◎すべての責任を東條にしょっかぶせるがよい(東久邇宮)
共同通信社「近衛日記」編集委員会編『近衛日記』(共同通信社、一九六八年三月)から、「近衛日記」を紹介している。本日は、その二回目で、一九四四年六月二二日の日記を紹介する。
二十二日夜
長尾〔欽弥〕邸招宴
午後六時の案内なりしに東久邇宮〔稔彦王〕殿下、六時半頃来着あり。「近衛一寸来てくれ」と予を別室に誘引せられ一時間半程会談せらる。
殿下は予の顔を見らるるや、イキナリ、
東條〔英機〕も今度は弱ったようだ。実は今遅れたのは東條の使が来たためだ。使は赤松〔貞雄〕でない外の秘書官だ。
東條は「私も今日まで全力を挙げて来ましたが、とてももうやって行けません」と言って来たのだ。(註、案ずるに殿下に後継内閣を依頼せるならん)
そこで俺は、今は絶対にやめてはいかん。内閣を大改造してでも此の際は続けて行くがよい、と言ってやった。自分は矢張り東條に最後まで責任をとらせるがよいと思う。悪くなったら皆東條が悪いのだ。すべての責任を東條にしょっかぶせるがよいと思うのだ。内閣が変ったら責任の帰趨がぼんやりして最後には皇室に責任が来るおそれがある。だから今度はあくまで、東條にやらせるのがよい…。此の前、ここ(長尾邸)で会った時心配していたようになったね。
とのお話。ここにおいて予は重ねて、
殿下の御見込如何。
と伺う。殿下は、
早晩駄目だ。それで最悪の埸合を考えて置かなければならない。
と仰せられる。
予 最悪の場合はとても臣下では納まりませぬ。殿下か高松宮〔宣仁親王〕様にお願いしなければならないでしょう。
殿下 それは覚悟はしている。