アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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放射能の講演会が地元であった。

2013年10月02日 23時37分26秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 
 9月29日の日曜日に、放射能の講演会が地元の市の公民館であったので私も行って来ました。
 主催は地元の市の「母親大会連絡会」という団体で、そこの35回目の定期大会のメーン企画として標記の講演会が行われました。真鍋さんという阪南医療生協の診療所長さんが、主に放射能の内部被曝の問題について講演して下さりました。形こそ母親大会の一部として行われるものの、誰でも参加自由という事だったので、私もたまたま近所の掲示板に貼られたチラシを見て、興味があったので参加してみました。

 当日は午後1時開演で、最初に地元のお母さん方によるコーラスがあって(左上写真)、その後の主催者や来賓の方の挨拶の後、真鍋先生の講演が行われました(右上写真)。会場の公民館集会室には既に50名ぐらいの方が入っておられましたが、私以外は全員女性ばかり。「しまった!」と思いましたがもう後の祭りです。こんな事はめったにないのですから、逆にチャンスだと思い直して参加する事にしました。

 ところが、真鍋先生がせっかくパソコンを持ち込んでチェルノブイリや福島の貴重な現地映像をスライドに映し出そうとしたのですが、パソコンの調子が悪くて映し出す事が出来なくなりました。会場の中には私の知人も何人かおられ、その中には私がブログをやっている事も知っている人がいて、その方から「××さん(私の本名)、ちょっと見てあげてよ」と言われたのには流石にびっくり。幾らブログをやっていると言っても、プロジェクター(パソコンの画像をスライドに映し出すソフト)なんて使った事もないのに。

 結局、画像での報告はもう諦めて、講演での話が主体となりました。そこで真鍋先生が話されたポイントは次の三つでした。本当はもっとあったのかも知れませんが(事実レジュメにはもっと色んな事が一杯書かれている)、少なくとも私が理解できたのは次の三点です。

 一点目は、福島原発事故と広島・長崎の原爆やチェルノブイリ原発事故との大きな違いです。それは、福島の場合は、漏れ出た放射能の量こそ原爆やチェルノブイルよりも少ないものの、後者はもうすっかり核燃料が残っていないか封じ込められたのに比べ、福島では今も核燃料の大半が原子炉の中に残っており、今なお汚染水や空気中への拡散の形で垂れ流されている事です。
 そりゃあそうですわね。今もまだ原子炉の中には核燃料が残っており、どれだけどういう形で残っているか近づいて調べる事も出来ない中で、とにかく爆発だけは防ごうと、どんどん冷却水を注入しているのが現状です。ただやみくもに注水しているだけですから、その水が汚染水となって海に流れ出たり、土壌に浸み込んで地下水と混ざってしまったり、蒸発して雨になって山に降り注いで拡散してしまうのは、最初から分かり切った事。安倍首相はIOC総会で「汚染水は港湾の防波堤の中に完全にブロックされている」なんて事を言っていましたが、そんな事出来る訳がない。除染もはっきり言って無意味。幾ら除染しても雨が降ればまた元の木阿弥。

 だから今、福島ではMDS(骨髄異形成症候群)という白血病の一種になる患者が激増しているのだそうです。白血病、つまり血液の癌(がん)になる人は、長崎の被爆者約20万人の中でも5~6人しかいないのに、福島では現時点で既に約100人が罹患してしまっている。福島や郡山の児童公園には「遊ぶのは1時間以内」との掲示までされるようになってしまっているそうです。そんな環境の中で、どうやって遠足や体育の授業をやれというのか。どうやって暮らせというのか。事態は、もはや「福島産を食べて応援」なんて偽善的なポーズで誤魔化せるレベルではなく、避難できる人から一刻も早く避難しなければならない状況なのに。

 二点目は、外部被曝と内部被曝の違い。外部被曝というのは、原爆や原子炉間近で被曝した人の様に、身体の外から放射能を浴びた場合で、これについては、放射能(放射性物質が周囲に与えるエネルギー)を浴びた程度によって身体にどれだけのダメージを受けるか、凡(おおよ)その事が分かっているので、それに基づいて、一般人の場合は年間何マイクロシーベルト、原発作業員の場合は何マイクロシーベルトという具合に、「しきい値」という凡その規制値が定められています。しかし、呼吸や飲食によって放射性物質を身体の内部に取り込んでしまった場合は、この「しきい値」は全く意味をなさなくなってしまいます。何故なら、たとえ僅かな量の放射性物質でも、それが体外に排出されずに、カリウムやナトリウムといった身体を構成する元素の一部として体内に取り込まれ、ずっとそこに止まり周囲の細胞を破壊し続けたらどうなるか。外部被曝で放射能を浴びた以上に、破壊的なダメージを身体に与える事になってしまう。

 現に広島では、原爆投下から2週間も経ってから、60キロ離れた三次(みよし)から救援活動にやってきた高等女学校の生徒が、脱毛や下痢、身体のあちこちに癌を発症する多重癌などに苦しみながら、23名も相次いで亡くなりました。煙草も吸わないのに肺癌にやられたりしながら。でも国は、内部被曝に関しては原爆投下との因果関係は立証されないとして、被曝者援護法の対象者を爆心から半径2キロ以内にいた被曝者(その殆どは既に亡くなっている)に限る姿勢に未だに固執しています。
 チェルノブイリ周辺国のウクライナやベラルーシでも、事故後数年も経ってから、内部被曝で放射性ヨウ素が多くの住民の甲状腺に取り込まれてしまった為に、住民の間に甲状腺癌が広まり、癌を摘出して首の周りに「チェルノブイリの首飾り」と呼ばれる痛々しい手術痕が残る人たちが一杯生まれました。「首飾り」だけで済めばまだ良い。もっと重篤なダメージを身体に与えられ、遺伝子を傷つけられた為に、脇腹から足の生えた牛や、耳が欠け落ちた猫なども現地では一杯生まれました。

 福島原発事故が起こった直後、当時の枝野官房長官が「直ちに健康には影響はない」と言ったのは、日本も数年か数十年後には最悪この様な事態になるかも知れない事を予測して、予め「逃げ」を打ったのではないかと、私は本気で思っています。

 三点目は、もはや全く放射能に汚染されていない場所なんて地球上には殆どない。強いて言えば南極ぐらいのものだ。そのような状況下では、根本的解決として核の廃絶を追求する一方で、現実問題として放射能から自分の身を守る為に今から出来る事にも取り組んでいかなければならないという事です。
 ウラン鉱山周辺など元から自然放射能が高い地域の住民も、放射能に弱い人は早くに亡くなり、免疫の強い人だけが生き延びる事が出来たのです。レントゲン技師も、鉛で囲まれたレントゲン室で、自身の被曝線量を測定しながら規制値内に治まるように仕事していても、多くの技師が放射線障害で亡くなっているのです。それをさも放射能は安全であるかのようにいう、原子力村の御用学者・医師のペテンに騙されてはいけない。
 そんなペテンに惑わされずに、何でも国や自治体任せにはせず、自分でも出来るなら放射能線量も測定しながら、出来るだけ放射能を避けるような食生活や住環境を心がけなければならないと、仰っておられました。

 その後、ベクレル(Bq)とかシーベルト(sV)とかの放射能測定の単位についての説明がありましたが、これは私もよく分かりませんでした。放射能の規制値や食品汚染の許容量を表す際には必ず使われる単位なので、本当はこれについても知っておかなければならないのでしょうが。
 一応、ベクレルと言うのが放射能の絶対値(毎秒1個の放射性元素が崩壊してまた別の放射性元素に変わる際に放出するエネルギーの値)で、それが身体に受けるダメージは、同じベクレルの放射能でも放射性物質の違い(アルファ線・ベータ線・ガンマ線・中性子線など)によって変わるので、それを種類別に換算して現したのがシーベルト。1シーベルトの千分の1が1ミリシーベルト(msV)、そのまた千分の1が1マイクロシーベルト(μsV)。
 年間100ミリシーベルト以上の放射能を浴びると身体のあちこちに影響が出始め、千ミリを超えると下痢や嘔吐などの急性症状が現れる。7千ミリ以上で殆どの人間は死ぬ。今までは年間1ミリシーベルトが個人の許容基準だと言われていたのに、国はそれを年間20ミリに、原発作業員に至っては年間250ミリにまで緩めようとしている。これ位知っておくだけでも、新聞やテレビが平気で垂れ流す何ミリシーベルトというのが、実は大変な事だという事も徐々に分かってくるのではないでしょうか。

 以上が講演会の報告です。放射能の講演会が終わった後は、保育所民営化に反対する闘いなど、母親大会参加者からの報告・交流があり、最後に大会宣言を採択して午後4時半に終わりました。地元の府立高校がお母さん方の高校増設運動で出来た事もここで初めて知りました。この講演で、放射能の内部被曝の恐ろしさについて改めて認識できました。その一方で、ベクレルとかシーベルトの意味については、もう少し分かりやすく説明して欲しかったです。

 
 会場に展示された「新日本婦人の会」地元支部の憲法9条タペストリーと絵手紙。この辺の感性は「野郎」主体の集会には絶対にないものだと妙に感心。
 

 つい最近亡くなった、この町の母親大会創立者が残した「反原発」俳句の数々。
 除染せぬ遊び場いまだ秋寒し
 原発禍室内でする運動会  
 厳寒に木の芽鎧ひでじっと耐ゆ 合掌。    
コメント (1)
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