礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

阿波国八万村に袖ハギさんと称する祠がある

2018-10-25 00:38:30 | コラムと名言

◎阿波国八万村に袖ハギさんと称する祠がある

 中山太郎の論文「袖モギさん」(『郷土趣味』第四巻第二号、一九二三年二月)を紹介している。本日は、その五回目。昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。

 中国筋にくらべると少しは劣るかは知らぬが、四国にも袖モギの俗信は可なり行渡つてゐるやうである。讚岐国大川郡引田町大字馬篠の袖掛神社は、昔祭神の水主明神が此の地を過ぎる折に、その袖が木にかゝつて断れたので、里人祠を建てゝ之を祀り袖掛神社と称したとある(讃州府誌巻二)。同国三豊郡麻村大字上麻の栂の峯に木折神と云ふがある、又た袖モヂキとも云ふてゐる。旅行の人が木の枝を折て手向るので比の称がある(西讃府誌)。此の記事は極めて簡単なものではあるが、袖モギさんの結論に甚大の交渉を有してゐるのであるから、特に読者の注意を促して置く。同郡一の谷村大字吉岡にも袖茂知岐と称する祠がある。俚伝に此の地は昔琴弾八幡宮の旅所であつたのを、村民八幡宮をこゝに祭らふとして隣村の土井の村民と互に神体を奪ひ合ひ、吉岡では御衣をとり土井では袖をとり、各々これを齊き祭つた。その袖を茂知岐たるところなので斯く云ふとある(同上)。此の話などは原の姿の失はれるほど伝記化されてゐるがそれでも袖モギさんが話の中心となつてゐる点がよく看取される。阿波国名東軍上八万村大字一宮に袖ハギさんと称する祠がある。その下に道があつて此の道で人が転ぶと袖をハギとられると云ふ。昔は袖ハギ松とて大きな松があつたさうだが今は枯れてない(註八美馬伝氏報吿)。同国那賀那富岡町大字石塚にも袖モギ坂と云ふがある。大へんに淋しいところで夜この坂を通ると知らぬ間に袖がなくなつてゐると称し、これは坂の下にある谷の主の仕業だと伝へられてゐる(小島泰重氏報告)。土佐国土佐郡一宮村鎮座の一の宮神社の一丁ばかり西方の路傍に袖掛松がある。こゝで往来の人が過つて転倒すると其の着衣の片袖を掛けぬと、三年の中に死ぬと伝へられてゐる(上州淵岳誌巻五)。南薩摩地方にも地方にも袖モギの列があつてその祠は墓域中にあり附近は鬱蒼たる森と深き谷とに囲まれ居りて坂の上にある。そこで此の附近を通過する際に誤つて躓けば片袖をモギ去り、且つ塩米各一升づゝ供へて祭らねばならぬ。若しさうせぬと必ず祟りがあると云ふことだ(郷土研究二ノ十一)。対馬国厳原町の小学橋は古く截裳橋(キリモハシ)と云ふた。俚伝に神功皇后が阿曇浦に御幸し裳を褰げて渉り、その汚れたところを截つたので斯く名づけたとある(津島記事巻三取意)。此の話なども誠に突拍子もないことで、恐らくは袖モギ信仰の名残りではなからうかと思ふ。猶ほ琉球にも此の種の土俗が存してゐたやうに記憶してゐるが、明確でないので今は省略して置くとする(註九)。私のノートに次第もなく書きつけてある袖モギさんの資料はこれで尽きてゐるが、今度は更に方面をかへて、此の信仰が何時頃から行はれたか、その年代に就いて管見を記すとする。【以下、次回】

註八、私は博文館に勤務してゐるが、同館からは十九種の月刊雑誌を発行してゐる、私は同館に厄介になつてゐるうち、これ等の雑誌を利用して各地の伝説土俗を蒐めて見やうと思ひ立ち、それを当時少年世界の主筆てあつた竹貫佳水氏にはかつたところが、氏もこれに興味を有して居られたので、早通「不思議通信」なる欄を設けて募集してくれた、集るもの無慮数千百のうちの幾部分を誌上に載せ、原稿は総て私が頂戴したこれが為に私は幾千百かの珍しい資料を得ることだ出来た。ここに掲げた報告もそのうちである、これほど私の仕事に助力を与へてくれた竹貫氏は、昨年宿痾のために永眠せられた、私には深ひ想ひ出が胸を突く、寂しいことだ。
註九、本誌「郷土趣味」にも袖モギさんの材料が載せてあつたと記臆してゐるが、折悪しく雑誌を友人に貸してあるので引用出来ぬのは残念でならぬ。

 今、紹介している論文「袖モギさん」については、ルビも、引用者注も施していない。これは、やりはじめるとキリがないことに気づいたからである。
 ただ、本日、紹介した部分のうち、末尾に近いところにある「裳を褰げて」という字句については、引用者として、校訂注をおこなっておく必要を感じる。ここは、原文では、「裳を褰けて」となっていたが、「裳を褰げて」と校訂した。「褰」という漢字は珍しいが、音は「ケン」、訓は「はかま」、「かかげる」である。これと似た字に「搴」があるが、この字の音は「ケン」、訓は「とる」、「ぬく」、「かかげる」である。「裳を褰げる」という表現の場合、「搴」を使用するのが一般的だが、その代用として、同音の「褰」を用いることがあるという(角川漢和中辞典)。

*このブログの人気記事 2018・10・25

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 備前国布都美村の袖キリ石に... | トップ | 「ゆふけをとふとぬさにおく... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事