礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

一生を下積みに終った不遇の芸人の方が多い

2018-04-27 05:10:29 | コラムと名言

◎一生を下積みに終った不遇の芸人の方が多い

 野村無名庵著の『本朝話人伝』(協栄出版社、一九四四)を紹介している。本日は、その四回目で、同書の「あとがき」を紹介する。
 原文では、ルビが多用されているが、その一部を、【 】の形で再現した。〈 〉内は引用者による読み、〔 〕内は引用者による注である。

  あ と が き
 講談落語名人誌の稿を起してより、一冊に全編を輯録すべき意図なりしも、次第に枚数を費してまだ半ばに達したに過ぎません。わづかに明治期に入つたのみで、まだあとには、講談の部に、花楽の陵潮〔伊東陵潮〕、〔桃川〕燕林の実、のんのん南龍〔二代目田辺南龍〕、名人の〔邑井〕一〈ハジメ〉、その子貞吉〈テイキチ〉、或は〔邑井〕吉瓶〈キッペイ〉、〔柴田〕馨やら、〔松林〕伯知やら、本編中にも談話を引用して資料と仰いだ〔東流斎〕馬琴老やら、次郎長の三代目〔神田〕伯山や、〔一龍斎〕貞水、〔桃川〕如燕、〔小金井〕芦洲、〔錦城斎〕典山、〔一龍斎〕貞山、南龍〔二代目田辺南龍〕さては〔伊藤〕痴遊、〔細川〕風谷、〔大谷内〕越山等、最近の諸名家に至る迄、一方落語の部に於ては、〔三遊亭〕円生〈エンショウ〉、〔三遊亭〕円橘〈エンキツ〉、鼻の円遊〔三代目三遊亭円遊〕、〔柳家〕禽語楼、〔三遊亭〕円馬、〔三遊亭〕円左【ゑんさ】、〔橘家〕円喬、小さん〔三代目柳家小さん〕、〔三遊亭〕円右〈エンウ〉、〔柳亭〕左楽、〔橘家〕円蔵、〔都々逸坊〕扇歌、〔三遊亭〕小円朝、〔橘ノ〕円〈マドカ〉、〔立花家〕橘之助、〔柳亭〕燕枝【えんし】、〔三升家〕小勝、〔柳家〕三語楼、乃至、〔入船亭〕扇橋【せんけう】、小さん〔四代目柳家小さん〕、〔桂〕文楽、〔柳家〕金語楼等、現在の面々に至る、諸家の列伝や目まぐるしき程の、沿革消長を語るには、尚以上の分量を要することと思はれますので、これは後編にゆづりますが、こゝに一言〈イチゲン〉いたしたきは、この書物を著した目的が、唯【たゞ】この道の事を、調査研究せらるゝ方々の参考資料たらしむるためにありますことでこゝに選んでのせた伝記中の人々は、皆それぞれ一世に名をあげた、成功者の話ばかりゆえ、これだけを見ますると、講談師落語家などは、割にやさしく立身【りつしん】が出来るものと、早合点をする読者がないとも限られず、年少子弟を過る〈アヤマル〉事ありはせずやと、いさゝか老婆心より憂慮もいたされます。どういたしまして、この反面に於て此〈コノ〉道の、失敗者落伍者はどの位あるか分らず、一生を禄々【ろくろく】と、下積みに終つた不遇の芸人の方が、数に於ては多いのでありまして、その中の何十分の一か、何百分の一かの少数の人々が、どうにか物になり得たのみに止まります。即ちごく選ばれた、天分のある特別の人が、非常の努力と苦労とによつて、辛うじて此〈コノ〉列伝中へ入れた訳【わけ】なのでありまして、決して誰でもなれるわけのものではありません。むしろ他の方面に於て、こゝに至る迄の苦心と努力をしたらもつと早く、もつと容易【たやす】く、どれ程立身も出世も出来て世の中の為めになれたか分らないと思ふ程であります。それはマア何の業でも同じではありますが、所謂【いはゆる】勝てば官軍とやら、成功したればこそ、先生とか師匠とか、世間でも認めませうが、その位置まで行かれなければ、残念ながら軽蔑を以て遇せられても文句のいへぬ家業であります。近頃でこそ、芸能人とか、芸術家とか申しますものの、昔は芸人【げいにん】といつて下等視され、堅気【かたぎ】を去つて芸人など志望すれば、勘当〈カンドウ〉はお定まり、親類縁者からは義絶をされるものに極つてゐたのを見ても分ります。よほど天分のあるものに非【あらざ】れば、講釈師や落語家などを志すものではありません。要はこの書中の名人大家たちが、その盛名を得るに至る迄の、忍耐と精進との精神を学び、これを各自の行く道に応用して頂きたいのであります。念の為特に呉々〈クレグレ〉も、此点を力説して本編を了ります。

 この「あとがき」によって、本書は、「講談落語名人誌」の前編にあたること、著者はこのあと、後編の刊行を予定していたことがわかる。
 同書の紹介は、このあとも続けるが、明日は、いったん話題を変える。

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