礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

フィヒテに匹敵する思想家は、戦後の日本に現れていない

2025-01-23 01:35:42 | コラムと名言
◎フィヒテに匹敵する思想家は、戦後の日本に現れていない

 角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』(小野浩訳、初版1953)から、その「解説」を紹介している。本日は、その二回目。

 かうしてフィヒテは旧教育に対照しながら、原理的な根拠に遡りつつ、理想的教育の本質を述べてゆく。しかしドイツ民族は果してこのやうな真の教育をうけるだけの資質を具備してゐるであらうか。そのためにはまづドイツ民族の本質を究明することが必要であり、フィヒテはドイツ人を他のゲルマン系諸続と対比しつつ、主としてその言葉における本来と非本来との差に焦点を据ゑてドイツ語の優越を論じ、そこからくる結果としてドイツ的思惟〈シイ〉の本源性を認容し、ドイツ人の本源性に由来する特質が具体的に史上に発揮された実例として「宗教改革」の運動を論じ、ついでドイツ哲学の本質と真の自由に言及し、かうしてドイツ人の愛国心がその根ざすところ深く遠く、ドイツ人こそ西欧において真の国民と呼ぶにふさはしい唯一の民族であるといふ結論を導いてくるのある。私たちはフィヒテの所論をたどりながら、それが一々原理的根拠からの展開であり、人を納得させなければやまぬ気魄に充たされたものであることに気づくであらう。例へばいはゆる教養ある階級を以て任ずる人々が、鼻先で冷笑するのを常としてゐる愛国心といふやうな資質も、それが一民族全体の特質として問題となるときには、決してあらゆる民族に見られるものではなく、ひとり本源性を失はぬ民族にのみ許されたものであることを、人々はフィヒテの所論から納得させられるであらう。
 かうしてフィヒテはペスタロッツィーに結びつきながら、さらに進んで新しい教育の理念、その実施の現実的な要領、及びそれを実施すべき責任者の問題を論じ、この教育が実施されるまでドイツ人が毅然として身を持してゆく方途を詳論し、これまでのドイツを愚〈オロカ〉にしてきたヨーロッパ列強間の勢力均衡政策を痛烈に分析し、「世界国家妄想」を完膚〈カンプ〉なく批判しつくし、最後に千年にわたるドイツ精神史を一身に具現した偉大な思想家の権威を以て、青年に老人に実務家に思想家にさらに王侯に訴へ、成ひはこれを温かく元気づけ、或ひは痛烈に批判激励してこの雄篇を閉ぢてゐるのである。
 本書を通読した人々は、一国の敗北といふやうな重大事が招来される場合に一民族が呈する様相、敗北にからんで生起してくる世情などは全く典型的なもので、一世紀半を隔てたいまの日本に於ても、そのままに見られることに驚き、これこそ今日の日本のためになされた講演であると叫ぶに違ひない。フィヒテの勧告や要求は、これを私たちが日本の歴史的国情に由来する原理によつで補へば、そつくりそのまま今日の日本にあてはまるものである。ただし本講演の中核をなす新教育の実施が、当時のドイツにはなほ一方の活路として許されてゐたのであるが、現在日本の場合はこの点に於てさらに深省を要する大きな問題を課せられてゐると言ふべきであらう。
 誠心誠意祖国の前途を憂慮しその復興を念じてゐる思想家も少くはないであらう。しかしさらにその洞察の精到深刻に於て、従つてその痛感に於て、またその視圏の広袤〈コウボウ〉と思惟の強靭〈キョウジン〉に於て、フィヒテに匹敵する人は戦後の日本にはまだ現れてゐないやうである。かういふ時に当つて私は阿部次郎先生が祖国の復興を祈念されるあまり、大患後のすぐれぬ健康と薄明の視力を冒して〈オカシテ〉あまねく同憂の士に訴へられた諸篇のうち、「欣々自私」と「改造文藝に餞〈ハナムケ〉す」の二篇を本書の読者にお奨めしたいと思ふ。本書の訳出も阿部先生と同憂の士角川源義〈カドカワ・ゲンヨシ〉氏とのお奨めによつてなされたものである。〈282~284ページ〉【以下、次回】

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