礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「降伏文書調印に関する詔書」(1945・9・2)

2019-08-22 02:54:41 | コラムと名言

◎「降伏文書調印に関する詔書」(1945・9・2)

 共同通信社編『近衛日記』の紹介を中断し、朝日新聞社編『終戦記録』(朝日新聞社、一九四五年一一月)を紹介している。本日は、同書の「帝国議会に対する終戦経緯報告書」の部から、(別紙第八)「詔書」を紹介する。一般に、「降伏文書調印に関する詔書」と呼ばれているものである。

(別紙第八)
       詔  書

朕ハ昭和二十年七月二十六日米、英、支各国政府の首班カポツダムニ於テ発シ後ニ蘇連邦カ参加シタル宣言ノ掲クル諸条項ヲ受諾シ帝国政府及大本営ニ対シ連合国最高司令官カ提示シタル降伏文書ニ朕ニ代リ署名シ且連合国最高司令官ノ指示ニ基キ陸海軍ニ対スル一般命令ヲ発スヘキコトヲ命シタリ朕ハ朕カ臣民ニ対シ敵対行為ヲ直ニ止メ武器ヲ措キ且降伏文書ノ一切ノ条項並ニ帝国政府及大本営ノ発スル一般命令ヲ誠実ニ履行セムコトヲ命ス

 御 名 御 璽
  昭和二十年九月二日
    内 閣 総 理 大 臣 
    各 国 務 大 臣

 今日、インターネットで、「降伏文書調印に関する詔書」を検索すると、詔書の実物を、影印によって見ることができる。それを参考にして、同詔書を実物に近い形で再現してみよう。改行は、実物のまま。「―――」は、改ページを示す。なお、当時の首相は、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこおう)である。

朕ハ昭和二十年七月二十六日米英支各
国政府の首班カポツダムニ於テ発シ後ニ
蘇連邦カ参加シタル宣言ノ掲クル諸
条項ヲ受諾シ帝国政府及大本営ニ
対シ連合国最高司令官カ提示シタ
ル降伏文書ニ朕ニ代リ署名シ且連合
国最高司令官ノ指示ニ基キ陸海
軍ニ対スル一般命令ヲ発スヘキコトヲ
命シタリ朕ハ朕カ臣民ニ対シ敵対行
為ヲ直ニ止メ武器ヲ措キ且降伏文書
   ―――
ノ一切ノ条項並ニ帝国政府及大本営ノ
発スル一般命令ヲ誠実ニ履行セム
コトヲ命ス

裕 仁  天皇御璽

   ―――
  昭和二十年九月二日
    内閣総理大臣 稔彦王
    国務大臣 公爵近衛文麿
    海軍大臣 米内光政
    外務大臣 重光 葵
    運輸大臣 小日山直登
    大蔵大臣 津島壽一
    司法大臣 岩田宙造
    農林大臣 千石興太郎
    国務大臣 緒方竹虎
   ―――
    内務大臣 山崎 厳
    商工大臣 中島知久平
    厚生大臣 松村謙三
    文部大臣 前田多門
    国務大臣 小畑敏四郎
    陸軍大臣 下村 定

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