礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

1863年に日本の隆運を予言したW・ラーベ

2018-04-21 00:09:40 | コラムと名言

◎1863年に日本の隆運を予言したW・ラーベ

 青木昌吉著『独逸文学と其国民思想』(春陽堂、一九二四)を紹介している。本日はその四回目。本日は、同書の第五章「独逸人の堅忍」から、第四節「読書界の堅忍」の全文を紹介してみよう。

 独逸の小説、殊に規模の宏大なる長篇の小説は一般に、短刀直入を好む気の早い吾等日本人には、興味の津々として起るまで我慢して閲読を設けることが頗る〈スコブル〉困難であるが、本家本元の独逸人自身が接近し難い詩人と云ふ折紙を附けてる詩人の筆に成つた小説は尚更〈ナオサラ〉然りである。十九世紀の中葉に健筆を揮つたラーベ(Raabe)の如きは其最も顕著なる一例である。某文学史家は『ラーベは接近し難い詩人の一人である。然し此接近し難い詩人が偶々、我慢強い読者の最も愛読する詩人と成るものである』と云つて居る。私は初めの内は半ばは娯楽のためにする小説の閲読にまで堅忍我慢を要求し、堅忍我慢の徳を積まなければ、読書の真の面白味が得られぬ様に言つて居る此批評家の言を可笑しい〈オカシイ〉ことと思つて居たが、私自身の経験に依つて、此批評家の言の決して偽りでないことを悟つた。私は数年前偶然ラーベの小説『飢餓牧師』(Der Hungerpastor)『雀小路の日記』(Die Chronik der Sperlingsgasse)及物語全集を手に入れて、何時か一度は読んで見る積りで、本箱の片隅に並べて置いて、少閑のある毎に、時々取出して彼方此方〈アチコチ〉読懸けて見たが、薩張〈サッパリ〉興味が起らないのに呆れて、何時も二三頁噛つた位で止めて了つた。所が或時ハインリヒ、シユピエロ〔Heinrich Spiero〕と呼ぶ評論家の書いた(Deutsche Geister)と題する論文集を繙いて、其内に載つて居る『詩人と政治』と題する論文中に『ヰルヘルム、ラーベと呼ぶ独逸の詩人は、真正なる予言者として、千八百六十三年に既に、日本の今日の世界的地位を予言した』と云ふことが書いてあるのを見て、未だ明治の世に成らぬ五十余年前の昔に日本の今日の隆運を予想したと云ふことは、仮令〈タトイ〉暗合であるにしても、面白いことゝ思ひ、此小説家の作物の内には、何か日本または東洋に関することが載つて居りはせぬかと云ふ好奇心に駆られて、再びラーベの小説を本箱の隅から取出して閲読することに成つたが、獨逸の文学史家が、接近し難い詩人と云ふ折紙を附けて置くだけあつて、初めの間は却々〈ナカナカ〉読み難かつたが、段々読んで居る内に此小説家の質樸な廻り遠い〈マワリドオイ〉書き振りに甚深〈ジンシン〉の興味を催ほす様に成り、また此小説家が世間に燦爛〈サンラン〉たる功績を挙げた成功者を謳歌するよりも寧ろ奇人と嘲られ〈アザケラレ〉変人と譏られて〈ソシラレテ〉世間からは仲間外れの待遇を受けて居る人々の陰徳を称揚することに心を用ゐて居る識見に感じ、嘗てはフライターグ〔Gustav Freytag〕の小説を写実派の上乗として愛読して居た私は小説家としての価値から論ずれば、ラーベの方がフライターグより一枚上ではないかとの疑問を起す様に成つた。一体読者が書物に対する関係は、吾等が友人に対する関係と同一である。世間には生来人附〈ヒトヅキ〉の悪い、迂闊〈ウカツ〉に話懸けでもすれば直ぐ剣突〈ケンツク〉でも呉れさうな恐ろしい顔をして居て、容易に接近し難いやうに見える人がある。所がさう云ふ人と、何等かの機会に言葉を交はし始めて、段段心中を話合つて見ると、案外物の道理が解つた親切な人で、一旦知己〈チキ〉に成ると一生離れることの出来ない親友と成る例は屡々あるが、ラーベの如き小説家の作物も其通りで、初めは容易に親近し難いが、一旦親近すするとまた容易に離れ難く成り、何遍でも繰返して読みたく成るのである。尚一つ独逸の詩人及読書界の辛抱強いことを示すものは、往復の書面の冗長で且多数であることである。文芸上の作品を評論するには、其作品の成立当時の作者の気分とか境遇とかを熟知しなければ、作品を真正に諒解することが出来ないと云ふので、作者が生存中、知己友人乃至は関係した婦人に寄せた書面、及此等色々の種類の人々から作者に寄せた書面を蒐集して一切合切〈イッサイガッサイ〉印刷に附することが、近代の文壇の流行に成つて居るが、独逸の詩人及学者の書面の冗長にして且饒多〈ジョウタ〉なることは驚く可き程で、此等の人々は、一生涯手紙ばかり書いて居たのではないかと思はれる位である。其内でもアレクサンデル、フオン、フンボルト〔Alexander von Humboldt〕は最も沢山手紙を書いた学者で、絶倫の精根〈セイコン〉を要すると云ふ場合に、「アレクサンデル、フオン、フンボルトの書簡を残らず暗記するに足る精根を捧ぐるを要す』(Es bedarf der Aufbietung einer Willenskraft, die hinreicht, um sämtliche Briefe Alexander von Humboldts auswendig zu lernen)と書いて居る人がある。独逸人は平生〈ヘイセイ〉長い手紙を読み慣れて居るので、小説なぞに長い手紙が挿入してあつても、読者が格別小言を云はないものと見えて、気の短かい吾等日本人には、到庭我慢の出来兼ねる程冗長な手紙が小説中に挿入してあることが往々ある。パウル、ハイゼ〔Paul Heyse〕の筆に成つた『浮世の人人』(Die Kinder der Welt)と越する小説に、エドヰン〔Edwin〕が最愛の妻に送つた手紙は活字に直して十六頁ある。幾ら最愛の良人〔夫〕の手紙でも斯う長くつては読飽きるであらう。

「堅忍〈ケンニン〉」というのは、昨今、あまり使われなくなった言葉だが、我慢とか忍耐といった言葉と、ほぼ同義である。青木昌吉によれば、ドイツの小説には、その面白さがわかるまで、読者に我慢、忍耐を強いるものがある。そして、この事実を以て青木は、「独逸人の堅忍」をよくあらわしているものだとするのである。
 ここで青木が挙げているラーベという作家については、その名前すら知らなかったが、ウィキペディアには、「ヴィルヘルム・ラーベ」(Wilhelm Raabe)の項があり、かなり詳しい説明がある(一八三一~一九一〇)。青木の説明を読むと、読者に我慢、忍耐を強いる作品ばかり書いているような先入観を抱くが、それが本当かどうかは、やはり一度、作品にあたって確かめる必要があるだろう。戦前の岩波文庫に、伊藤武雄訳『雀横丁年代記』が入っているというが、もちろん読んだことはない。

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