◎鵜崎巨石氏による書評『日本保守思想のアポリア』
昨日は、三つほど、うれしいことが重なった。
ひとつは、アマゾンに、拙著『日本人はいつから働きすぎになったのか』についての二番目のレビューを発見したことである。よく読みこんでいただいた本格的な書評あり、かつ、実によく、拙著の狙いをつかまれている。敬服し、かつ感謝した。
ふたつ目に、高校時代からの友人である某氏から、同じく『日本人はいつから働きすぎになったのか』(平凡社新書)に対する書評を、手紙でいただいたことである。そこには、「在野の士でないと書けない」云々とあった。ほめ言葉として受けとった。
三番目に、鵜崎巨石氏が、本年八月三〇日に、ご自身のブログに載せられた拙著『日本保守思想のアポリア』(批評社)に対する書評について、当ブログへの転載のお許しをお願いしたところ、その日のうちに快諾を得たことである。本日は、この鵜崎氏の書評を、紹介させていただきたいと思う。
今日の読書は礫川全次著「日本保守思想のアポリア」批評社PP選書。
出版は2013年だからまだ新しい。礫川氏の著作はいよいよこのブログの中で最頻出となった。
この理由は何だろう。第一には、採り上げるテーマが奇抜であるし、それだけにアナーキーな知性を感じるからだ。それだけは小市民として生きてきたわたしには無いものだ。
しかし何よりも、同年齢であり、わたしが子供時代に高等師範と呼んだ(正門の方は教育大と呼んだ。これに関してはお茶の水=女高師も同じ)遊び場で、後に学生生活を送られたという親近感がある。
本書のテーマは、これまで採り上げたものとは大きく異なる「かたい」分野であるが、すらすらと読めた。おかげで一日二つブログ原稿を書くことが出来た。
この本の分を先に出すつもりだ。
礫川氏の著作は、どのテーマであろうと、ターゲットと定めたテーマから、一貫とした論旨を維持しつつ、それぞれの論拠を過不足無く提示する。さらにその上で、読者を飽きさせないような、「仕掛け」を用意している。
ところで、わたしは「保守」を自認している。なにを「保守」しようとしているのか自分でも分からぬ、と言うのが弱点ではある。
同様なことは、憚りながら本書に対しても言いうる。本書で定義する「保守」概念とは何なのか。
「保守」とは、「保守主義」を名乗る者一般の言説なのか。そうではあるまい。
著者は我が国近代に「保守主義」が成り立たなかったという仮説の論証を試みるとしている。文脈からは伊藤博文が活用したシュタインやバークの立憲君主制が機能した形を保守主義の一つの形、規範とするごときである。これなら、わたしも同意するのだ。
しかし、序章にquestionnaireのような部分があり、「國體とは」や「御誓文の中のデモクラシー」についてなど、まともなものが多いその中に「保守主義というのは、反人権、反デモクラシーを掲げる思想ではなかったか」なる問いを設けた。
一つだけ抜きんでて特殊で、極めて幼稚な設問を挙げる意味は何だろう。
我ながらちょっと先走った。順に進めよう。
先述した、仕掛けの一環であるが、自民党の憲法草案を持ち出し、これを帝国憲法さえ有する立憲主義の原則を欠いている、というテーゼを、提示してみせる。
まさにこれは有効な打撃というべきだろう。わたしはこの際と草案を初めて確認してみたのだが、起草にかかる人物を見て、なるほどと思った。
そもそも今の保守党などと言うものは、「保守」という名には値しない。いや、そもそも政治家などと言う者は実際ヤクザ者に等しい。否仁義を知らぬヤクザ者と言っても良い。
わたしは個人的に何度か自民党の大物という議員から、実に恥知らずな攻撃やアクセスを受けたことがある(わたくしを通じて、属する組織に対してであるが)。
民主党は、さらにその節操なきはみ出し者であるから、どうしようも無い。
立憲主義を保った憲法が、世界のどれだけの国にあって、機能しているかは疑問とせざるを得ない。
また、「帝国憲法より保守的」という評価は、むしろこの自民党草案に対して過褒である。というより的外れだ。まあ、ダメージを与えるパンチだが。
こうした前書きに続いて、読者に擬問擬答を用意して理解を促そうという仕掛を続ける。これはなかなか良い。その意味で、上述の「保守主義」に関する愚問が目立つのだ。
わたしには、保守主義者であろうという自己認識があるが、国旗や国歌など、国民国家の制度的お飾りは必須とは思われない。上御一人ましませば十分。無用なコンフリクションをもたらすものは無くて結構だ、とさえ考えるのだ。
さらに、政治的な贅言を申さば、日本の戦後の保守主義の混乱は、責任を取るべきお方がしかるべく身を処さなかったことでは無いかと思う。
汚れた「御輿」は取り替えるべきだった。東京裁判など、その弥縫策に過ぎないし、元来違法だ。
それはともかく、本論は、攘夷を掲げ、開国批判して発足した政体が、結局開国せざるを得なかったということをネジレと規定する。
さて、そのネジレ(自己撞着)を國體という新たに作り上げた概念でもって解消しようとしたが、結局それが果たせなかったところに日本の「保守主義」が育ち得なかった理由である、と著者は言う。
これにはわたしも妥当とせざるをえない。
この論旨の周辺で、プロイセン・ドイツ憲法を参考に、憲法草案を作成し、その留学先ドイツの恩師の力を有効に用いつつ、保守派を説得・妥協して憲法発布にこぎ着けた、伊藤博文や周辺人材の力量の高さを説くのである。
「國體」という概念は、帝国憲法には排除されたものの、その後も澱のように残り、国家のアイデンティティーを示すキーワードとして大正末期以降、我が国を泥沼へと導く。
確かに「國體」でも良かろう、「国家の基軸」でも良かろう。「保守」すべきもの、「保守可能なもの」を措定できなかった「保守主義」が我が国で成立しないのも当然、という理解は同感する。
その後天皇を機関とする通説とするまで憲法を育て上げた我が国が、結局今時大戦(古いな)の莫大な人的犠牲と、敗戦の屈辱を招来させた。
ここで改めて、「保守すべきもの」とは、やむなく西洋から与えられた国民国家システムを機能させるために、そのnationが共通に想定する観念と、言うべきで無いか、と考えた。我が国近代の悲劇は、その確立を怠ったというところにあるのかもしれない。
しかして、当時の我が国はいかにして国家たり得べく振る舞うべきであったのか。あの悲劇を回避するために、伊藤ら明治の政治家や知識人はいかなる装置を設けるべきであったか/べきでは無かったのか。
著者にその回答を求めることは出来ない。我が国民は、敗戦すら、その絶好機として活用できなかったのだ。
プロイセンドイツはワイマール憲法下で民主的手続きによりナチスを生み出した。この場合、他の列強に遅れ、小ドイツ主義で以て統一ドイツを成立させた国家の基軸は何だったのか。何が誤りだったのか。果たして世界大戦の災禍の責めはドイツのみだけに帰せられるものだろうか。
このほか本書には、児島惟謙や、神代文字へのドイツ人識者の反応など、興味を引く話も多い。
短時間だが充実した読書でした。
評者の鵜崎巨石氏は、やすやすとこの本を読まれ、やすやすとこの書評を書かれている。それでいて、この本の勘所をことごとく指摘している。それにしても恐ろしい読み手である。
以上の、書評を読み、そういう本であるなら、私も読んでみようかという方が、ひとりでもあらわれることを期待したい。転載を快諾していただいた鵜崎巨石さんに、あらためて御礼申し上げます。
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