◎『民法典との訣別』から読みとれる諸情報
1980年代の半ばごろ、戦中の「統制経済」に対して興味を抱き、関係の書籍や資料を集めたことがある。その当時、「統制経済」関係の文献は古書店で容易に入手できた。古書価も二束三文であった。
ところが、1990年代にはいったあたりから、「統制経済」関係に限らず、戦時体制に関する文献、あるいは戦時中に発行された文献の古書価が、にわかに急騰していった。
最初のうちは、その理由がわからなかったが、あとになって理由がわかった。1980年代末から、社会学者・山之内靖(やまのうち・やすし、1933~1914)の「総力戦」論を嚆矢として、「戦中戦後連続論」なる視点に立った研究が次々とあらわれ、総力戦体制や戦時統制経済への関心が高くなっていたのであった。
民法学者・舟橋諄一の回想文「私の八月十五日」(1976)によると、舟橋は、戦中に自著を上梓しようとした際に、検閲を意識して、「ナチス法学者の論文を表看板」にしたという(今月20日の当ブログ参照)。おそらく当時、舟橋諄一に限らず、また民法学者に限らず、多くの法学者が、そういった「忖度」を余儀なくされたのであろう。この時代、「ナチス憲法」を研究テーマに選んだ憲法学者も少なくなかったのである(2015年7月29日の当ブログ参照)。
しかし、戦後になって、戦中における、そういった学問的な「忖度」を正直に語っている法学者は、例外的である。そういう意味で、舟橋の前記回想文は貴重である。そして、それ以上に貴重なのが、『民法典との訣別』という文献それ自体であり、そこから読みとれる諸情報だと考える。
そういうわけで、このあと、『民法典との訣別』の本文も、少しだけ紹介させていただきたい。関心をお持ちになる読者が少ないことは、よく承知しているが、紹介せずにはいられない。
明日以降、同書の第二部「『民法典との訣別』論について」の「一 序説」を紹介する。本日は、中扉のウラ(54ページ)に置かれていた「自註」を紹介しておく。
第二 『民法典との訣別』論について 〈中扉・53ページ〉
本編は、もと、日本経済法学会第三回京都大会(昭和十六年十一月)における研究報告の際の手稿を整理して、同学会に提出した報告論文であつて、「日本経済法学会年報――経済法の諸問題⑶」に載せられたものである。これを本書に採録するに当り、主として註の部分に多少の筆を加へた。〈54ページ〉