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親父のサプリ依存症

2013年12月16日 23時23分00秒 | 当ブログと私の生い立ち


 今回の記事は単なる愚痴なので興味がなければ読み飛ばして貰って結構です。

 実は一昨日また親父とちょっと一悶着ありました。風邪気味の私に対し、親父が通販でいつも買っているファンケル・サプリのビタミンを飲むように勧めてきたので、私が何気に「サプリなんて所詮、栄養補助食品なので別に要らない」と断ったら、突然怒った様に「じゃあ勝手にしろ!しかしお前は片意地だな!」と返してきたのです。その後もまだ暫(しばら)く「お前の片意地と来たら…(ブツブツ)」と呟いていました。

 私は「ちぇ、またいつもの親父の決めつけ癖が始まった」と、もう相手にしませんでした。その後はまた何事もなかったかのように、取り留めもない日常会話に戻りましたが、何でいつもこんな目に遭わなければならないのか。そして、何故いつも私だけが我慢しなければならないのか。勿論、始終こんな事がある訳ではありませんが(遭っては堪らない)、時々何かの拍子に突然このように親父が怒り出す時があるのです。

 このサプリメントの件にしても、片意地なのは寧ろ親父の方じゃないですか。

 まず第一に、写真を見て貰えば分かりますが、ファンケルのサプリメントだけでもこれだけ毎日飲用しているのですよ。ビタミンからトコブシやらDHAやら。このサプリ以外にも、発芽米やらクッキーも一杯購入しています。普通に食事さえしていたら、別にここまで「サプリ漬け」にならなくても毎日健康に過ごせる筈です。「サプリに頼るよりも毎日バランスの良い食事を腹八分目に取る方が大事だ」と言うのは、私の「片意地」でも何でもない。天下の厚生労働省も言っている事です。

 そして第二に、そもそも親父が何故こんなにサプリを飲まなければならなくなったかと言うと、長年に渡る暴飲暴食や脂っこい食事のせいで、心臓病や動脈硬化を患う様になったからです。今はもう流石に昔ほど無茶な食べ方はしなくなりましたが、それでも、かつての自分の不養生を棚に上げて、他人にいくらサプリを勧めても全然説得力はありません。

 第三に、それでも親父がサプリを飲もうがそれは親父の自由、但しそれを他の人間にも押し付けるなという事。そういう押し付けがましい頑迷さ、自己中心的な所は若い頃と全然変わらない。

 そして何よりカチンと来たのが、自分の「片意地」を棚に上げて、他人の事を一方的に「片意地」と決めつける人格攻撃。元々、何かにつけて保守的、封建的な親父とは、私は馬が合わなかった。それでも幼い頃は親父に結構なついていた所があったが、反抗期から思春期以降は、何かにつけて親父とは対立してきた。こちらから親父の生き方にケチをつけた事は一度もないのに、いつも親父の方から自分の価値観を私に押し付けて来て、それで大喧嘩になった事も一度や二度ではなかった。「親の価値観や生き方を一方的に子供に押し付けるな」という当時の私の抗議に対して、親父が言い返してきたのが「親が子供に干渉するのは当たり前やないか」(笑)。いくら親子でもそれぞれ別の人間であり、生き方も違えば思想・信条も違う。そのそれぞれの違いを尊重してこそ、初めて人権や民主主義が守られるのに。こんな「市民社会のイロハ」さえ弁(わきま)えない親父だったのだ。

 どういう所が「保守的、封建的」かと言うと、例えば変に世間体を気にする所などがそうだ。こちらが特に結婚なんて考えていないのに、「古き良き昭和の家庭」イメージのまま、執拗に見合いを勧めたり。今の私の生活からすれば、気軽に携帯できて職場で有休届などもその場で判子付いて出せる三文判の方が遥かに使い勝手が良いのに、それを象牙の印鑑に変えようとしたり。
 それらは、長年の公務員生活の間に培われた親父の処世訓なのだろう。しかし、親父の生きた時代や環境では有効だったかも知れないが、今の私にとっては寧ろ有害でしかない。今時こんな「長い物に巻かれろ」の奴隷根性でいても、ブラック企業に食い物にされるだけだ。

 だから私は、子供時代から無意識のうちに、そんな親父とはまた違う生き方を望むようになった。大学卒業後に親父に勧められて一旦就いた私立高校講師の職も直ぐに辞め、親父の反対を押し切って生協職員として働く道を選んだ。その希望に燃えて転職した生活協同組合も、上辺の民主的イメージとは裏腹に、軍隊式管理が横行する、今で言えば「ブラック企業」そのもののような職場だったが、それでも創生期の名残もまだ残っていたので、それなりに楽しく働く事が出来た。しかし、小泉構造改革が始まった2000年前後からは、生協の「ブラック企業」度もそれまでとは桁違いに酷くなり、とうとう見切りを付けて10年余り前に生協を辞めた。

 そして今は非正規雇用で食いつなぐようになった。正規から非正規雇用になり収入は格段に減った。生協労組員から未組織労働者になり企業内の地位も格段に落ちた。でも、精神的には、たとえ職場で色々あっても、それでも昔の生協時代よりは今の方が遥かに幸福だと思っている。非正規になった事で長時間労働から解放され、パソコンの勉強やネットをする余裕も初めて持てた。ブログやツイッターも非正規になって初めて可能になった。職場での労働問題を契機に、今また「誰でも一人でも入れる」地域労組の組合員になった。職場にバイトの労働組合もない中で、組合費だけ払う個人加盟の組合員にしか過ぎないが、上からの組織動員ではなく、あくまで自分の意志で行動し、脱原発や秘密保護法反対のデモにも参加するようになった。いずれも教師時代や生協時代には考えられなかった事だ。確かに出世や金儲けとは無縁の生き方だが、それ以上に生きがいを得る事が出来た。

 親父には、今のブログやデモの事も、生協時代は共産党員だった事も言っていない。今更言っても理解してくれるとは思えないし、こちらも無理に理解して貰おうとは思わない。ただ再び労働組合に入った事だけは、例の職場での労災もみ消し事件の経緯を親父に報告する中で明らかにした。別に親父からは何も言われなかった。組合に入ったからって何も急に過激な事をする訳ではなく、寧ろ労災もみ消しの件では組合に助けられた位だから、親父も今更面と向かって反対する気にはならなかったのだろう。

 親父も過去私との間にそういう対立を抱えてきたせいか、今は逆に変に私に気を使っている節がある。朝食のパンは私が買ってくる事になっているのに、親父が先回りして先に買っていたり。変に気を使い過ぎて、それでストレスを貯めて何かの折に、傍から見れば何でもない事で、急に怒ったりするから余計に始末が悪い。

 まだ母親も健在で兄貴や妹も同居していた頃なら、母親や兄貴などが私と親父の間で仲裁に入ってくれたり、私に味方してくれたりしたのだが、兄貴も妹も結婚・独立して、母親も既に他界。兄貴も、昔は親父よりも私の方に考え方が近かったのが、脱サラして商売に勤しむようになってからは、年々、金儲け・競争至上主義の傾向が強まり、今は親父以上に「資本主義的」「保守的」な考え方をするようになった。だから、今はもう兄貴にも親父の事は相談する気になれない。

 今はもう仕方ないと諦め、表面上は親父とも上手くやって行けてはいるが、いつまで我慢できるかは私にも分からない。もうお互い大人なんだから、いつまでも過去に拘っていても仕方ないし、寧ろ私の方が親父をいたわらなければならないのに、「一体何をやっているのか」と、内心バカにしている方もおられるかも知れませんね。でも、これが私の実態です。寧ろ、今はもう私の様な人が増えているのはないかと思っています。
 普段は「ワーキングプアになるのは自己責任」とか言って弱者を切り捨て、今の格差社会をもたらした自民党や「維新の会」を選挙で支持しながら、自分の都合の良い時だけ「日本人の絆や家族愛は素晴らしい」とうそぶき、そこからはみ出た人をことさら異端視し差別する輩の方が、私からすればよっぽどバカだと思います。 
コメント (4)
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