礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

宮崎さんが生きているうちに確かめたかった

2022-04-08 02:47:31 | コラムと名言

◎宮崎さんが生きているうちに確かめたかった

 東京新聞の記事で、作家の宮崎学さんが亡くなったことを知った。
 すぐに思い出したのが、数年前に、ネット上で読んだ対談の記事だった。宮崎学氏と寺澤有氏の対談で、「グリコ・森永事件『キツネ目の男』の正体」と題されていた。出典は、「増刊FLASH DIAMOND」の2019年11月15日増刊号、対談がおこなわれた日時は示されていない。
 このネット記事は、今でも読める。その一部を引用してみよう。

 対談は佳境に――。宮崎氏と寺澤氏は、ほかにも「武富士事件」などで、時には味方として、時には敵として、絡み合ってきた。現在、宮崎氏は闘病中で体調がすぐれない。この対談も、実現までには3カ月の時間が必要となった。
 寺澤氏が、宮崎氏にどうしても聞いておきたかったというのが、グリコ・森永事件と「キツネ目の男」をめぐる疑問だという。
寺澤「これまで、この『キツネ目の男』は、犯人グループの一員で実在する人間だとされて、そう報道もされてきました。
 犯人を捕まえる最大のチャンスだったとされ、結果的に取り逃がすこととなった、滋賀・大津サービスエリアでの現金受け渡し現場でも、この『キツネ目の男』は当日、何度も目撃されたことになっています。
 また、別の現場となった電車の中でも、捜査員を監視する不審な男が確認され、のちに『キツネ目の男』と同一人物だったとされました。そして、この有名な『キツネ目の男』の似顔絵は、捜査員たちが現場で目撃した記憶をもとに作られたことになっています。
 でも見れば一目瞭然、宮崎さんにそっくりどころか、そもそもこの宮崎さんの写真をもとにして、似顔絵を警察がでっち上げたんじゃないかと思っているんです」
宮崎「まあ、警察がどういういきさつでこういう似顔絵を作ったのか、僕にはわからないよ(笑)」
寺澤「宮崎さんの『突破者』を読むと、当時、これが公表されたとき、宮崎さんと一緒にいた女のコが、『テレビにあんたが出てる』と驚いたなんて話も出ています(笑)。
 明らかに、宮崎さんの写真をもとに、警察はこの『キツネ目の男』の似顔絵を作っていますよね。警察には、なにかしらの意図があったと思います。『何か心当たりがないか聞きたい』と、長年思っていました」
宮崎「事件の舞台になった京都・伏見という場所については、俺は詳しいよ。その土地鑑があることと、当時の警察のブラックリストを掛け合わせて検索したら、(容疑者として)残ったのが俺だったと思う。
 そこから逆算して、この似顔絵を作っていった可能性はあるんじゃないかな」
寺澤「警察は、『宮崎さんをグリコ・森永事件の容疑者、重要参考人に仕立て上げたかった』ということですか」
宮崎「間違いなく、そうだったと思う」
寺澤「そうなってくると、そもそも『キツネ目の男』は実在したのかと、私は思っているんです。大津サービスエリアや電車の中で捜査員が目撃したという『キツネ目の男』は、本当にいたのかと」
宮崎「電車の中や大津サービスエリアに、不審な動きをする犯人グループらしい人間が、いたことはいたんだと思う。でも、その人間がどこの誰なのか、警察の能力では特定できなかったんだろう」
寺澤「『その場になんらかの犯人グループらしい男はいた』と。でも、それは警察が発表した、あの『キツネ目の男』ではなかったんでしょうね」
宮崎「たぶん」
寺澤「ですよね」
宮崎「まして、『現場に俺がいた』なんていう話まであるが、そもそも当時の俺は、警察にマークすらされてなかった。それがある日突然、警察官が自宅に訪ねてきて、『この日どこにいましたか?』なんて聞いてきたんだ。
『あ、アリバイ確認されてるのか』とすぐに思ってね。その日、分裂していた武蔵野音楽大学の労働組合が統一するということがあって、俺はそれを応援していたから、現場で挨拶しているわけ。資料にも残っていたから、『ここにいたよ』と見せた瞬間に、警察官はガクッとしてね」
寺澤「僕もグリコ・森永事件は、かなり取材をしてきたんですが、僕の中でずっとあった、『あの似顔絵の「キツネ目の男」は、実際には電車にも乗っていなかったし、大津サービスエリアで目撃された男ともまったく違う』という仮説と、宮崎さんも意見は一致します?」
宮崎「一致するね」
寺澤「ああ、よかった(笑)。このことは絶対に、宮崎さんが生きているうちに確かめたかったんです」

 寺澤有氏の「でも見れば一目瞭然、宮崎さんにそっくりどころか、そもそもこの宮崎さんの写真をもとにして、似顔絵を警察がでっち上げたんじゃないかと思っているんです」という質問に対し、宮崎学氏は、「まあ、警察がどういういきさつでこういう似顔絵を作ったのか、僕にはわからないよ(笑)」と返している。
 ここが、この対談のツボである。宮崎氏は、「宮崎さんの写真をもとにして、似顔絵を警察がでっち上げた」ことを、認めているのである。寺澤氏が、宮崎氏が「生きているうちに」このことを確かめたことは、たいへん重要なことだった。
 一方、「警察がどういういきさつでこういう似顔絵を作ったのか、僕にはわからないよ」という宮崎氏の答には、たぶんゴマカシがある。宮崎氏は、「警察がどういういきさつでこういう似顔絵を作ったのか」、わかっていたと思うのである。
 というのは、寺澤氏の「警察は、『宮崎さんをグリコ・森永事件の容疑者、重要参考人に仕立て上げたかった』ということですか」という質問に対し、宮崎氏は、「間違いなく、そうだったと思う」と答えているから。もし、「警察がどういういきさつでこういう似顔絵を作ったのか」わからないというのであれば、宮崎氏は、ここでも、「警察が何を考えていたか、僕にはわからないよ」という答を繰り返さなければならなかった。
 ここから先は、礫川の憶測である。おそらく警察は、何らかの理由で、事件の真犯人を検挙するわけにはいかないと判断したのであろう。そこで、アリバイがあって、真犯人ではありえない宮崎氏を「重要参考人」に仕立て、国民やマスコミを瞞着し、事件を「迷宮入り」の方向に持っていったのではないだろうか。

*このブログの人気記事 2022・4・8(10位になぜか阿南惟幾)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする