◎総理はもう少し荷を軽くしてはどうか(岡田啓介)
共同通信社刊の『近衛日記』は、一九六七年(昭和四二)に発見された「近衛日記」(近衛文麿の口述を秘書が記録したもの)を中心に編集された本である。共同通信社「近衛日記」編集委員会編、一九六八年(昭和四三)三月刊、定価四八〇円。
本日以降、その「日記」を紹介してみたい。本日は、同書第一章「近衛日記」から。
サイパンを中心とせるマリアナ諸島沖海戦以来、戦局すこぶる我に不利にして上下憂色 にとざさる。特に 雲上はもちろん重臣層のこれが対策に関する苦心焦慮は容易ならざる ものあり。後日のため以下、これに関連する 動きの概略を記述し置かんとす。
昭和十九年七月五日 荻外荘【てきがいそう】にて
これが、近衛文麿による一種の「まえがき」で、以下、一九四四年(昭和一九)六月二一日からの「日記」となる。
六月二十一日午後四時
永田町首相官邸において重臣会議
東條〔英機〕首相より積極的に戦況報告なきをもって若槻〔礼次郎〕男爵より質問出づ。
男爵 新聞を見ると飛行機及び船舶の損害のあったことが公表されているが、軍艦の損害はなかったのか。
首相 あった。
男爵 軍艦に損害があったとすれば、それは艦隊と艦とやった訳か。
首相 然り。
男爵 損害程度は如何。
首相 六と四の割合と思う。然し味方は多く見るから、あるいは五と五の割合かも知れぬ。
此の時、岡田〔啓介〕大将と突如として発言し、
総理はもう少し荷を軽くしてはどうか。
と言うや、首相は如何なる意味かと反問し、大将はさらに、
四役を兼ねていることは容易でない。殊に参謀総長となると夜、電報が来るかも知れず、夜中屡次〈ルジ〉起されては碌に睡眠もとれない訳だ。だからもう少し荷を軽くしてはどうかと言うのだ。
と述ぶ。これに対し首相は全然黙して答えず。【以下、次回】
※今月一〇日のブログで、「本日朝、今年初めてクマゼミの声を聞いた。これで今年も、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ、クマゼミと、五種類のセミの声を聞いたことになる」と書いた。この時点で、二イニイゼミの声を確認していなかったが、昨日、午前中に、二イニイゼミの声を聞いた。昨日、午前中、一時的に雨が降った。雨が降ると、ほかの蝉は鳴きやむが、ニイニイゼミは、鳴き続ける。それでハッキリとわかった。本日朝も、一時的に雨が降った。やはり、ニイニイゼミだけは、鳴き続けていた。いずれにしても、今年は、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ、クマゼミ、ニイニイゼミと、六種類のセミの声を聞いたことになる。