◎西部邁氏の「廃憲論」について
西部邁〈ニシベ・ススム〉氏の思想、あるいは思想遍歴について詳しいわけではないが、以前、このブログに、「西部邁氏の不文憲法支持論(1995)への疑問」(二〇一三年七月二九日)、および「過激派にして保守派の西部邁氏にとっての伝統とは」(二〇一三年七月三〇日)というコラムを書いたことがある。
また、二〇一七年一月に出した『「ナチス憲法」一問一答』(同時代社)でも、西部邁氏の不文憲法支持論に言及した。本日は、同書から、その部分を引用してみたい。
引用するのは、同書の「Ⅳ 総括編」の答45の「六 『ナチスの手口』はそう簡単には真似できない」の全文である。
六 「ナチスの手口」はそう簡単には真似できない
麻生〔太郎〕氏のいう「あの手口」とは、何だったのでしょうか。本書においては、ワイマール憲法を、いつの間にか「ナチス憲法」に変えてしまった、その手口というふうに捉えたいと思います。「五」でも述べましたが、ワイマール憲法は、一挙に空文化したというわけではありません。まさに、「いつの間にか変った」のです。
また、「あの手口」=「ナチスの手口」というわけでもありません。ワイマール憲法を、いつの間にか「ナチス憲法」に変えてしまった、その全過程における手口を、「あの手口」と呼ぶべきでしょう。ヒトラー内閣成立以前における、ブリューニング、パーペン、シュライヒャーの三内閣が示した「手口」にも、かなり、問題があったわけです。
ところで、麻生氏のいう「あの手口」は、そう簡単には真似ができません。特に、全権委任法を手はじめに、次々と「憲法的立法」をおこない、ワイマール憲法を空文化した「ナチスの手口」などは、そう簡単に真似できるものではありません。
戦前の日本は、ドイツの全権委任法に倣って、「国家総動員法」という法律を制定しました。しかし、これは大日本帝国憲法のもとで成立した戦時法規であって、これによって、大日本帝国憲法が空文化した事実はありません。
1990年代半ばに、評論家の西部邁【すすむ】氏は、イギリス型の不文憲法を支持する立場から、「廃憲論」を唱えたことがあります〔西部1996〕。いま考えてみますと、これは、「ナチス憲法」と同じ論理です。西部氏が、もし2013年7月の時点で「廃憲論」を維持されていたのであれば、その立場から論争に参加するべきだったと思います。
今日の自由民主党の中枢部には、たぶん廃憲論者、不文憲法支持者はいないと思います。いたとしても、ごく少数だと思います。自由民主党の「日本国憲法改正草案」(平成24年4月27日)にしても、「廃憲論」ほどは過激ではありません。ただし、この「日本国憲法改正草案」には問題が多すぎます。特に、立案者が「立憲主義」についての理解を欠いている点は問題であり、欠陥草案だと断定されてもやむを得ないでしょう〔礫川2013〕。
引用文中に、〔西部1996〕とあるのは、西部邁著『破壊主義者の群れ』(PHP研究所、一九九六年三月)所収の論文「読売憲法改正試案を論ずる」を指す。同書の注に、この論文の初出は一九九五年一月とあったので、これを確認するため国立国会図書館に赴いたが、初出論文を閲覧することはできなかった。
同じく引用文中に、〔礫川2013〕とあるのは、礫川著『日本保守思想のアポリア』(批評社、二〇一三年六月)を指す。