◎大佛次郎『ドレフュス事件』は、なぜ龍頭蛇尾なのか
国立国会図書館の検索システムで、「ドレフュス事件」を検索したところ、一九三一年に発表された書評がヒットした。三田史学会が発行している『史学』第一〇巻第一号(一九三一年三月)に載った「ドレフユス事件」で、天人社から出された単行本(一九三〇)に対する書評である。評者は、西洋史学者の間崎万里〈マザキ・マサト〉(一八八八~一九六四)である。
さっそく引用してみよう。
ドレフユス事件(大佛次郎著 天人社刊行)
古くはジャンヌ・ダルクの出現、近くはレオン・ドーデの事件があつた。もちろん彼と是とは全く別個の事件であるけれども、一脈相通ずる仏人〔フランス人〕の個性を、又その国民性を之〈コレ〉と関連して思ひ浮ばしめるものがある様に思はれる。仏国〔フランス〕ならではと思はれる斯様〈カヨウ〉な事件の中にブーランジェー事件に次いで、最も世間を騒がせたドレイフユス事件があつた。
砲兵大尉ドレイフユスにからまる仏国の軍機漏洩事件は事もと陸軍部内の一小事件であつて軍法会議を以て決すれば足るだけのものであつたが、アルサス生れの彼が、欧洲人の又保守主義者の忌み嫌へるユダヤ人であつた処から、当時仏国内に盛んに唱へられたるドリュモン一派のユダヤ人排斥運動は彼に対して冤罪を強ゆるの姿となり、かくして雪冤〔冤罪を晴らすこと〕を求むる正義のための再審運動は生ずるに至り、ローロール〔L'Aurore〕紙上に於ける小説家エミール・ゾーラの仏国大統領への目覚しき公開状は一層その勢〈イキオイ〉を昂め〈タカメ〉た。世界大戦に際し戦勝内閣の首相として又パリ会議の議長として仏国を双肩に荷つて〈ニナッテ〉立つた政界の名士今は亡き(一九二九年十一月二十四日没)クレマンソー「虎」の如きは人権擁護連盟(Ligue francaise pour la defense des droits de l'homme et du citoyen)を組織し、社会主義者の大立物ジョーレス、考証史学の大家ガブリエル・モノー、小説家アナトール・フランスの如きもこの運動に加はつた。彼の〈カノ〉ソルボンヌに於けるバン・ルーヴェ教授をして学界を退いて政界に身を投ぜしめ、後ち幾度か陸相として台閣に列し又自からも首相として内閣を組織するの運命に立至らしめたのも又この事件なのであつた。ドレイフユスを罪に陥れた国粋主義者の陸軍々閥は軍部の威厳のために飽く迄〈アクマデ〉も初説をとつて動かず、ために本問題は仏国を再審論者と非再審論者の二個の陣営に分ち、後者はカトリック保守派、国民主義者、僧侶の大部分、殆どすべての陸軍将校を含み、彼等はユダヤ人とその後援者を以て反逆者組合(Syndicat de trahison)から資金を仰げりとなすドレイフユス派に対抗して祖国の擁護者を以て任じ、l'honneur de l'armee et le respect de la chose jugee!〔軍隊の名誉と判決の尊重〕を唱へえて、手段を撰ばず戦つたのである。他方再審派はLa verite en marche! 〔前進する真実〕てふゾーラの公開状中の文句より出でたるLa justice et la verite! 〔正義と真実〕のスローガンの下〈モト〉に争ひ、権利の濫用と裁判の拒否を非議し、sabre et goupillon!〔軍隊と教会〕に向つて戦かひ、ゾーラの裁判に際しては法廷の前に於て前者が、参謀本部と真の犯人エステラージーのために、Vive l'armee! Vive la France! 〔軍隊万歳、フランス万歳〕を唱ふれば、後者はVive Zola! Vive Repablique! 〔ゾラ万歳、共和国万歳〕を以て応酬し、宛然〈エンゼン〉敵者の対立せるが如くであつて紛糾錯雑〈フンキュウサクザツ〉せる諸要素が国を挙げて騒擾〈ソウジョウ〉したのみならず、又遂に世界の問題とすらもなるに至つたのであつた。
一八九四年ドレイフユス裁判の事あつてより、一九〇六年七月、仏国大審院がレンヌの再審軍法会議の判決を無条件に破毀し、彼の軍籍を復し位階を進めて少佐に任じ、レジョンドノール騎士章を授与し、ピカール亦前判決を取消され軍籍を復し、次いで同年十月陸軍大臣となり、既に一九〇二年に死せるゾーラも国葬を以て名誉のパンテオンに合祠せられて、全く事件の落着を見るに至るまで前後十有二年の間、之がために幾多の内閣を仆し〈タオシ〉連続陸相を罷免し仏国政界稀有なる事件の系列は見られたのである。こは十九世紀末に於ける漸次共和政権確立運動の優勝に至る途上、前のブランジェー事件から後の政教分離運動への中間の一過程であつて、仏国政治史上頗る〈スコブル〉重要なる事件なのであつた。之によりて王政は全く破壊せられて不信用となり、共和諸派は社会党と共に緊密なるブロックを形成し、多年国会に於ける多数を制して共和政治を確立し、軍部をもその配下に収め、明白なる反教主義の法律を制定せしむるに至つたからである。
本書は新世界叢書中の一篇〔第二篇〕をなす一つの小説に過ぎないけれども、大佛次郎氏の叙述は、事件の経過と波瀾重畳〈ハランチョウジョウ〉せるこの大事件の幾多のシーンを比較的正確に又鮮かに描出してゐる。史実にのみ没頭せる史学者に対しては、時にとつての清涼剤として、有益に又面白く読まるゝものである。斯様なる著述は本邦に乏しき西洋史の知識に寄与する処あるものとして、我等も亦紹介の労を惜しむべきではない。
但し本書の終末は聊か〈イササカ〉龍頭蛇尾の傾〈カタムキ〉があり、一般史書に見られるだけの知識をも展開し得ざる著者に対しては聊か同情を禁じ得ない処であるが、氏は親しくパリに於てこの研究を進められるとの事であるから、この部分だけは他日補訂せられるものと見てよからふ。(間崎万里)
この事件を、「十九世紀末に於ける漸次共和政権確立運動の優勝に至る途上、前のブランジェー事件から後の政教分離運動への中間の一過程」と捉える視点は興味深い。
また、間崎は、本書の終末について、「龍頭蛇尾の傾」があるという指摘をしている。言われてみれば、たしかにその通りである。大佛次郎は、明らかに、「本書の終末」を書き急いでいる。つまり、事件の最終的な決着については、詳述していない。これには、一九三〇年(昭和五)の初出時において(『改造』連載、四月~一〇月)、紙数の問題が生じた、資料調査の上で制約があったなどの事情も考えられる。だが、それ以外に、あえて、こういう終わり方にしたという見方もできるような気がする。このことについては、もう少し、考えをまとめたのちに書くつもりである。
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