アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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福島廃炉に向けての講演会参加報告

2011年04月28日 20時08分09秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
     

 遅くなりましたが標記の参加報告を簡単にしておきます。当該講演会(正式には学会の研究集会)は、エントロピー学会という所が中心になって、4月23・24日の二日間、京都・同志社大学の新町キャンパスで行われました。私はその二日目の24日(日)に、10時から17時まで終日参加しました。時節柄、会場の大会議室には学会・報道関係以外の一般市民も大勢詰め掛けていました。私は非正規のアルバイトという事で参加費は免除されたので(正社員などは1000円)、その分をカンパや会場販売の書籍購入に回す事が出来ました。
 ただ、午前中は下記数名の方による連続講演が13時過ぎまで、質問も午後からのパネル・ディスカッションでの一括応答に回す形でぶっ通しで行われたので、大阪から朝早く駆けつけた仕事疲れの身体には正直言って堪えました。何とか話について行くだけで精一杯で、とても内容を理解する所まで行きませんでした。会場で配布された山のような資料には、中々興味深い事も一杯載っていたので、少し勿体無い事をしたなと反省しきりです。

 午前の部は、まず1時間ほど、後藤政志さんという元原発設計者の方が話されました。その方の話によると、今の事故処理のもたつきは、初日の3月11日にいち早く海水注入を決断できなかった初動の遅れで、決定的になってしまったとの事です。
 地震で原発が自動停止したものの、震災・津波で外部からの送電線が切断され予備電源も止まってしまい、ECCS(緊急炉心冷却装置)が機能しなくなった。核燃料の崩壊熱が抑えられないまま、海水注入を躊躇している間に冷却水の水位がどんどん下がり続け、とうとう炉心が剥き出しになり(この冷却材喪失事故をLOCA=ロカというらしい)、格納容器減圧の為のベント(放射能汚染を承知の上で中の水蒸気を放出)も空しく、水素爆発で放射性物質が撒き散らされる事になった。
 その後大分経ってから始められた手動による注水作戦も、本当は毎時数百~数千トンの水が必要なのに、僅か数十トンしか給水されない「焼け石に水」状態で、到底間に合うわけがない。そもそも、高濃度の放射能汚染によって、原子炉の破壊がどこまで進んでいるかという、最も肝心な事が何も調べられず、配管の修復もままならない中では、幾ら給水しても所詮はじゃじゃ漏れにしかならず、却って放射性物質を拡散してしまう事にしかならなかった。
 大体、日本の原発は地震・津波の設定条件が甘すぎる。自然現象は不確実であり色々な事態に対処しなければならないのに、発生確率が小さいと切り捨ててしまっているのが実際だ。シビア・アクシデント(苛酷事故)対策がなっていない・・・というお話でした。実際の話はもう少し複雑で、原発内部の機器の写真を元に色々不具合な箇所を説明されたのですが、話が専門的過ぎて私は付いて行けませんでした。
 
 続いて、井野博満さんという柏崎・刈羽原発差止め訴訟を支援されている方が、同じく1時間ぐらいお話をされました。この方も前記の後藤さんと同じ技術畑出身で、お話の内容も重複する部分が少なくありませんでした。ただ、こちらの話の中では、厚労省や文科省が放射線許容線量の基準を大幅に緩めた事を怒りをもって告発されていた事が、私の中では非常に印象に残りました。
 曰く、原発労働者の許容基準を年間100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに、同じく学校再開の基準を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに(前回記事参照)、大幅に緩められた、と。
 しかし実際には、年間100ミリシーベルトを超えると白血球・リンパ球の減少が現れると言われている。しかも、子供は大人よりも細胞組織が成長途上にある分、余計に放射能の影響を受けやすいとも言われている。それ以前に、何ミリシーベルトと言うのも単なる目安にしか過ぎず、それ以下は全く無害なんて絶対に在り得ない。実際にはシーベルトの値に比例して、放射線障害が出現する事が確率的に明らかになっている。その基準を逆に緩めるとはどういう事か。原発労働者や子供ひいては国民を、所詮はその場しのぎの「使い捨ての駒」としてしか見ていない、という事じゃないか。
 緩和後もICRP(国際放射線防護委員会)の基準を満たしているから適正だ、というのが国の言い分だそうです。しかし、そもそもICRPやIAEA(国際原子力機関)にしてからが、原子力産業育成を前提とした「業界団体」であり、そこでは環境基準も大甘のものが採用されている。内部被曝や生物濃縮、遺伝的影響なども過小評価されている。今も、現場では食い詰めた労働者の足元を見透かすかのように、「就業機会確保の為に別扱いとする」(放射線防護協会)とか、「250ミリシーベルト浴びても引き続き働かせてやる」といった言質が堂々とまかり通っているではないか。そんな中では、たとえ後になって障害が出てきても、「因果関係が証明されない」とか何とか言われてシラを切られるに決まっている。
 その後も、地球温暖化防止に向けての二酸化炭素削減目標との絡みで、別の方からお話が1時間余りあったのですが、もうその頃には疲れがピークに達して、きちんとメモを取れませんでした。すみません。

 そして、日曜日とあって構内食堂も休業中の中、近くの牛丼屋で慌しく昼食を済ませた後、14時からは、午前の講義を受けての質疑応答の中から、福島原発廃炉に向けて学会として何が出来るか、という事が話し合われました。ここでは、前日23日に講義された広瀬隆さんもパネラーに加わられていました。
 経済産業省の一部局にしか過ぎない今の原子力安全・保安院や原子力安全委員会に、監督官庁の役割は期待できない。泥棒に警官をさせるようなものだ。検査官もズブの素人で、電力企業に教えを請う体たらく。今回の事故で斑目(まだらめ)安全委員長は陣頭指揮を執らなかった。そんな役人が退職後には電力企業に天下り。
 そんな独占企業が地域の電力供給を牛耳り、国からのお墨付きで原発を推進している。正社員労組の電力総連(連合系)も完全な御用組合。マスコミもスポンサーには電力企業幹部の名が並ぶ。官邸機密費がマスコミにも流れ、メディアは公式発表の垂れ流しのみとなる中で、ジャーナリズムの自殺行為が進む。その中でフリー記者排除の動きも出てきている。大学も、独立法人化や教育予算削減、産学協同などを通して企業支配が強まっている。しかも、露骨には弾圧できないので、自粛要請の形で巧妙に締め上げてくる。
 そして、国民の中にも諦めムードが醸成されている。原発容認の資本家政党(民主・自民・みんな・立ち上がれ・維新、等々)や御用組合の連合は言うに及ばず、共産党や全労連もせいぜい「原発の見直し」止まりで、明確に脱原発を主張しているのは生活クラブ生協など少数派の団体・勢力だけだ。

 しかし、その中でも今回の事故以降、世論は徐々に変化しつつある。計画停電の不公平やデタラメさが白日の下に晒され、原発依存の嘘が次第に明るみとなる。休止中の火力・水力発電を元に戻すだけで、原発の需要が基本的に賄える事も明らかになった。ドイツだけでなくこの日本でも、4月10日東京・高円寺での即興の反原発デモに1万5千人が結集。ソフトバンク会長・孫正義が脱原発に方向転換。財界メディアの日経新聞や「東洋経済」「週刊ダイヤモンド」などにも脱原発の記事が載るようになった。(注:この記事執筆中も橋下徹が原発の新増設中止を言明、その一方で基本的には原発賛成だというから、所詮は一時の人気取りなのだろうが)
 その中で学会として何が出来るか。「原発ジプシー」「原発ぶらぶら病」の実態告発から原発依存の犯罪性を問うていく。施設の老朽化で30年の使用期限が切れる原発が今後相次ぐ中で、学会としても原発廃炉の工程表作りに着手する。原発企業に広域避難計画策定や税収減収補填を義務付けるように、自治体を動かしていく・・・等々、色んな意見が出されました。
 産経新聞や「WiLL」「撃論ムック」などの一部右翼メディアがことさら原発擁護を声高に叫べば叫ぶほど、彼の人たちが言う「愛国心」や「郷土愛」がどの程度のものか、「原発ジプシー」搾取の上に胡坐をかいているのが一体誰か、誰が人民の敵であり味方であるかが、ますますハッキリしてきました。確かに、風力発電などの代替自然エネルギーにも問題がない訳ではありませんが、だからといって、現状肯定に安住していて良い筈は無い。この問題には人類の生存がかかっているのだから。誰かの犠牲の上に一部の人間だけが潤うような経済システムに寄りかかっていると、最期には「敵」「味方」の別なく全員が滅んでしまう。少なくとも、それだけは確実に言えるでしょう。

科学としての反原発 (市民科学ブックス)
クリエーター情報なし
七つ森書館

↑私が講演会会場の書籍販売で購入した本です。
コメント (1)
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