◎連合軍部隊の第一次進駐行動は概ね左の如く予定せらる
朝日新聞社編『終戦記録』(朝日新聞社、一九四五年一一月)に拠って、今から七十五年前の文書を紹介している。これまで、紹介した文書は、次の通り。
一九四五年(昭和二〇)八月二一日 マニラ会談についての「大本営及帝国政府発表」
一九四五年(昭和二〇)九月二日 いわゆる「降伏文書調印に関する詔書」
一九四五年(昭和二〇)九月二日 降伏文書
このあと、「帝国議会における東久邇首相宮殿下の御演説」(一九四五年九月五日)を紹介する予定だが、本日は、八月二二日の文書を一件、補足する。これは、『終戦記録』の「連合軍の日本統治方針」の部に載っていたものである。この文書は、「進駐」という言葉が使われた文書としては、おそらく最初期のものであろう。
連 合 軍 第 一 次 本 土 進 駐
大本営及帝国政府発表(昭和二十年八月二十二日五時)
一、連合軍の第一次本土進駐部隊は八月二十六日より逐次東京湾周辺地域の一部に到着する予定なり
二、右進駐に当り紛争を避くる為左の通り実施することに定めらる
(イ)概ね千葉県鴨川東側、千葉市、多摩川河口、府中、八王子、大月、伊豆半島南端を連ぬるの線内池域に在る我が武装軍隊は成るべく速に該当地域外に撤去せしめらる
(ロ)右地域内には我方の一般警察の外武装警察、憲兵及び海軍保安隊を配備し治安維持を強化す
(ハ)右地域内の官庁、公共団体等の機能は平常通にして住民も亦従前通りの平静なる日常生活を継続すべきものとす、但し混乱予防等の為臨機統制を要する事項に就ては其の都度一般に公示す
尚連合軍と我方との接触は別に設置せらるゝ機関を経て行はる
三、連合軍部隊の第一次進駐行動は概ね左の如く予定せらる
八月二十五日より本士上空に飛行を開始す、八月二十六日朝以降厚木飛行場へ空輸先遣部隊到着より同日連合国艦隊相模湾に、其の一部軽快部隊東京湾に入港す、八月二十八日以後逐次空輸及び海上輸送を以て厚木及び横須賀附近より兵力を進駐す