アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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憲法を我々の手に取戻し、世界にも広げていこう

2013年01月27日 22時49分14秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな
 本当は求職中なのでその近況をブログに書くつもりでしたが、昨夜たまたま目にした産経記事の内容が余りにもトンデモなので、先にこの話題について書く事にします。
 「国賊か!?「赤旗」で”日本叩き”に加勢した自民党元重鎮」というのがその記事で、「高木桂一の「ここだけ」の話」というシリーズの形でまとめられています。多分何人か記者が持ち回りで記事を書いているのでしょう、その中の高木さんによる執筆記事だそうです。

―安倍晋三首相が旧日本軍による慰安婦募集の強制性を認めた「河野洋平官房長官談話」(平成5年)の見直しを表明した事に対し、自民党の加藤紘一元幹事長が20日付の共産党機関紙「しんぶん赤旗」日曜版紙上で批判した。自民党の元重鎮が他党の機関紙にわざわざ登場して”身内”を攻撃するとは、寡聞にして知らない。慰安婦問題をめぐって米紙ニューヨーク・タイムズはじめ海外メディアが「日本叩き」を強める中、加藤氏が加勢した格好だ。(以上、記事冒頭部から引用)・・・というのがこの記事の内容です。

 戦時中の慰安婦募集が強制によるものか否か、私は強制だと思っていますが、ここでは敢えてその事には触れません。そこまで触れてしまうと、逆にここで私が言いたい事がぼやけてしまいますので。私がこの記事の姿勢について見過ごせないと思ったのは、その内容も然る事ながら、それ以上に、「国賊」だの「反日」だの「非国民」だのと、いとも簡単に言ってのける産経の独善的・排他的体質です。

 そもそも、元自民党の加藤紘一だろうが、共産党の「しんぶん赤旗」だろうが、誰がどこで何を言おうが全く個人の自由だろうが!

 それを勝手に、自分たちだけが正義で、その自分たちに反対する奴は「国家の敵」で「北朝鮮や中国の手先」みたいなノリで、簡単に言ってのける事の出来る感覚が、まず以て理解出来ません。
 産経も言論機関なら、戦前の言論機関が、「国賊」だの「非国民」などと呼ばれて弾圧に屈してしまった為に、軍部の暴走に何も言えなくなった挙句に、無謀な戦争で多くの国民を死地に追いやってしまった歴史は当然知っている筈。知っていたらこんな物言いなぞ絶対に出来ない筈。それをいとも簡単に言ってのける。その一事だけでも、産経が「社会の木鐸」「権力のチェック機能」という言論機関本来の在り方とはかけ離れた、単なる「権力の太鼓持ち」にしか過ぎない事がよく分かります。
 これでは北朝鮮や中国の言論機関と一体どこが違うのか。その政府統制に反対してストまでした中国「南方週末」の記者の方が、よっぽど言論人としての自覚があります。そんな自覚も重大性の認識もなく、「ここだけの話」とふざけた感じで、よくも書けたものです。まるでガキとしか言いようがない。

 産経はその他にも、旧社会保険庁職員が休日に個人の意思で「赤旗」号外を配布した事についても、「公務員には思想信条の自由なぞ全くないのだ」みたいな記事を書いていましたが、アホかと思いますね。こんな事を書いてしまったが最後、【プレカリアートの「ここだけの話」:もはや戦前か!?「産経」で”赤狩り”に狂奔するネトウヨ記者】wと逆手に取られて、自分たちが政府から弾圧されても何も文句が言えなくなってしまうのに。そんな事も分からない産経こそ、逆に「日本の内部崩壊を企む北朝鮮の手先」じゃないかと思ってしまいます。

 しかも、河野談話に関する加藤紘一コメントの西暦記述まで、産経の方で勝手に昭和・平成×年とかの和暦に書き換えて。日常生活で使う時には西暦の方がはるかに便利なのに。和暦だと、履歴書を書く時など昭和と平成にまたがる場合に、いちいち計算し直さなければならないでしょう。まさか、西暦しか使わない奴は「国賊」「非国民」と思っているのでしょうかね、産経は。思っていなければ、わざわざ書き換えたりしませんよね。そんな事にまでいちいち干渉してくるなよ。そのくせ、自分たちだけは記事配信日時を「2013.1.26 18:00」と西暦にして。産経は、自分を一体何様だと思っているのか。

 それ以上に問題なのは、これが単に慰安婦問題だけには止まらない事です。だって産経の以上の理屈からすれば、反政府や反体制の傾向を持つ者は無条件に「国賊」「非国民」で「悪」なのですから。「原発」「オスプレイ配備」「TPP」「消費税値上げ」反対も、「時給上げろ」とか「朝礼・体操時間にもちゃんと給料払え」とかいうのも、全て「悪」。とにかく国民が何か要求したり権利を主張する事自体が気に入らないかのようで。
 いいや、「時給上げろ」や「原発反対」は良いが「河野談話見直し反対」だけはダメだと、産経は誤魔化すかも知れませんが、そんなもの誰が信用するか!だって「国賊」かどうかを決めるのは、自分たち産経や自分たちが愛してやまない自民党だけなのですから。いつ何時「国賊」にされるか堪ったものではない。こんなナチスばりの物言いを容認しておいて、何が「思想統制に繋がる人権擁護法案反対」か。笑わせるな。

 こんな産経のトンデモ記事に腹を立てながら、その一方では、「何でこんなナチスばりの物言いが大手を振ってまかり通る世の中になってしまったのか?」という事も、同時に考えなければならないと思います。その原因は色々あるでしょうが、私が一番思うのが次の事。ここからは少し大きなスケールで話を進めていくので、分かりやすくする為に敢えて単純化して説明します。

 なるほど今の憲法には、国民主権・基本的人権尊重・平和主義とか、色々良い事が書いてあります。でも、自民党の人たちは、昔も今もそれを守る気は殆どありません。守ると言っているのは口先だけです。でも戦後70年代中頃までは、好景気を背景に労働組合が一定の力を持ち、反戦運動・学生運動・ウーマンリブの運動なども割と強かったので、自民党も余り無茶な事は出来なかった。でも、やがて世の中が不景気になり、ソ連も崩壊して労働組合の力が弱くなると、自民党はそれまでなら考えられないような、憲法破りも平気でするようになった。
 他方で外国の方も、たとえば今まで自民党政治とは対極の「労働者の国」と思われていたソ連・中国・北朝鮮なども、実際は強制収容所や少数民族抑圧、言論弾圧、拉致問題などを抱えたトンデモな国である事が、次第に明らかになった。
 その中で、本当は自民党などが憲法に反する政治を行い、競争を煽って経済格差を広げた結果、世の中に拝金主義や虐めや自殺などが広まったのに、それを「権利主張ばかりする我儘な個人」のせいにし、産経がそんな言説を率先して広めた為に、それを真に受けてまるで「権利主張やそれを奨励する憲法が全て悪い」みたいな言説が広まってしまった。だから「反体制=全て悪=国賊」と言うような、先の産経記事が大手を振ってまかり通るようになってしまったのです。

 しかし、そんな事で問題が解決する筈がない。「サービス残業反対」すら言えない社会になってしまう。ソ連などがトンデモなのは分かったが、では何故それがトンデモだったかと言えば、ソ連などの憲法にも、例えば「人民が国の主人公」「労働者の権利を守る」とか「世界の労働者よ団結せよ」みたいな「色々良い事」が書かれていても、国の指導者にその気がない為に、「権利を守る」と言いながら人権を踏みにじったり、「団結せよ」と言いながら平気で侵略や拉致をするようになってしまったのでしょう。何の事はない、思想こそ右・左と正反対だが、憲法の理想を踏みにじっているという点では、日本の自民党と全く同じじゃん
 だったら、それを根本から変えようと思うなら、「ソ連や中国から日本を守る」「その為には自民党がどんな無茶をしようとそれに従わなければならない」「日本だけ、自分の会社だけ儲かればそれで好し」なんて腐った考えではなく、ソ連・中国の労働者・国民とも連帯しながら、ソ連も中国も日本もアメリカも変えていかなければならないのと違いますか?

 日本国憲法が本来目指していたのも、本当はそんな国であり国民であったのです。下記の憲法前文にも、その事がちゃんと書いてあります。その通りの政治が行われていれば、「我儘な個人」なんて本来生まれる筈がなかったのに。

―われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく欠乏と恐怖から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する事を確認する
―われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、(注:基本的人権尊重などの)政治道徳の原則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。(以上、現代的かな使いに訂正の上、一部注釈を補足)

 それが実際は日本でも外国でも、それが余りにも蔑にされてきた為に、派遣切りや過労死や虐めや自殺や、格差拡大や銃乱射事件や拉致事件も起こったのです。それを糺そうと思えば、「国の言いなり」でも「自分さえ、日本さえ良ければ」でもなく、「世界全体の幸福を目指す中で、日本の、自分の会社の、自分たちの幸福実現を図る」しかない。その為には、我々もただ「憲法を守れ」だけでなく、「憲法を我々の手に取戻し、世界にも広げていこう」と言わなければならないのではないでしょうか。
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