◎誰のためでもない、すべては自分のために(野村秋介)
野村秋介『さらば群青――回想は逆光の中にあり』で、印象に残った文章を、もうひとつだけ、紹介してみる。
皆はよく、「天下国家のために」とか、「祖国日本のために」という。しかし、僕は違う。すべては、自分のためにやるものだと思っている。人のために自刃【じじん】することなんてできっこない。三島由紀夫は、確かに「天皇陛下万歳」と言って自刃した。だが、それは、天皇陛下のためなんかじゃない。自分自身のためにしたことなんだ。ここが今の行動右翼の人たちにも理解できない。いくら言っても、「天下国家」が出てくる。
僕はよくこんな例を挙げる。ラッシュアワーで、プラットホームにたくさんの人がいて、大混雑しているときに、ふらっと倒れるような少女がいたら、起こさないどころか、逆に腹を立てる人が大半だと思う。誰も起こさない。皆、急いでいるし、起こしていると電車に乗り遅れてしまう。でも、僕は起こす。僕は絶対に起こしてやる。そうして、「ケガはなかったか」くらいの声は掛ける。そうすると傍の者は、僕がその倒れた少女のために起こしたんだと錯覚する。
でも、違う。僕は、僕自身のために起こしたんだ。僕がもし、その倒れている少女を知ってて、知らん振りで通り過ぎてしまったら、僕は必ずそのことを、僕の心の中で重みに思う。もちろん、思わない人もたくさんいるだろうけれど、僕は思う。だから、僕が倒れている少女を起こした行為は、僕自身のためにやったことだったのが、結局は少女のためにもなったという、ただそれだけのことなんだ。
三島由紀夫が「天皇陛下万歳」と言って自刃したことについて、「彼は天皇陛下のために死んだんじゃないんだ」と僕が言うと、右の者からの反発がくる。もちろん、誰だって、死ぬときは、「天皇陛下万歳」と言って死ぬだろう。彼と同じ局面に出くわせば、同じように「天皇陛下万歳」と言って自刃する。でも、それは、天皇陛下のためじゃない。自分自身のためだ。僕が民族派として生きてる矜持【きようじ】、誇り、そうしたものを、卑劣なことで穢したくないためなんだと思う。
同じように、僕は友情を絶対に裏切らない。でも、それだってその相手のためじゃなく、自分のためだ。人を裏切るということは、もっとも卑怯なことだと思っている。だから、自分のために裏切らない。よく「俺はあいつのためにあれだけのことをして、カネも貸してやったのに、あいつは返そうともしない」などと、助けた相手のことを悪くいう人がいるけれど、それは、間違っている。助けているときは、相手のためでなく、自分のために、そうしたんだ。誰も、人のためには生きない。皆、自分のために生きている。だから、一生懸命なんだと思う。
「誰のためでもない、すべては自分のために」と題された文章の一部である。ページでいうと、295~297ページ。良い文章だと思う。
文章の最後に、(平成五年二月談)とある。初出は、未確認。あるいは、この本のための「談話筆記」か。
文中、「僕の心の中で重みに思う」というところがあるが、本人は、「僕の心の中で重荷に思う」と言ったのではないか、と思った。
明日は、話を、『文藝春秋』の記事に戻す。
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