◎『日本週報』創刊号と岩淵辰雄
今月はじめごろ、神田の古書展で、『日本週報』の創刊号を入手した。一九四五年(昭和二〇)一二月九日発行、発行所は日本週報社、定価は五〇銭(送料五銭)。表紙含め、三二ページ。ちなみに、古書価は二〇〇円だった。
戦前・戦中に、内閣印刷局から『週報』という情報誌(週刊)が発行されていたが、『日本週報』は、その戦後版と言ってよいだろう。ただし、ケジメをつけるためか、題号も発行所も変え、「創刊号」と銘打って再出発した。この『日本週報』が、『週報』の後継誌であることは、ウラ表紙=奥付ページに、「御購読は最寄りの書店並びに政府刊行物販売所(元の官報週報普及部)へお申し込み下さい。」とあることで明らかである。
家に帰ってから気づいたが、この雑誌は、紙が重ねられているだけで、綴じられていない。その代わり、表紙右ハシに、綴じ穴を示す○印が二か所ついている。
この創刊号では、岩淵辰雄が活躍している。巻頭言を書き、「敗るゝ日まで」という文章を寄せ、さらに「秘史を語る」と題した座談会にも出席している。岩淵辰雄はジャーナリストで、大戦末期に、憲兵隊のいう「ヨハンセングループ」の一員として、和平工作に関与したことで知られる。
本日は、同号から、岩淵辰雄の巻頭言「悲劇の主人公」を紹介してみよう。
週間自由討議
悲 劇 の 主 人 公
シエキスピアのハムレットを見ても、悲劇の主人公といふものは、人間としては、寧ろ、善良な素質をもつてゐる。智識的でもあれば聡明でもある。が大切な事に意志といふものを有つてゐない。政治的にいふと見識と決断をもつてゐない。
一九一七年の革命に際して、露帝ニコラス二世は、自分は何も悪るいことをしたことがないといつたといふことであるが、個人としてのニコラス二世は性質、善良であつたらしいし、君主としても、歴代の他のツァーの如く、決して悪虐な行為を恣〈ホシイママ〉にしなかつた。しかし、こゝにわれわれ平民の間に於ける道徳と、君主のそれとの間に差がある。われわれ平民の間では、悪るいことをしないといふことが即ち一つの道徳であるが、君主の場合に於いては、個人としては悪るいことをしなくても、その政治が処〈トコロ〉を得てゐなければ、それは最大の罪悪を犯したことになるのである。ニコラス二世も何も悪るいことをしなかつたかも知れない。然し、ツァーの政治は革命の原因と素地を作つてゐたのである。
政治は、決して君主独り〈ヒトリ〉によつて成されるものではない。それはどんな英邁〈エイマイ〉な君主であつても独りでは出来ない。臣僚の補佐と助力を必要とする。その場合、臣僚が賢能の士であるか、庸劣、或は奸侫〈カンネイ〉の徒であるかによつて、その君主は名君ともなり、暴君ともなり、闇君ともなる。個人として、その君主がどんなに智識的で聡明であつても、彼の臣僚が賢能の士でなければ、矢張り、その君主は凡庸の主であり、闇君であるといふ結論になる。臣僚の賢愚、能不能を識別する才能も、また、君主の徳のなかに含まれる要素の一つであらう。
アメリカの新聞記者は、日本が大権によつて戦争を終結に導いたのなら、何故、その同じ大権によつて、戦争を避けることが出来なかつたかといつてゐるが、それは彼等が世界の歴史に於ける君主の悲劇を知らないからである。日本の現在はその悲劇の一つである。(岩 淵 辰 雄)