏には、以前から、未発表の映画評があったら、当方のブログで紹介させてほしい旨の要請をしており、その日も、改めてこれをお願いした。すると、昨日、以下のような映画評が送られてきたので、早速、紹介したい。「記憶の中の映画(1)」と銘打たれているところを見ると、このあとも、送っていただけるようで、大いに期待したい。。


 記憶の中の映画(1)  青木茂雄
 「初めて筋が分かった映画」 『海底2万マイル』(1954年米)

 私が生まれて初めて観た映画のことなどむろん憶えているはずはない。敗戦直後の昭和20年代、娯楽と言えばせいぜい映画を観ることぐらい以外にはなかった。そういう時代に、家族に連れられて映画を観ることはやはり大きな出来事だった。連れられて入った映画館の中で、画面いっぱいに人物が動き回る様は、やはり衝撃的だったらしい。私は画面の後ろにだれか人がいるのではないのか、といぶかった。そうではないのだ、と知ってさらに驚いた。学校に入る前、4歳か5歳の頃だったと思う。
 父が大のアメリカびいきだったせいか、わが家では“映画は洋画”が不文律だった。家族に連れられて見に行ったのもアメリカ映画が主だったようだ。入学前で、字幕はもちろん読めなかったから内容はチンプンカンプンだが、私は我慢して概しておとなしく観ていたようである。
 そういう私が、初めてストーリイの解った映画が『海底2万マイル』(1954年米、リチャード・フライシャー監督)であった。
 筋が理解できたことがよほどうれしかったらしく、私は翌日、学校で級友に得々とその映画のことを話した。小学校2年生の時である。
 衝撃を受けたのは鋭い鋼鉄製のノコギリ状の先端で黄色い2つ目を光らせながら、海上を船舶目がけて突進してくる潜水艦ノーチラス号の不気味な姿である。体当たり攻撃を受けた船舶は粉々に砕け、海上の藻くずと化してしまう。
 調査に出掛けた軍艦もまた攻撃を受け、生存者3人(教授、船員=ピーター・ローレ、水兵=カーク・ダグラス)が潜水艦の中に招待される。ネモ館長=ジェームズ・メイスンの案内のもとで潜水艦の航行に同行する。案内されて見た艦の科学技術の粋に、教授が感嘆するのに対して水兵ネッドは抵抗の意志を隠さない。その間、海底埋葬あり、巨大イカの攻撃あり、そして最後にノーチラス号は沈没するが、3人は無事生還するという、小学生にも十分に理解できる話であった。この映画がまた、生まれて初めて観たシネマスコープ作品でもあった。カーク・ダグラスは私のお気に入りの俳優となった(他に、当時の私のお気に入りは、ジェームズ・スチュアートだった)。
 ジュール・ヴェルヌという原作者の名前も覚えた。ヴェルヌ原作のSF映画は、その後映画館にかかると(2番館か3番館で)、たいてい観た。憶えているのが『地底探検』(1959年)、タイトルは忘れたが空中飛行する巨大な船が登場する映画、SFではないが『80日間世界一周』等々。
 飛行機も飛行船もない時代に空を飛び、ロケットなど考えもされなかった時代に砲弾で月に人を飛ばし、潜水艦を考案する(電気エネルギーを考えていたらしい)。ヴェルヌの構想力は大したものだ。
 さて、『海底2万マイル』はその後、1970年代の半ばごろ今はなき国立スカラ座でたまたま再見することができた。驚いたのはそのメッセージの明確さと強烈さである。ノーチラス号のネモ艦長は、欧米列強の植民地支配に抗議して軍艦のみを攻撃対象としていた、そして植民地解放のために秘密基地で新兵器(映画では多分核兵器)を製造していた。最後に基地全体が閃光(核爆発?)とともに消滅するところで映画は終わった。核エネルギー(?)は封印されるという結末だったが、何やらその後の世界史を予見するような話となった。

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