礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

橋戸信のいう野球三大精神の第一は「犠牲的精神」

2018-04-19 00:50:15 | コラムと名言

◎橋戸信のいう野球三大精神の第一は「犠牲的精神」 

 昨日の続きである。昨日は、功刀俊雄氏の論文〝小学校体育科における「知識」領域の指導:教材「星野君の二塁打」の検討〟の(一)から、「おわりに」を紹介した。本日は、同論文の(二)から、「おわりに」の全文と、これに対応する注を紹介する。

おわりに
「星野君の二塁打」は、〔吉田〕甲子太郎にとって、戦後日本の出発にあたって子どもたちに民主主義とスポーツマンシップを教え諭そうとするものであった。作中でこれを最もよく体現しているのは定本版で言えば別府監督であり、彼は甲子太郎の分身であった。しかしながら、「星野君の二塁打」が 「日本的スポーツ観」を示していると解釈する人々にとって、別府監督は、選手たち、子どもたちに対して自己の命令への絶対服従を強いる「監督絶対主義【*12】」者なのであって決して民主主義的な人物ではない。「星野君の二塁打」の作者と読者の間のこうした対極的ともいえるギャップは如何にして生じたのであろうか。この疑問に全面的に答えることは容易なことではない。ここでは引き続き「星野君の二塁打」を検討していく際の課題と関わって次のことを指摘しておきたい。
 前稿〔功刀論文(一)〕の「おわりに」において、アメリカのニューヨーク・ジャイアンツのマグロー監督の逸話を紹介し、「星野君の二塁打」の監督のモデルはマグローであり、「約束破り」に対する制裁もアメリ力起源であった可能性も否定できないと述べた。その後、この逸話が1929年に我が国で紹介されていることを確認することができた【*13】。従って上記の可能性は高まったと言えよう。しかしここでこの話を再度持ち出したのは「星野君の二塁打」へのアメリカの影響を強調したいからではない。そうではなくて、前稿においても本稿〔功刀論文(二)〕においてもこれまでは戦後日本の作品ということを前提にして「星野君の二塁打」を検討してきたのであるが、本稿において甲子太郎の民主主義とスポーツマンシップの捉え方に接した今これからは、この作品に流れている戦前・戦中からの連続面も検討すべきと思われるからである。上記の1929年にマグロー逸話を紹介した橋戸頑鐵〈ハシド・ガンテツ〉は「野球精神」と題した同じ講演の中で「犠牲的精神」、「協力一致の精神」、「監督の命令には絶対に服従的精神」をその「三大精神」としている【*14】。これは甲子太郎のスポーツマンシップ理解と全く一致している。問題は、これと一部重複するところの甲子太郎の民主主義観である。戦後甲子太郎のいう民主主義とは何であり、そしてそれはいかにして形成されたのであろうか。今後はこのことを戦前・戦中との連続面を意識しつつ「男らしさ」とも関連付けながら究明してみたいと思っている。ただしその方法は未だ模索中なのであるが。
〔注〕
*12 中瀬古哲〈ナカセコ・テツ〉「「子どもの権利条約」と体育授業の課題(2)――「星野君の二塁打」を扱った体育理論の授業実践を手がかりとして――」『教育学研究紀要』(中国四国教育学会)第40巻、第2部、1994年、384頁。
*13 橋戸頑鐵「野球精神」出口林次郎編『スポーツ精神』(奨健文庫 第五篇)奨健会、1929年、38-47頁。マグローの逸話を紹介した部分は次の通りである。「或る試合に於て某選手はバントを打つやう信号されたに拘らず、ホームランを打つたことがあります。其打者は定めし監督から賞められるであらうと思つて、ベンチに帰つた所が監督は命令に従はぬといふので二十五ドルの罰金を課したといふ事であります」(44頁)。
*13 同上書、42-44頁。

 文中、「橋戸頑鐵」とあるのは、功刀論文(一)に出てきた橋戸信〈ハシド・シン〉の別名である。つまり、両者は同一人物である。
 さて、以上、何回にもわたって、功刀俊雄氏の論文を紹介してきたのは、この論文の内容が非常に興味深く、かつ、それが提起しようとしている問題が、きわめて重要なものであると考えたからである。
 この功刀論文(二〇〇七、二〇〇八)は、インターネット上で、容易に閲覧できる。したがって、このブログとしては、こういう優れた論文があることを紹介し、参照をおすすめするだけでもよかったのかもしれない。しかし、私としては、どうしても、この論文の内容を紹介したくなったし、また紹介しなければならないとも思ったのである。
 私は、出版にたずさわる者ではないが、もし、自分が出版社の編集者だったとすれば、この論文を書いた功刀俊雄氏に連絡を取り、この論文の内容を一般の読者に向けて、一冊の本にまとめませんか、と持ちかけるであろう。仮タイトルは、『二塁打を打った星野君が出場停止になった理由』。
「星野君の二塁打」という教材をめぐる問題については、個人的に、いろいろと述べたいこともあるが、これについては機会を改める。ただ、この教材を使って「道徳」の授業をされるであろう先生方に対して、一言、申し上げたい。この教材の背景には、さまざまな「歴史」があり、是非、そうした「歴史」を踏まえた上で、授業を展開していただきたい、と。最後に、もう一度、功刀論文についてのデータを掲げる。明日は、話題を変える。

○功刀俊雄〈クヌギ・トシオ〉 小学校体育科における「知識」領域の指導:教材「星野君の二塁打」の検当(一) 教育システム研究(奈良女子大学教育システム開発センター)第3号 2007年4月 
○功刀俊雄 小学校体育科における「知識」領域の指導:教材「星野君の二塁打」の検当(二) 教育システム研究(奈良女子大学教育システム開発センター)第4号 2008年4月

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