◎東京ではクマゼミは珍らしい(高島春雄)
本日朝、今年初めてクマゼミの声を聞いた。これで今年も、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ、クマゼミと、五種類のセミの声を聞いたことになる。
ところで、『土の香』第一六巻第六号(一九三五年一二月)に、高島春雄の「熊蝉の方言」という文章が載っていた。本日は、これを紹介してみたい。
熊 蝉 の 方 言 高 島 春 雄
熊蝉は本州・四国・九州の特産で体漆黒雄偉且つ鳴声が頗る高いのでよく知られて居る。古名をウマゼミと云ふ如くクマは一つには体の雄偉を表現して居るのであつて内地産の蝉では最大者である。今一つは其の体色に由来し御承知の如くクマは国語では黒を表現して居る。本州も何処にでも居るといふ訳でなく東京以西、それも普通に鳴声を耳にし得られるのは箱根山以西である。所謂江戸つ子でクマゼミの声を聴いたといふ人は殆ど無からう。東北人は其の鳴声を想像するだに出来ぬ。クマゼミの居らぬ所に方言は無い。後に掲げる如くクマゼミの諸方言は箱根以西東海道から近畿・中国・それに四国と九州に色々行はれて居るのである。クマゼミの仲間は動物地理学上の南帯分子(東洋区系種)で本邦では琉球や台湾が本場であるのだが,九州・四国更に本州を北上分布して居る訳である。クマゼミは南帯分子の本州に於ける北上の一例と私達は見做して居る。其の北進の眼界は奈辺に存するかは興味ある事象であるが、各地に於ける同好者が未だ少くてはつきりした事が申せない。私が蒐め得た資料及び結論は次の通りである。
千葉県では谷津海岸で加藤正世氏が一回聴いて居られる。東京府では不思議に何れも大東京市内での観察で其の例は相当ある。之は矢張り東京には人が多く随つて注意する士も多いので聴取例が多数に上つて居るのかも知れない。兎に角東京ではクマゼミは珍らしい蝉で之を聴いた人は蓋し僥倖と謂はねばならない。世田谷区野沢町(昭和五年八月十四日、昭和六年八月二十一日、昭和八年八月二十二日より二十四日まで 以上何れも加藤氏)、大塚(加藤氏)、本郷区駒込曙町(昭和十年八月三十日 高島)、三田桂公爵邸内(加藤氏)、芝区高輪御殿内(昭和七年夏 牧野信一氏)、品川区東品川(昭和八年八月 黒田隆治氏)、下戸塚(大正四年九月上旬 某氏)、豊島区雑司ケ谷町(大正十二年九月三日、昭和八年八月 何れも某氏)、豊島区西巣鴨(昭和四年か五年の夏、阿部英三氏)、板橋区石神井公園(今夏 加藤氏)、其の他東京で聴かれた士に川合修二氏、内田亨氏、小田文吉氏等がある。埼玉県では深谷昌次氏よりの御来示に拠れば浦和市でに大正十三年八月、昭和七年八月二十九日、昭和八年八月十六日の三回。群馬県では加藤氏に拠れば「小学校時代に友人から群馬県で獲れたと云ふクマゼミを数頭貰ひ受けた」とある。長野県では下伊那郡教育会自然調査部報告に拠ると下伊那郡に産する様である。福井県からの報告もある。結局「本州では千葉県・埼玉県・群馬県・長野県・岐阜県・福井県を連ねる線を以てクマゼミ分布の限界とし之以北の地には一頭も居らぬと称しても過言でない。千葉県・東京府・埼玉県・群馬県では極めて珍らしく神奈川県も箱根以西は普通であるが以東は概して尠い」と云ふ結論が成立つ。之を図示すると次の如くで【図・割愛】年平均気温摂氏十三度の等温線(之は木州に於ける動物分布上重要なる意義を持つて居る)を超えて居らぬ。右に誌した地方のクマゼミ分布に関し誌友諸賢から新なる資料を提供して頂ければ幸甚である。クマゼミ方言も此の区界線を超えた地方に存在して居らぬのは当然である。次に五十音順に掲げる各地方言は筆者自身並びに昆虫趣味の会が蒐集したのを整理せるもので、後者の借用に関しては同会代表者の加藤正世氏に御礼を申し上けねばならぬ。【以下、次回】