◎英語雑誌『青年』、「ドレフユー事件」を紹介(1899)
今月五日のブログで、英語研究雑誌『青年』の第二巻第一一号(一八九九年一二月)に載っていた記事を、ひとつ紹介した。実はこの号には、いわゆる「ドレフュス事件」の梗概を記した英文(THE DREYFUS CASE)も掲載されていた。同号の表紙には、「ドレフユー事件の梗概を載録す」という大きな文字がある。出典は、アメリカの子ども向け雑誌「The Youth's Companion」のようである。
フランスの陸軍大尉アルフレッド・ドレフュス(Alfred Dreyfus)が、敵国に軍事機密を漏洩した罪を問われ、軍法会議によって終身禁錮とされたのは、一八九四年の一二月のことであった。その後、一八九九年の六月に、フランスの破棄院が、軍法会議の再審を命じ、レンヌの軍法会議が再度、ドレフュスに有罪の判決を下した。これが同年九月のことである。雑誌『青年』は、同年一二月の段階で、早くも、この事件の梗概を記す英文をを紹介している(この英文記事は、レンヌの軍法会議が有罪判決を下したところまで紹介している)。
同誌の記事THE DREYFUS CASEは、ⅠからⅣまで、計四節からなる英文で、各節ごとに、同誌編集者による、かなり詳しい「註」(Notes)が施されている。とりあえず、ⅠとⅡを和訳してみたが、英語力が乏しい上に、ドレフュス事件の経緯についての基礎知識を欠いていたので、かなりこれは、困難な作業であった。
本日は、「Ⅰ.」について、原文、その拙訳(文字通り)、「註」の一部の順に、紹介してみたい。英語の原文に、若干、史実とことなる部分があるようだが、注記や訂正はしていない。
近 体 英 文 抄 (2)
THE DREYFUS CASE.
(The Youth's Companion.)
Ⅰ.
On the morning of January 6, 1895, three thousand Parisians gathared in the Square of the Military School to witness the degradation of' an officer who had been declared guilty of selling military secrets to a foreign government. A stalwart guardsman tore f'rom tho prisoner's coat the insignia of rank and snapped the prisoner's sword across his knee. Then prisoner was marched around the square, as a final mark of disgrace, drums rolling to drown his cry, "You are degrading an innocent man ! Long live France !"
The man thus dishonored was Alfred Dreyfus, an Alsation Jew, captain in the 14th regiment of artillery, and attached to the general staff-the only Jew who held a prominent place at the army headquarters. He had bean "star pupil" at the military school. He was talented, ambitious, perhaps a little conceited, and he did not put himself out of gain friend. Moreover, he had a rich father-in-law, and did not have to live on the beggarly salary allowed to officers in the French army.
In the minds of his associates these were good reasons for hatred. They invited conspiracy. When a French spy found the famous bordereauor-memorandum list-in a waste-basket at the German embassy. Dreyfus's office-mates promptly affirmed that he was the writer of the document, which mentioned five items of secret, information that had been treasonbly tansmitted to the Germans.
Dreyfus was arrested, charged with its authorship, on October 14, 1895, and kept in prison for two manths, where he was constantly tormented to "confess" and tempted to admit gult by committing suicide.
ドレフュー事件(The Youth's Companion誌より)
その一
一八九五年一月六日の朝、陸軍兵学校の校庭(the square)には、三千人ものパリ市民が集まっていた。軍事上の秘密を外国政府に売ったとされる、ある士官の位階剝奪式(the degradation)を、目撃せんがためであった。ひとりの剛勇なる近衛兵が、その罪人の上着から、位階の徽章を剥ぎ取った。また、罪人の剣を自分の膝に当てて(across his knee)、ポキンとへし折った。最後に、罪人は校庭を歩き回させられた。とどろく太鼓(drums rolling)のために、罪人の叫び声は、搔き消されたが、彼は「あなたたちは、無実の人間を貶めようとしている! フランス万歳!」と叫んでいた。
このようにして辱められた男は、アルフレッド・ドレフューという。アルザス出身のユダヤ人(an Alsation Jew)で、砲兵第十四連隊の大尉で、参謀本部(the general staff)に配属されていた。彼は、陸軍司令部(the army headquarters)という重要な地位に就いている唯一のユダヤ人であった。彼は、陸軍兵学校時代は、「すぐれた生徒」(star pupil)であった。才能があり、野心家であり、おそらくは、少し自負するところがあった。友人を得ようとして、みずから譲ることはなかった。さらに彼は、裕福な義父〔妻の父〕持っていた。したがって、フランス陸軍から与えられる小額の給与(the beggarly salary)に頼って生活するという必要はなかった。
こうしたことは、その同僚たちの意識において、彼を憎悪する恰好の理由となった。彼らが、陰謀を挑発したのである。フランスのスパイが、ドイツ大使館のくずかごの中から、有名な「明細書」(bordereau)、つまり覚書(memorandum list)を発見したとき、ドレフューの同僚たち(office-mates)は、五件の秘密情報をドイツ人に漏洩した、その書類(documen)の書き手が、ドレフューであることを、ただちに肯定した。
その書類の書き手(authorship)であったと見なされたドレフューは、一八九五年一〇月一四日に逮捕され、二か月間、牢獄に置かれた。そこで彼は、絶えず、「自白」するよう痛めつけられ、また、罪を認めて自殺するよう誘導された。
〔「Ⅰ.」のあとの註の一部〕degradation 貶辱/roll=to beat with rapid strokes/talented, ambitious, perhaps a little conceited 才幹あり大望を抱き恐くは少しく自負心強かりき/beggarly=poor/They invited conspiracy 彼等は陰謀を挑発せり/treasonbly 国に裏切て/authorship 張本人/confess にinverted commas〔引用符〕のあるは自ら犯したるにあらざれば白状の致し様なきも先にてはしかいふの意
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