5月末から6月にかけて、普天間問題に端を発し、社民党の政権離脱、鳩山から菅への政権移譲と、立て続けに大きな動きがあり、ブログ更新もそっちの話題を主に取り上げていた関係で、標記の報告が今になってしまいました。遅くなりましたが、今からその報告を簡単にします。但し、もう2週間前の事ゆえ、細部については覚えていないので、その点についてはご了解下さい。
標記「地域労組おおさか」の新組合員歓迎会は、5月27日(木)午後6時半から、大阪・JR天満駅前の国労大阪会館会議室で行われました。下記がその時の写真です。その時に紹介された新組合員・争議組合員が、私も含めて確か40名位でしたから、総勢は60名位だったかな。その辺の記憶は今となっては少し曖昧です。
但し、最初から乾杯した訳ではありません。開会挨拶の後、槙野理啓という関西勤労協の講師の方による「労働組合ってすごい!」という話が、テーブルの料理を前にして1時間ほどあり(食べ始めている人もいたような、但し私ではありません)、その後で乾杯・懇親会という流れでした。その中で、新組合員と争議組合員の紹介があり、私も紹介されて、ブログに書いているような事を喋りました。その後、9時の閉会までそのまま懇親会。但し私は、翌日も早朝から仕事なので、8時半には上がらせてもらいましたが。(残念ながら、今の仕事に就いてからというもの、平日のイベントは、殆どが途中参加までが限界です)
その新組合員の自己紹介ですが、それまでは私と同じ様な風体の、何の変哲も無いオッサン・オバサン・ニイチャン・ネエチャンが、異口同音に「現在争議中です」「上司のパワハラ・セクハラに遭っており、それと闘っています」「勝利和解を勝ち取りました」と喋り始めたのには驚かされました。しかも、その殆ど全てが会社都合による不当解雇でありながら、労働者に責任をなすりつけようと、会社側が当該労働者の勤務態度について、ある事ない事でっち上げて来ているのが、聞いていてよく分かりました。
「最近ネットで調べて労組に加入しました、徐々に職場を変えていこうと思っています」なんて、チンケな自己紹介で終わっていたのは、正直言って私ぐらいでは無かったかと思います。しかし、入ったばかりで自分ひとりの労組では、直ぐに何か出来る筈も無いので、これは致し方ないかと。それよりも、外見上は自分ともさして違わない、押しなべて無口で大人しそうな、これらの人々でも、「やれば出来る、いざとなったら堂々と闘えるんだ」という事を間近に見れただけでも、私にとっては望外の収穫でした。
その中でも特に、不払い残業代の返還を求めて、つい最近組合を結成した、ヤマザキ・デイリーストアの人たちが、連れ立ってこの歓迎会に参加し、壇上でも紹介されていたのが、非常に印象に残りました。
それと、前段の「労働組合ってすごい!」という講演についても少し。この講演は、当日会場で配布された下記「組合員教科書」に沿った話でしたが、その殆どが私の職場にもモロ当てはまる話だったので、改めてびっくり。
この組合員教科書は、「ひとりで読んでも分かるものを」という触れ込みで、地域労組が作ったオリジナル・テキストで、その大半がQ&A形式で編集されているのですが、例えば次のQ&Aなど。
「資本家が労働者を一方的にこき使っているわけじゃないし、労働者も言いたいことがあったら言えばいいじゃないか?」という設問に対して、【形式上は対等な雇用契約により働いているように見えても、実際は、自分の労働力しか持たない労働者は、会社をバックに労働者を支配している資本家に、好いようにこき使われるだけなのだ】、という説明に続いて、
>もちろん、働いている人たちは、はじめから資本家や会社と対立しているわけではありません。「働きがいのある仕事がしたい」とか、「会社の役に立ちたい」とか、むしろ自らすすんで働こうとしています。少しぐらいイヤなことがあっても、がまんして働くのが普通です。それで、どうしてもおかしいと思うようになってから、ようやく会社に言うでしょう。「この上司ならわかってくれるはずだ」「これだけがんばってきたのだから大丈夫だろう」と期待して。
でも、その願いがかなえられることはほどんどありません。「悪いようにはしないから」とか、「あなただけは特別に考えよう」などと言いながら、けっきょくバッサリ切られるのが現実です。もっとひどい場合には、逆におどされたり、暴力をふるわれたり、といったことさえあります。それは、社長や上司の人間性の問題ではありません。資本主義とはそういうものなのです。(第1章「労働組合は労働組合というだけですごい」、P5~6)
この前段の「どうしてもおかしいと思うようになってから」云々のくだりなぞ、私や同じ職場の「団塊オヤジ」などが、今まさに直面している場面じゃないですか。特に、今まで「従業員と会社は家族のようなものであるべきだ」という考えできた「団塊オヤジ」に、ぴったり当てはまる言葉ではないですか。
同じ様な設問は、他に何度も出てきます。例えば次の、「くよくよ考えても仕方がない。いちいち文句言うてもはじまらない。世の中なんて変わらない。適当にやるしかないんじゃない?」という設問に対して、【いや長い目で見れば世の中は確実に変わってきた、例えば江戸時代なんて自由に住所や職業も選べなかったのに今はそうではない、それは長年に渡る人民の闘い(階級闘争)によるものだ】、という説明に続いて、
>ところが、どの時代においても、大衆はみんな「世の中なんて変わらない」と思わされてきました。「長いものには巻かれろ」とか、「分相応に生きろ」とか、「あの世で幸せになろう」とか、ともかく現実に逆らわないことを教えられてきました。それは、そのほうが都合のいい人たちがいるからです。(第4章「働くものにふさわしいものの見方」、P27~28)
上記のくだりなども、正に、私がこのブログで「奴隷根性」と呼んできた考え方そのものではないですか。(注:「団塊オヤジ」「奴隷根性」の詳細については、こちらの過去記事を参照の事)
学生時代には、社会科の教科書にこんなくだりがあったとしても、恐らく読み飛ばしていた事でしょう。この何気ない記述ひとつとっても、実際に身につまされるようになって、初めて、自分の身に引いて分かるようになりました。
勿論、これを読んだだけでは何も変わりません。それを踏まえた上で、「次にそれをどう具体的に実行に移していくか」こそが、最も肝心な事なのですが。それでも、その前提となる考え方、拠り所を持ち続ける事もそんなに簡単ではない中で、その重要性を改めて再認識させられました。
(追記)
ただ、これは別に歓迎会に限ってではないけれど、日頃の運営について一つ苦情を申せば。地域労組としての性格上、それでなくても職場もバラバラで、なかなか全体で集まる機会が無いのだから、その分、他の会社単位の労組以上に、こまめにHPやブログは更新して欲しい。
ところが実際は、この歓迎会についても、事後大分日数が経過してから、ようやくアップされたのでは。これでは、いざこちらから情報を集めようとしても、何ら連絡手段としての用を為さない。この点については、折りを見て地域労組にも意見を上げるつもりですが。
標記「地域労組おおさか」の新組合員歓迎会は、5月27日(木)午後6時半から、大阪・JR天満駅前の国労大阪会館会議室で行われました。下記がその時の写真です。その時に紹介された新組合員・争議組合員が、私も含めて確か40名位でしたから、総勢は60名位だったかな。その辺の記憶は今となっては少し曖昧です。
但し、最初から乾杯した訳ではありません。開会挨拶の後、槙野理啓という関西勤労協の講師の方による「労働組合ってすごい!」という話が、テーブルの料理を前にして1時間ほどあり(食べ始めている人もいたような、但し私ではありません)、その後で乾杯・懇親会という流れでした。その中で、新組合員と争議組合員の紹介があり、私も紹介されて、ブログに書いているような事を喋りました。その後、9時の閉会までそのまま懇親会。但し私は、翌日も早朝から仕事なので、8時半には上がらせてもらいましたが。(残念ながら、今の仕事に就いてからというもの、平日のイベントは、殆どが途中参加までが限界です)
その新組合員の自己紹介ですが、それまでは私と同じ様な風体の、何の変哲も無いオッサン・オバサン・ニイチャン・ネエチャンが、異口同音に「現在争議中です」「上司のパワハラ・セクハラに遭っており、それと闘っています」「勝利和解を勝ち取りました」と喋り始めたのには驚かされました。しかも、その殆ど全てが会社都合による不当解雇でありながら、労働者に責任をなすりつけようと、会社側が当該労働者の勤務態度について、ある事ない事でっち上げて来ているのが、聞いていてよく分かりました。
「最近ネットで調べて労組に加入しました、徐々に職場を変えていこうと思っています」なんて、チンケな自己紹介で終わっていたのは、正直言って私ぐらいでは無かったかと思います。しかし、入ったばかりで自分ひとりの労組では、直ぐに何か出来る筈も無いので、これは致し方ないかと。それよりも、外見上は自分ともさして違わない、押しなべて無口で大人しそうな、これらの人々でも、「やれば出来る、いざとなったら堂々と闘えるんだ」という事を間近に見れただけでも、私にとっては望外の収穫でした。
その中でも特に、不払い残業代の返還を求めて、つい最近組合を結成した、ヤマザキ・デイリーストアの人たちが、連れ立ってこの歓迎会に参加し、壇上でも紹介されていたのが、非常に印象に残りました。
それと、前段の「労働組合ってすごい!」という講演についても少し。この講演は、当日会場で配布された下記「組合員教科書」に沿った話でしたが、その殆どが私の職場にもモロ当てはまる話だったので、改めてびっくり。
この組合員教科書は、「ひとりで読んでも分かるものを」という触れ込みで、地域労組が作ったオリジナル・テキストで、その大半がQ&A形式で編集されているのですが、例えば次のQ&Aなど。
「資本家が労働者を一方的にこき使っているわけじゃないし、労働者も言いたいことがあったら言えばいいじゃないか?」という設問に対して、【形式上は対等な雇用契約により働いているように見えても、実際は、自分の労働力しか持たない労働者は、会社をバックに労働者を支配している資本家に、好いようにこき使われるだけなのだ】、という説明に続いて、
>もちろん、働いている人たちは、はじめから資本家や会社と対立しているわけではありません。「働きがいのある仕事がしたい」とか、「会社の役に立ちたい」とか、むしろ自らすすんで働こうとしています。少しぐらいイヤなことがあっても、がまんして働くのが普通です。それで、どうしてもおかしいと思うようになってから、ようやく会社に言うでしょう。「この上司ならわかってくれるはずだ」「これだけがんばってきたのだから大丈夫だろう」と期待して。
でも、その願いがかなえられることはほどんどありません。「悪いようにはしないから」とか、「あなただけは特別に考えよう」などと言いながら、けっきょくバッサリ切られるのが現実です。もっとひどい場合には、逆におどされたり、暴力をふるわれたり、といったことさえあります。それは、社長や上司の人間性の問題ではありません。資本主義とはそういうものなのです。(第1章「労働組合は労働組合というだけですごい」、P5~6)
この前段の「どうしてもおかしいと思うようになってから」云々のくだりなぞ、私や同じ職場の「団塊オヤジ」などが、今まさに直面している場面じゃないですか。特に、今まで「従業員と会社は家族のようなものであるべきだ」という考えできた「団塊オヤジ」に、ぴったり当てはまる言葉ではないですか。
同じ様な設問は、他に何度も出てきます。例えば次の、「くよくよ考えても仕方がない。いちいち文句言うてもはじまらない。世の中なんて変わらない。適当にやるしかないんじゃない?」という設問に対して、【いや長い目で見れば世の中は確実に変わってきた、例えば江戸時代なんて自由に住所や職業も選べなかったのに今はそうではない、それは長年に渡る人民の闘い(階級闘争)によるものだ】、という説明に続いて、
>ところが、どの時代においても、大衆はみんな「世の中なんて変わらない」と思わされてきました。「長いものには巻かれろ」とか、「分相応に生きろ」とか、「あの世で幸せになろう」とか、ともかく現実に逆らわないことを教えられてきました。それは、そのほうが都合のいい人たちがいるからです。(第4章「働くものにふさわしいものの見方」、P27~28)
上記のくだりなども、正に、私がこのブログで「奴隷根性」と呼んできた考え方そのものではないですか。(注:「団塊オヤジ」「奴隷根性」の詳細については、こちらの過去記事を参照の事)
学生時代には、社会科の教科書にこんなくだりがあったとしても、恐らく読み飛ばしていた事でしょう。この何気ない記述ひとつとっても、実際に身につまされるようになって、初めて、自分の身に引いて分かるようになりました。
勿論、これを読んだだけでは何も変わりません。それを踏まえた上で、「次にそれをどう具体的に実行に移していくか」こそが、最も肝心な事なのですが。それでも、その前提となる考え方、拠り所を持ち続ける事もそんなに簡単ではない中で、その重要性を改めて再認識させられました。
(追記)
ただ、これは別に歓迎会に限ってではないけれど、日頃の運営について一つ苦情を申せば。地域労組としての性格上、それでなくても職場もバラバラで、なかなか全体で集まる機会が無いのだから、その分、他の会社単位の労組以上に、こまめにHPやブログは更新して欲しい。
ところが実際は、この歓迎会についても、事後大分日数が経過してから、ようやくアップされたのでは。これでは、いざこちらから情報を集めようとしても、何ら連絡手段としての用を為さない。この点については、折りを見て地域労組にも意見を上げるつもりですが。