◎原武史さん、近鉄特急で京都から津まで移動
原武史さんの「歴史のダイヤグラム」(朝日新聞連載)を、毎回、楽しく読ませていただいている。今月21日の記事は、「京都から津に行くには」と題されたもので、1977年(昭和52)3月25日に、近鉄特急に乗って、京都駅から津駅まで移動した思い出が記されていた。
当時、原さんは、中学2年生だった。この日、友人Nと京都を観光したあと、帰京しようとしたが、東海道新幹線のダイヤが乱れ、いつ帰れるか見通しがつかなかった。友人Nは、奈良市内の親戚の家に泊るという。原さんは、津市近郊にある伯父の家に泊ることにした。以下、記事の引用。
しかし、京都から津まではかなり遠い。特急券を買うNと中央口の近くにあった近鉄の切符売り場に行ってみると、18時15分発鳥羽〈トバ〉ゆきの特急があった。三重県まで一本で行けるのは好都合だが、停車駅は大和八木〈ヤマトヤギ〉の次が松阪で、津には行かなかった。
窓口の職員に津まで行きたいのだがと告げると、大和八木で同じホームの反対側に停まる近鉄名古屋ゆきの特急に乗り換えろと言う。事情が呑み込めぬまま、津までの特急券を買った。
近鉄の乗り場に行くには、いったん国鉄の改札を抜ける必要があった。改札に接する1番線(現・0番線)の長いホームから、17時36分発の客車列車が出ようとしていた。東海道本線と草津線を経由して、三重県の柘植【つげ】まで行く普通列車だった。
京都―草津間だけとはいえ、戦前を思わせる古色蒼然とした列車が東海道本線を走っていたのだ。この列車に乗り、柘植と亀山で乗り換えれば、距離的には近鉄よりも短いことに気づいた。
後ろ髪を引かれる思いで鳥羽ゆきの特急に乗った。大和八木では、同じホームの反対側に近鉄難波(現・大阪難波)発近鉄名古屋ゆきの特急が入ってきた。そして鳥羽ゆきが出て3分後に続けて発車し、名張〈ナバリ〉に停まると次は津だった。……
記事によれば、名古屋ゆきの近鉄特急が津駅に着いたのは、20時7分だったという。京都駅発が18時15分だから、2時間を要していない。
では、もし、この日、原武史さんが、京都駅1番線から出ていた柘植駅ゆきの国鉄普通列車に乗ったとしたら、津駅に着くのは何時ころになったのだろうか。
今、机上に、『時刻表 1978夏号』がある。発行日・発行所の記載はなく、表紙に「謹呈 日本国有鉄道」と書かれている。その221ページに、1977年3月15日に改正された草津線の時刻表が載っていた。それを見ると、京都駅発17時36分の柘植ゆきがある(726列車)。1977年3月当時の列車の運行状況も、この時刻表と、それほどの違いはなかったと推定できる。
726列車の柘植駅着は、19時18分。ここから津に向かうには、まず、関西本線の上りで亀山駅までゆかなければならない。名古屋ゆきの急行「かすが4号」(210D)の柘植駅発が19時25分。次の停車が亀山駅で、19時45分に着く。ここで紀勢本線の下りに乗り換えることになる。名古屋発・津ゆきの923列車の亀山駅発は19時55分、終着の津駅着は20時20分である(いずれも、前記『時刻表』による)。出発から到着まで、2時間44分もかかることになるが、到着時間は、近鉄特急を利用した場合に比べて、13分遅くなるだけである。
原さんは、すでに、近鉄の乗車券・特急券を購入していたわけだが、もしそうでなければ、京都駅で、「古色蒼然とした列車」に乗り込むという選択もありえたと思った。
原武史さんの「歴史のダイヤグラム」(朝日新聞連載)を、毎回、楽しく読ませていただいている。今月21日の記事は、「京都から津に行くには」と題されたもので、1977年(昭和52)3月25日に、近鉄特急に乗って、京都駅から津駅まで移動した思い出が記されていた。
当時、原さんは、中学2年生だった。この日、友人Nと京都を観光したあと、帰京しようとしたが、東海道新幹線のダイヤが乱れ、いつ帰れるか見通しがつかなかった。友人Nは、奈良市内の親戚の家に泊るという。原さんは、津市近郊にある伯父の家に泊ることにした。以下、記事の引用。
しかし、京都から津まではかなり遠い。特急券を買うNと中央口の近くにあった近鉄の切符売り場に行ってみると、18時15分発鳥羽〈トバ〉ゆきの特急があった。三重県まで一本で行けるのは好都合だが、停車駅は大和八木〈ヤマトヤギ〉の次が松阪で、津には行かなかった。
窓口の職員に津まで行きたいのだがと告げると、大和八木で同じホームの反対側に停まる近鉄名古屋ゆきの特急に乗り換えろと言う。事情が呑み込めぬまま、津までの特急券を買った。
近鉄の乗り場に行くには、いったん国鉄の改札を抜ける必要があった。改札に接する1番線(現・0番線)の長いホームから、17時36分発の客車列車が出ようとしていた。東海道本線と草津線を経由して、三重県の柘植【つげ】まで行く普通列車だった。
京都―草津間だけとはいえ、戦前を思わせる古色蒼然とした列車が東海道本線を走っていたのだ。この列車に乗り、柘植と亀山で乗り換えれば、距離的には近鉄よりも短いことに気づいた。
後ろ髪を引かれる思いで鳥羽ゆきの特急に乗った。大和八木では、同じホームの反対側に近鉄難波(現・大阪難波)発近鉄名古屋ゆきの特急が入ってきた。そして鳥羽ゆきが出て3分後に続けて発車し、名張〈ナバリ〉に停まると次は津だった。……
記事によれば、名古屋ゆきの近鉄特急が津駅に着いたのは、20時7分だったという。京都駅発が18時15分だから、2時間を要していない。
では、もし、この日、原武史さんが、京都駅1番線から出ていた柘植駅ゆきの国鉄普通列車に乗ったとしたら、津駅に着くのは何時ころになったのだろうか。
今、机上に、『時刻表 1978夏号』がある。発行日・発行所の記載はなく、表紙に「謹呈 日本国有鉄道」と書かれている。その221ページに、1977年3月15日に改正された草津線の時刻表が載っていた。それを見ると、京都駅発17時36分の柘植ゆきがある(726列車)。1977年3月当時の列車の運行状況も、この時刻表と、それほどの違いはなかったと推定できる。
726列車の柘植駅着は、19時18分。ここから津に向かうには、まず、関西本線の上りで亀山駅までゆかなければならない。名古屋ゆきの急行「かすが4号」(210D)の柘植駅発が19時25分。次の停車が亀山駅で、19時45分に着く。ここで紀勢本線の下りに乗り換えることになる。名古屋発・津ゆきの923列車の亀山駅発は19時55分、終着の津駅着は20時20分である(いずれも、前記『時刻表』による)。出発から到着まで、2時間44分もかかることになるが、到着時間は、近鉄特急を利用した場合に比べて、13分遅くなるだけである。
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