アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

脱原発よりも橋下徹になびく心理は一体どこから来るのか?

2011年04月18日 00時52分31秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
   

 福島原発事故を機に、ドイツでは地方選挙で脱原発政党が大躍進したのに引き換え、お膝元の日本では、原発肯定論者の石原慎太郎や橋下徹が未だにのさばり返っているのは、一体何故なのか。
 事故収束の目処はたたず、今も原発から大量の放射能が漏れ出し、福島や北関東産の野菜は売れずに廃棄処分せざるを得なくなっている。それどころか、水道水からも環境基準を大幅に上回る放射性物質が検出され、避難地域の更なる拡大も取りざたされるに至っている。
 震災・津波被災に放射能汚染が加わり、最悪の場合は福島県だけでなく、その周辺の宮城・茨城・栃木三県も、チェルノブイリのように放棄しなければならなくなるかも知れないというのに、何故みんなそれに対して怒らないのか。
 何故いつも、原発禍を引き起こした当事者の東電や政府・原発推進勢力にではなく、逆に「寝た子を起こすな」という形で、「原発批判者への八つ当たり」という歪(いびつ)な方向に話を持って行かれようとするのか。そして、「津波は天罰」とほざいた石原慎太郎や、原発を容認・推進したまま相変わらずポピュリズムに狂奔する、橋下徹・河村たかしや、東国原・ワタミばかりが、のさばり返るのか。

 その理由については、この前の「脱原発ジャスミン革命への萌芽」という記事の中でも少し触れましたが、「震災・原発事故を契機に「国難」キャンペーンが垂れ流される中で、カリスマ性のある候補に票が集ま」ったという事だと思います。とまあ、言葉で説明すれば簡単ですが、実際に自分の身内の中に、そんなネットウヨク崩れみたいな人物がいて、日々その相手を強いられるとしたら、貴方はどれだけ耐えられるでしょうか。
 実は私の兄貴が、気が付いたらそんな人物に変貌してしまっていました。これから書く事は、自分の身内の恥を晒す事にもなり兼ねないので、実は書こうかどうか、ずっと迷っていたのですが、今回の原発事故のニュースに際しても、また兄貴の方から議論を蒸し返されたので、ここにその顛末を書き留めておく事にします。

 その前に、私の兄貴について簡単に説明しておくと、歳は私より凡そ一回り上の所謂「団塊の世代」の人間で、大学卒業後十年余りの銀行生活の後、亡き祖父が営んでいた店舗宅を改築して、そこで数年前までビデオ店を営業していました。私も生協退職後は、本業バイト終了後に副業として時々店を手伝ったりしていました。
 その兄の異変に最初に気が付いたのは、イラク戦争が始まった頃でした。それまでは只の普通のノンポリだと思っていた兄貴が、巷の右翼雑誌や産経新聞・「2ちゃんねる」の請売りみたいな言説を、やたら口にするようになっていました。最初はブッシュの請売りで「フセインは悪の枢軸」、北朝鮮拉致問題が発覚してからは金正日がフセインに取って代わり、やがて小泉礼賛から橋下礼賛の今に至り、最近では反中国オンリー。(詳しくはこちらの過去記事を参照の事)

 但し、一般的なネットウヨクとは違い、安倍や麻生には批判的。自民党右派とは一線を画すものの、経済的には完全な新自由主義者で、「食糧自給なんて非効率な事は止めて、安く手に入る国から買えば良い」みたいな事も言っていました。
 私も北朝鮮や中国は嫌いだが、そんな弱肉強食の新自由主義者に、偉そうに人権の説教されるのはもっと嫌なので、一度「何をネットウヨクみたいな事ばかり言っているのか」と言い返したら、酷く機嫌を損ねたようでした。「俺はあくまで反自民だ、ネトウヨ(ネットウヨク)なんかと一緒くたにするな」と立腹。
 そりゃあ、ネトウヨでも自民党批判ぐらいはしますって。問題はその批判の中身でしょうが。あいつらの「反自民」の中身は、日本核武装とか侵略戦争肯定とかの、自民党が本音では思っていても決して表立っては口に出来ないような、更に酷い立場から、「今の自民党は生ぬるい」と「批判」するだけのものでしかない。つまり「批判」に名を借りた「叱咤・激励・煽り」に他なりません。

 それで、その兄貴との今回の諍いの顛末ですが、つい一週間ほど前の、私の仕事休みの日に、私の親父・お袋と兄貴夫婦の四人で、大阪市内のイタリアン・レストランで飲食した時の事。そこで食べたピザやパスタの味は最高だったが、そこでまた、いつもの例の議論が蒸し返され、後味の悪い思いをさせられる破目になりました。
 ひと仕切り原発事故の話題が出た後、統一地方選挙の話になり、以下の様な流れで話が進みます。

●兄貴(以下、兄):「オヤジは府議選で誰に入れた?」
●親父(以下、親):「維新に入れた、同じ仕事を大阪府と大阪市がする事は無い、今まで労使馴れ合いでそれを続けていた」
●兄:「橋下は大した奴や、大阪府知事になった後、大阪市が牛耳っている利権を壊さなければいけない事に気が付いたのだ」
●私:(半ば呆れ返りながら)「その維新の会の現職も元自民党の重鎮で、今はただ損得勘定から勝ち馬に乗っているだけじゃないか」
●兄:「確かにそういう奴も多い、維新も半分はそういう悪者だ、でもそういう奴らも従えて利権を潰そうとしている橋下は偉い」
●私:「維新の言っている事はただの大衆迎合にしか過ぎない」「失業・不景気も府・市二重行政の所為だとビラに書いていたが、それはそもそも自民党も含めた歴代政府の責任じゃないか、その時に今の維新の現職は何をしていたのか」「議員定数削減というが、それでは主権在民の否定ではないか、ただ効率や採算を追求するだけなら、一層の事、北朝鮮のように独裁にすれば良い、低報酬でも市民本位の政治をしたい人には逆に門戸を広げるべきじゃないか」
●兄:「今はそんな制度設計の話よりも、まず伏魔殿の利権をぶっ壊す事が先決だ」
●親:「二人とも、もういい加減にせんか!」

 まあ、こんな調子です。この際言っておきますが、私の方から政治論議を吹っかけたり、自分の意見を相手に強要した覚えは一度もありません。前述の議論の際も、兄貴が議論を蒸し返しさえしなければ、私は親父の物言いも軽く聞き流すつもりでした。
 ビデオ店に勤めていた時も、先に議論を吹っかけて来るのは常に兄貴で、それも私がどう答えるのか分かっていて、何度も同じ議論を吹っかけて来るのです。「橋下知事どう思う?」→「余り好かんな」→「何で?好いやんか、コレコレシカジカで云々」→数日後にまた「橋下知事どう思う?」→「それについては前に答えたやろ、何で同じ事ばかり何度も聞くのか」→「いや、あれから考え方変わったかなと思って」云々、この繰り返しで。
 そのくせ、私が「こういう意見もある」と言って、別の著書や識者の意見を紹介しても、「読む暇が無い」のかんのと言って、一切聞く耳持たず。
 また、かつてのブッシュ礼賛を棚に上げてオバマ礼賛に転じた時も、「では、ブッシュに追従して、イラク戦争に賛成した事を今はどう思っているのか?」と問いただしたら、それにはお茶を濁して他の話題に話を逸らそうとする。派遣村の例を引いて、「今でも小泉改革を肯定しているのか?」と聞いた時も、「それだけで小泉を全否定してはいけない」と言うばかりで。今まで異なる意見・立場を散々悉く全否定して来ておいて、「今さら何を言うか」と思いますね。

 これでは議論になりません。ただ自分の意見を相手に押し付けているだけです。
 もしここで親父の制止が無かったとしても、前記の様な堂々巡りに終わるだけでしょう。例えば、「原発なんて廃止できっこない」(兄)→「今の原発依存度3割の現状も、意図的に作られたものにしか過ぎない」「火力・水力発電所の稼働率を元に戻し、オール電化推進一本槍を止め、代替エネルギー開発にもっと本腰を入れて取り組めば、原発依存から脱却出来る」(私)という方向に仮に話が進んだとしても、またぞろ「制度設計の話」(抽象論という意味か?私は先の維新の例でも具体的に反証しているのだが?)云々と、話をはぐらかされるに決まっています。
 小泉支持でも橋下支持でも、それは個人の意見だから構わない。それを他に押し付けるな。自分から議論を仕掛けてきた以上は、他の意見にも耳を傾けろ。それをせずして、ただ自分の意見を押し付けているだけでは、凡そ民主主義でも何でもない、ただの独裁であり金正日と同じだ。身内だから大目に見ているが、これが一般の店なら、従業員への人権侵害、パワハラで訴えられても文句は言えまい。

 それに、何故そこまで橋下政治ヨイショに走り、原発事故よりも橋下政治の帰趨の方がさも一大事だと言わんばかりの態度に出れるのか、それが全く理解できない。
 言うまでもない事ですが、今の原発事故は、決して福島・東北や首都圏だけに限った問題ではありません。この西日本でもいつ南海地震や東南海地震が起こるかも知れず、そうなったら福井県若狭湾岸の美浜・高浜・大飯原発や島根原発でも同じ事故が起こる可能性が高い。決して対岸の火事で済まされる話ではない。若しそんな事態になったら、大阪都もクソもないでしょうが。そんな事も分からないのか。
 そんなに橋下命なら、若狭湾から放射能汚染が大阪に及んできた時も、原発擁護の橋下と心中・玉砕するのだろうか。はっきり言って、まるでオウム・勝共連合・「生長の家」などの信者みたいで、もうウンザリしています。

 兄貴個人については、何故そこまで固執出来るのか理解できませんが、橋下信者一般で言うならば、この先行き不透明な世の中で、カリスマ性のある政治家に靡くのでしょう。「この人に付いて行けば安心だ」みたいな。そして、カリスマ性のある政治家というのは、得てして弱肉強食礼賛の独裁者タイプの場合が多いですから、この日本では右派に靡きがちなのでしょう。かつてドイツ人の多くが、資本主義による失業・生活苦の責任をユダヤ人に擦り付けたヒトラーに靡き、今のフランス人の少なくない部分も、その責任を外国人移民に擦り付けるサルコジやルペンに靡くのと、同じ理屈です。

 普通のミーハーな橋下支持者であれば、「ただ何となく」とか「頼もしい、カッコイイ」とかいう理由だけで支持するのでしょうが、それがコアな支持者にまでなると、何か漠然とした不安感や自分の中にあるトラウマみたいなものから逃避する為に、ひたすらそれに縋ろうとするのでしょう。理屈など只の後付やマスコミからの請売りで、ひたすら何かに縋りつこうとする。そう考えると、今までの兄貴の対応も納得が行きます。
 では、それに対して反原発運動はどうすべきなのか。橋下や石原よりも更にカリスマ性に長けた人物を押し立てれば良いのか。そうすれば、「付和雷同・大勢順応・奴隷根性」に染まった今の多くの日本人への「受け」は確かに良くなるかも知れませんが、しかしそれは、金正日に靡く心性とも紙一重ではないか。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする