礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ここの校長は地主派で敵に通じる恐れがあった

2022-04-25 01:04:30 | コラムと名言

◎ここの校長は地主派で敵に通じる恐れがあった

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)の紹介を紹介している。本日は、その二十三回目で、第二部「農地改革」の6「開拓組合の設立」を紹介する。例によって、何回かに分けて紹介する。

   6 開拓組合の設立
 この日をもって、敵は全貌を現わした。私も決意を新たにしてこれに対さねばならなかった。小作者たちの団結はまだなかった。この際困ったことには、小作地の解放と異なり、未墾地には関係者の数が多く、終には八十五名にも達した。大は四百町歩近くより、小は八畝三歩〈ハッセサンブ〉に至るまで、解放面積は区々であるが、とられる気持は小さいほど苦しいのが現実であろう。中には貧しい自作農でただ一つの薪炭林が解放対象となったものもあり、それがまた私の小学時代の同級生であったり、親類であったりするのだ。おまけに、自分が小作の貧農でありながら、勘違いして地主側につき、解放反対を叫んで、村を右往左往するものも少なくない。これは勘違いよりも欺されたのだろう。自分の借用している牧野なり、薪炭林が解放の対象となった場合、「お前に貸してある土地が取り上げられるのだ」という地主の言葉の力の方が、「一旦は国家に買収されるが、あとで優先的にお前に配分するように努力する」という私たちの言葉よりも、直接的で効果的なのだ。 
 農民組合の事実上の解体も、こうした事情の反映であったわけだ。したがって、別の団体を創り、本当の味方を組織して敵に対することが、目前の急務となって来た。そこで、現実に即して開拓組合をつくり、その役割を果させることにした。創立準備の打合せ会をしばしばもって、情報の交換もし合った。五日市部落の附近は一番結束していたことは前に述べたが、その他にも一名か二名の同志のない部落は皆無であった。従来の農民組合は解散しようかという案もあったが、そのままにして、組合長はじめ希望するものは個々に新組合に入れることにした。こうした集会は江刈小学校でする方が私たちには便利だったが、ここの校長は地主派であり、すべて敵に通じる恐れがあったので、一里以上もある五日市小学校を使った。組合は開拓組合だけで十分であったが、当時の農協法などの関係で、別に江刈村農業協同組合という、いわゆる一般農協も一つ創ることになった。もとより発起人たちも同じグループだったし、組合員も出来て見たら殆んど皆重複していた。【以下、次回】

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この本は、全篇、ケンカの話である

2022-04-24 01:32:37 | コラムと名言

◎この本は、全篇、ケンカの話である

 ここのところしばらく、中野清見(きよみ)の『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。引用している本人は、この本の魅力に、改めて気づかされているが、読者諸氏の感想はいかがであろうか。
 本日は、私が感じているこの本の面白さを三点挙げておきたい。
 第一点は、戦後の農地改革が、いかに大きな変革だったかということを、実感できることである。戦前・戦中も農地改革の動きはあった。それが進展しなかったのは、地主層(保守層)の抵抗があまりに大きかったからである。
 戦後の農地改革は、占領下、占領軍の方針ということで、何とか実現したのである。日本が戦争に敗れたことによって、ようやく農地改革が実現されたのである。もちろん、その道が平坦なものでなかったことは、中野清見の筆に見る通りである。
 第二点は、敗戦直後における江刈村の人民のメンタリティというものが、リアルに描き出されているからである。これは、江刈村の出身者であり、かつ東京帝国大学経済学部を出たインテリでもある筆者だからこそ可能だったと言えるだろう。
 第三に、筆者の中野清見が、みずからの「ケンカ好き」な部分を、包み隠すことなくというか、むしろ誇らし気に表現していることである。読んでみるとわかるが、この本は、全篇、「ケンカ」の話なのである。
 というわけで、このあとも、もう少し、『新しい村つくり』の紹介を続けさせていただきたい。

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木下重助「何ものだ、出て来やがれ」

2022-04-23 02:15:24 | コラムと名言

◎木下重助「何ものだ、出て来やがれ」

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その二十二回目で、第二部「農地改革」の5「つるし上げ」を紹介している。この章の紹介としては四回目(最後)。

 こうして私は江刈小学校を出て、五日市に向った。こちらに集まっていたのは、前の半分の人数にもならない。しかし皆なごやかな笑〈エミ〉を私に向けてくれた。私はほっとした気持になった。ここでは話はかんたんに済み、質問も殆んどないので、閉会ののち、関係者だけ残して開拓組合創立の打合せをしようと思っていた。
 ところが、会半ばにして、いきなりドアを排し、どやどやと侵入して来た一団があった。先の小学校で別れたばかりの、漆真下〈ウルシマッカ〉を先頭に四、五名の闘士たちである。あとで判ったことだが、私が発ったすぐあとから、守山商会の集乳車で追いかけて来たのである。計画に反し、私を退冶してしまえなかったことが、よほど口惜しかったのであろう。はいって来て、「傍聴は許さないのか」ときく。「許すも許さんもないが、ここまで傍聰に来るぐらいなら、なぜ向うで聞かなかったのだ。何か質問でもあるのか」といったが、ともかくその場に大あぐらをかいて、講壇の側に坐りこんだ。会場の空気は一瞬嫌なものになってしまった。早々に話をきり上げて、「これで本日の会は閉じる。これから開拓希望者だけ残って、組合創立の相談をしたいから、それに関係ないものは帰ってもらいたい」といったところ、またまた「傍聴してはいかんか」と例の奴らがいう。今度はつっぱねた。「君らには無関係な話だ。そんなにしつこくして何になる」といったら、ぶつぶついっていたが、やがて引き揚げた。職員室に行って、「村長の野郎、人を退場させやがった」といっていたそうだ。
 開拓組合創立の打合せを終ったときは、もう暗くなっていた。皆に挨拶して外に出たら、一人の男が来て皆で夕食を差し上げたいといっているから、そこまでおいで下さいという。私は朝食も食っていなかったが、別に空腹を感じてもいなかった。しかし、この申し出はしみじみと有難かった。その家へ行ったら、二十名ばかりの人たちが集まって、酒肴の用意もしてあった。酒宴が始まった。皆で今日私を追っかけて来た連中を憎んだ。私にとってはこんな酒席は思いがけないことだったし、こんなに多くの味方のいることも意外だった。
 この付近の部落民は、たいてい村木家の名子〈ナゴ〉や小作人たちだった。村木は小地主たちのようには騒がなかったし、他には地主らしいものはいなかった。そんな事情が彼らをして初めから私の側に立たしめたのであろう。五日市を中心に、山岸、日渡〈ヒワタシ〉、滝沢、小泉と五部落の人たちである。私は当初この人々が、未墾地の解放に反対はしまいかと心配した。開墾適地となっている山は、すべてこの人々が村木家から薪炭林として借用している場所である。これが買収されれば、必らずしも自分のものとなって返って来る保証はない。彼らが使用権を盾に反対して来れば、地主の反対どころではない。しかし私の心配は杞憂であった。彼らは、殆んど残らず開拓賛成者であった。そしてこの日以来、ゆるがない私の味方となって、多難な前途をひらいて行った。
 酒宴がまだ終らぬうちに、私は便所に立つふりをして、こっそり帰ろうとした、靴をはいて庭に出たが、今日の空気から見て或いは途中に待伏せするものがあるかも知れないと思ったので、薪を積んである中から武器として手ごろなのを物色していた。そしたら、中で私のいないのに気づき、障子をあけてまた帰るなという。疲れているから失礼するといったら、どうしても帰るといわれるならやむを得ないが、今夜は一人ではあぶない、誰かに送らせるといってきかない。それぐらいの覚悟はもっているから心配するなといっても、何人かがついて送って来ることになった。その中には、かつて村一番の相撲取といわれた木下重助という男がいて、護衛の責任者の形になった。一里ばかりの道を途中何事もなく今の酪農工場附近まで来た。ここは昔ら狐狸〈コリ〉の巣窟といわれ、寂しいところであった。古い県道が崖に沿ってつづき、新らしい道につながっている。ここに差しかかったとき、重助はいきなり大きな声でどなった。「何ものだ、出て来やがれ」そしてどなりながら、崖下の暗がりへ突進して行った。すわとばかり私たちも身構えたが、彼の錯覚か、酔ってのいたずらか、敵はいる様子もなかった。

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人びとの眼には私への憎悪が光っていた(中野清見)

2022-04-22 01:19:34 | コラムと名言

◎人びとの眼には私への憎悪が光っていた(中野清見)

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その二十一回目で、第二部「農地改革」の5「つるし上げ」を紹介している。この章の紹介としては三回目。

 この前、役場の集まりで文句をついた女が、このときも何かヒステリックに悪口を並べてくってかかったが、答えを必要とすることではなく、黙っていた。質問は次々と出たが、どれも帰するところ、買収を止めてほしいというにあり、私は自分にはその権限がないとつっぱねた。次第に発言が少なくなり、敵の意気込みも初めのようではなく、行詰りに来たような感じになった。そこで私は、「皆さんの気持は判るが、本当に買収されて困る人は別として、土地をもたない人人のために出来るだけの協力をして貰いたい。それに近く牧野法〈ボクヤホウ〉というものも出来ることになっており、採草地であっても耕地同様に一定以上の面積は所有出来なくなるのだから」といって結末をつけようと思った。このとき、それまでは黙っていた総参謀の〔岩泉〕龍氏が立ち上った。頽勢を挽回せんとして、自ら起ったのである。そして、私の今いった言葉尻を摑まえ、「まだ決まってもいないもので、問題を決定するというのはおかしいではないか。なあ、そうじゃないか」と味方の方を見まわした。私の敵意は再燃した。「私がいつ未決定の法令をもって、どんな問題を処理したというのだ」といい返したら、彼は返事に窮して黙っているので、「大体あなたは村長までした人間で、他の人々よりは物の判る人のはずだ。いま、村民が重大問題にぶつかっているのだから、いたずらに人々を騒がせるような言動をしないで、彼らをよい方向に導いてくれるべきではないか」と重ねていったが、これにも彼は答えなかった。私は言葉も荒くなっていたし、感情も昂ぶって来ていたので、このとき彼の方でそれに応じた言葉を返せば、ただでは済まなかったに違いない。彼の味方の人びとの眼には、私への憎悪が光っていた。飛びかかりたいような顔も二、三ならずあったのだ。しかし参謀は機を逸した。
 私は椅子に坐ったまま、まう一つの椅子を引きよせ、腕をかけてそり返っていた。かかって来る者があれば、椅子を持って応酬せねばならないと考えていたのである。しかしこんなことで敵の計画は頓挫してしまった。質問もなくなったので、私は職員室に引き揚げた。盛岡からの来客たちはその間一言も発しなかった。私が職員室に来てストーブの側に坐ったら、彼らもその廻りに来た。関羽ひげは私を無視したような顔をして、鉈豆煙管〈ナタマメギセル〉で煙を吸っていた。ところが、鈴木という人が、「村長さんもお一人で大へんな御苦労なさいますな」と親しみをこめていうので、私は戸惑った。この人たちは敵方のはずなのだ。それから、「江刈村では独立して乳業工場をやる御計画なそうですね」という。どんなつもりで訊いているのか判らないので、「そんな計画は今のところありません」と答えたら、「ぜひ農民自らの手でやるべきものだと私たちも考えています」というのだ。
 そんな話をしているうちに、午後の五日市小学校の会場へ向う時間が来たので、立とうと思った。そこへ一人の男がはいって来た。漆真下〈ウルシマッカ〉という村会議員で、敵方の闘将であった。大分興奮している。「もう一度村長さんに会場へ戻っていただきたいと全部のものがいっていますから、来て下さい」という。「質問がないから引き揚げたのだ。多勢でがやがやしゃべるのでは判らんから、代表二、三人で来たらどうだ」といったら、「きいて来ます」といって帰った。すぐまた引き返して来て、「代表では駄目だから、ぜひ来ていただきたい。村民一同からの要望です」という。私には判った。代表よこせとは生意気だ、行って引っぱって来いと言われて来ているのだ。「それなら行こう」とすぐ席を立って、彼について元の会場へ戾って行った。このときは大分人数が減ってはいた。小作人たちや中立の人々は帰ってしまい、純粋に私の敵ばかりが残っていた。私がはいって行ったが、皆でがやがや何か言い合っていて、まとまらない。それで、「私は忙しいから*いうことが無ければ帰る」といったら、ちょっと待ってくれという。代表がやっと決まって、その男が立ち上り、「村民一同から村長さんへお願いがあります。採草地は、買収しないでそのまま使わしていただきたい」という。そこで「さっきから何べんもくり返えしていったように、私にはそんな権限はないので、何とも出来ない」と答えた。ところが、「そこを何とか努力してくれるのが、村長の職務ではないか」と来た。「よろしい。その努力はしましょう。しかし買収されれば、本当に生活が出来なくなるような人々だけに限る。そんな人があったら、申し出てもらいたい。それをもって地方事務所に行って頼むから」といったら、「困るのは皆だ」という。「それでは、困る事情を書いて農地委員会の事務局に申し出てくれ。明後日私は地方事務所に行くから、明日までにしてもらいたい」「明日まででは出来ない」「何もむづかしいことではないはずだ。おくれてよいなら、急がなくても私は一向差支えない」「それでは明日までに出します」【以下、次回】

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農地改革は占領軍の政策のひとつだ(中野清見)

2022-04-21 01:36:13 | コラムと名言

◎農地改革は占領軍の政策のひとつだ(中野清見)

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その二十回目で、第二部「農地改革」の5「つるし上げ」を紹介している。この章の紹介としては二回目。

 定刻に間に合うように家を出た。農地委員長を連れて行って説明に当らせようと思い、彼を誘った。岩泉儀信、小学校時代の同級生である。彼と連れだって、いろいろ話しながら、七、八町の道を歩いて行った。彼はもともと無口な男だが、このときは一層言葉少なで、話しかけても乗気のない返事しかしなかった。会場に着いたらもう満員であった。教室一ぱいに人が集まり、開会を待っていた。すぐに始めようとしたら、地主の一人が立ち上って、「この部屋は狭すぎるから、向うの大きい方に会場を替えて貰いたい」という。前につめれば十分はいれるではないかといったら「いやまだ後から沢山来るから是非移してくれ」と強硬な主張である。それは単なる頼みでも、提案でもなく、語気には別なものが含まれていた。それでは移ろうといって、そちらへ変ったが、すでに椅子や机は取りかたづけられ、準備は出来ていた。動員された全員がまだ来ていないのだなと思ったが、なるほど逐次つめかけて、やがて人は会場からあふれ、廊下も一ぱいになった。
 農地委員長は頼んでも何もいうことがないという。彼も謀議に参加した主要人物の一人だったに違いない。そこで私が起って挨拶をした、「農地改革は占領軍の政策の一つであり、政府が国策として進めている仕事だ。私はその命令に基づいてやっているに過ぎない。われわれは無条件降伏をした以上、この政策に逆らうことが出来ないのだ。ただし未墾地解放によって、本当に農業経営が困難になる人々もあるはずで、これについては私も日夜心配しており、その救済方法を考えている。」といった意味のことを話し、「個々の問題については、ここに農地委員長もおられるし、私も知っている範囲で答えるから、遠慮なく質問してほしい」といって席についた。この少し前に、岩泉龍氏が、見知らぬ男を四人つれてはいって来た。
 何用あって村民以外のものがここにはいるかと訊こうと思ったが、龍氏は彼らを紹介し、この村の酪農事情を視察に来られた方々で、ついでに傍聴させて貰いたいということなので、どうぞというより他はなかった。一人が名剌を出した。県農業会の畜産部長で鈴木という名であった。他の三人については、龍氏は曖昧に、酪農関係の何とかいう人だといい、よく名前もききとれなかった。関羽ひげを生やした中年の男は、私には挨拶もしなかった。県の役人ならばと身構えていたのに、そうではない様子なので,何かいったら反撃するまでと、会を進めた。彼ら五人は講壇の側に椅子を並べて傍聴することになった。質問を求めたら、ふだんは公けの席で殆んど物をいえない人々なのに、この日は実に活潑な発言であった。
 ここに集まった人々の中には、事情をよく知りたいと思って来ている中立のものも、心の中で私に味方している者もいるはずだった。しかし敵の計略は、綿密で積極的であり、彼らの盛んな、敵意に満ちた発言に押されて、みな沈黙を守って眺めていた。人々の顔を見渡したら、酒気を帯びているものもあり、一家から三名も揃って来ているものもあった。一つ一つの質問を記憶してないのが残念である。
「未墾地の買収を、村に農地委員会があるにかかわらず、県農地会にかけるのはどういうわけか」という質問があった。顔を見たら村の農地委員の一人である。
「十町歩以上の買収は、村農地委員会では買収出来ない規定になっていると思う。その点、あなたは委員なのだから私より御存じのはずだ」と答えた。
「村長は採草地を畑にして使った方がよいというけれども、われわれはそのまま使った方がよい。そんなことは止めて貰いたい」という。
「挨拶のとき申上げたように、開拓の仕事は私個人の意思でやってるのではない。したがって、やるとか止めるとか、私が決めるわけにはいきません」と答えた。【以下、次回】

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