◎後継内閣は宮様以外に人なき事(木戸幸一)
共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)から、「近衛日記」を紹介している。本日は、その三回目で、一九四四年(昭和一九)六月二四日の日記を紹介する。
二十四日
木戸〔幸一〕内府来訪(文隆結納の件に就、媒酌人として夫人同伴)
以下木戸内府の話
我連合艦隊は、今度こそ決戦をやらなければならぬというので、非常の期待をもって艦隊の大部分が行った。三〇〇海程【かいり】敵に接近し、母艦から飛行機を飛ばしてサイパン周囲の敵機動部隊を襲撃した。ところが飛行機はほとんど皆やられ、艦隊は三〇〇浬【かいり】の地点から退却するのやむなきに至った。そして、その途中、潜水艦に空母三隻やられた。爾余【じよ】の損害は大したことはなかったが、然し、これで海軍の航空隊の精鋭をことごとく失った訳だ。随【したが】って、もはや連合艦隊は再び起たれぬという事態に陥った、と聞いている、と暗然たり。ここにおいて予は東久邇宮殿下のお話をなしたるに、内府はさらに、
赤松〔貞雄〕(首相秘書官)が松平(内大臣秘書官長)の処へ昨日か一昨日かに来て「首相は適当の人があったらやめたい肚【はら】だ」と言ったから、松平〔康昌〕は「やめるやめないより、四役の荷を軽くしたらどうだ」と言ってやったそうだ。ところが、その翌日(註、案ずるに内府の荻外荘へ来訪せる前日、即ち二十三日なるべし)東條が自分の処に来て、常とは違い常とは違い酷【ひど】くしょげて何も言わず一時間余いたが、結局不得要領〈フトクヨウリョウ〉のままで帰った。
と語る。かくて戦局の見透しとしてむずかしき事、最悪の場合及び東條辞職の場合等につき種々意見を交換したるが、内府の考え方は次の如し。
一、国家の方針が直ちに戦争を中止することに決定したる場合は、後継内閣は宮様以外に人なき事。ただし戦争を直ちに中止せず、なお打つ手ありや否や研究を要する事。
一、いよいよ戦争中止と決定せる場合は、陸海官民の責任の塗り合を防止するため陛下が全部御自身の御責任なることを明らかになさせらるる必要ある事。
一、かくすれば東條も黙過し得ず、適当の所置をとるべき事。