◎なかなか出航しない、映画『キングコング』
昨日の文章は、拙編著『生贄と人柱の民俗学』(批評社、一九九八)の「あとがき」として書いたものを流用したのであった。もとの文章は、一九九八年四月一二日に、名古屋から東京に向かう新幹線の中で書いた。その日は、名古屋市内で、「第1回歴史民俗学研究会・全国大会」が開催された日であった。その大会が、盛況のうちに終了したことに満足しながら、車中で一気に書いたものである。
この時点で私は、一九三三年に製作された『キングコング』を、たしか二度、見ている。一度目は、小学生のとき映画館で見たわけだが、二度目は、テレビ放映されたものを見たのだと思う。これはたしか、十代後半のことだった。
一九九八年に、前記の文章を書きながら、何とかして、もう一度、この『キングコング』を鑑賞したいものだと思ったが、そのチャンスは、なかなかやってこなかった。DVDになっているものを買って、パソコンで見ればよいということは、もちろん、わかっていた。しかし、当時の私は、パソコンというものを持っていなかったし、その扱い方も知らなかった。
その後、二〇〇〇年ごろ、初めて中古のノート型パソコンを購入したが、これはCDディスクすら使えない(つまり、3・5インチのフロッピーしか使えない)という代物だった。このパソコンは現存せず、型番なども控えていないが、富士通のFMVであったことは間違いない。ちなみに、そのすぐあとに買った、一九九八年製の富士通ノート型、FMV5120NU2/Wも、CD は使えなかった(これは現存)。
こうした段階から、徐々にグレードアップさせていったわけだが、初めて自宅でDVDが再生できるようになるまでには、まず、三、四年を要したと思う。
最初に、DVDを再生させたパソコンは、自作のタワー型で、マザーボードは、A-OpenのAX3S-Proだった。マザーボードを含め、中味はすべて中古またはジャンクで、OSのみ新品。OSは、悪名高きWindowのミレニアム版(Me)、OSのインストールだけは、知人にやってもらったが、のちには自分でもできるようになった。
DVDを再生させるためには、さらに、そのためのソフトが必要なことがわかって、これも購入してインストール。このようにして、DVD再生の条件が整ったところで、最初に購入したDVDが、『市民ケーン』と『キングコング』であった。ともに五〇〇円。
久しぶりに『キングコング』を見た印象だが、まず音楽がすばらしかった。音楽は、マックス・スタイナーという人が担当しているようだが、映画通でないので、コメントはできない。
次に、船がなかなか出航しないのが意外だった。冒頭は、興行師カール・デナム、船長ほかが、船中で長々と議論を続ける場面である。少しイライラしたが、監督は、あえて観客をジラそうとしたのかもしれない。なお、映画を最後まで見ると、ここでの「議論」が、そのあとの展開の伏線になっていることがわかる。
ちなみに、アメリカ映画には、このように、「議論の場面」が導入になっている映画が少なくないように思う。『市民ケーン』(一九四一)がそうであり、『地上最大のショー』(一九五二)がそうである。最近(?)のものでは、『スタンド・バイ・ミー』(一九八六)がそうであったと記憶する。【この話、さらに続く】
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