◎横浜事件(1942)から第三次再審請求(1998)まで
昨日の続きである。横浜事件第三次再審請求弁護団編著『横浜事件と再審裁判』(インパクト出版会、二〇一五)について紹介している。
昨日、述べたように、この本は、「横浜事件」そのものを知らない若い読者にも親切にできていて、「はじめに」から順番に読んでゆけば、事件の概要や第三次再審開始にいたる流れをつかむことができる。
本日は、「はじめに」の一部を紹介させていただくことにしよう。執筆しているのは、第三次再審請求弁護団の大島久明弁護士である。
はじめに 弁護士・大島久明
本書には横浜事件第三次再審請求事件の再審請求人と同事件弁護団弁護士の論文を掲載している。次章の「横浜事件第三次再審請求裁判の報告」は事件弁護団の議論を踏まえて新井章弁護士がまとめたが、その余は各自が各々の問題意識から論述している。
横浜事件は日本が太平洋戦争に突き進もうとする時に政府が行った大弾圧によるえん罪事件であること、横浜事件の再審は第三次請求で初めて再審の壁を破ったものであること、同事件の再審の裁判が免訴の判決という結果であったこと、さらに司法自体の戦争責任が間われる事件であったこと等から、これらの論点に触れるものが多くある。これら論述について多くのご批判を仰ぎたい。
以下に横浜事件第三次再審講求事件の概要を記して、本書の冒頭のことばに代えたい。
●横浜事件とは
太平洋戦争が開始されたのは一九四一年一二月であったが、その年の三月には治安維持法が大幅に改悪されて適用範囲の拡大と厳罰化が図られていた。開戦の翌一九四二年、神奈川県警特高課と警視庁特高課は、雑誌「改造」や「中央公論」などの編集者や言論人、学者、戦時経済体制の分析を行っていた研究会に集う公務員や企業の中堅社員、さらには宗教団体にまで、治安維持法違反を理由とする捜索、逮捕を一斉に開始した。自由な言論が権力による戦争遂行目的を阻害すると考えたのである。
被逮捕者のうちの被検挙者は六〇名余に上り、彼らは神奈川県警特高課の過酷な拷問を受けて虚偽の自白を強いられ、三〇名余が起訴された。拷問による獄死者四名、仮出所直後に獄死同然で死亡した者が一名、多くの被検挙者が空襲の中でも刑務所での勾留を解かれず恐怖のうちに戦後まで釈放されなかった。
起訴された殆どの者に対しては、一九四五年八月下旬ないし九月上旬の米軍上陸直後の慌ただしい中で懲役二年執行猶予三年という刑が言い渡された。
被検挙者に対する拷問等の弾圧が神奈川県警特高課によって行われ、勾留場所が横浜刑務所であったことから横浜事件と呼ばれている。
●第一次再審講求【略】
●第二次再審請求【略】
●第三次再審請求
横浜事件弁護団団長であった森川金寿〈キンジュ〉弁護士は、第一次請求に対する裁判所の判断に立脚して、再度の再審請求に関する請求書の起案を環直彌〈タマキ・ナオヤ〉弁護士に依頼した。
環直彌弁護士は、訴訟記録が滅失している横浜事件についての判決書の再現に取り組み、特高警察の捜査記録等を丹念に検討して原確定判決の再現を完成させた。さらに、再審を確実に開始させるために再審理由の整備を行わなければならないとして、原確定判決には被害者らに対する拷問で得た自白を証拠とした違法があること、また、原確定判決にはポツダム宣言の受諾によって既に無効となっていた治安維持法を適用した違法があること等の四つの再審理由を掲げて、再審請求書を確定させ、新証拠として事件被害者らの口述書三一通などを提出することとした。
一九九八年八月一四日、第三次、再審請求書は横浜地裁第二刑事部に提出された。
請求人は生存する者三名と物故者五名の承継人であった。元特高警察官に対する告訴や再需請求を行った被害者の中心的存在であった木村亨は前月の七月一四日に他界しており、再審請求書の提出に立ち会うことができなかった。
●第三次請求第一審・横浜地裁再審開始決定
横浜地裁第二刑事部は二〇〇三年四月一五日、再審請求人らが受けた原確定判決には当時ポツダム宣言の受諾によって無効となっていた治安維持法を適用した違法があることを理由として再審の開始を認めた。【以下略】
このように、簡潔に、かつ整然と、横浜事件の概要、第三次再審開始にいたる流れがまとめられているわけである。
最後の方に、木村亨さんのお名前が出てくるが、中央公論社の元編集者で、横浜事件の被害者のおひとりである。
私は、生前、木村亨さんが歩んでこられた道をお伺いするために、田無市(現・西東京市)のご自宅まで何度か脚を運んだことがある。その時の聴き取り記録は、雑誌『歴史民俗学』の7号(一九九七年六月)から12号(一九九八年一〇月)に、「抵抗こそが人生だ~木村亨自伝」として掲載されている。
今回、『横浜事件と再審裁判』の編集にあたられた木村まきさんは、木村亨さんの夫人で、木村亨さんの承継人として、第三次再審請求に加わられたのである。