アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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2013年をふり返って

2013年12月31日 21時59分04秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
  

 前にも書いたように、私には年末も年始も関係ありません。普段と同じ様に出勤し、普段以上に夜遅くまで働くだけです。正月だからと言って休める訳じゃない、逆に普段以上に忙しくなるだけなので、私にとっては寧ろ年末なんて無い方が良いです。はっきり言って。でも、元旦に出勤すれば些少ながら特別出勤手当が出るので、その点だけは少し嬉しいです。

 そんな年末でも、今年は頑張っていつも以上にブログ記事が書けたと思います。例年だと、有馬記念の報告の後は大晦日に1年間のふり返り記事を書くのが精一杯でしたが、今年は年末の土壇場になっても安倍が靖国参拝をやらかしてくれたお蔭で、必要に迫られて何とか書く事が出来ました。そのブログ記事を中心に、今年1年のふり返りをここにまとめておきます。

 まず、政治的・社会的な関係からいくと、1月・2月はこれと言って注目を集めた記事はありませんでした。
 ところが4月から5月にかけて、ブログのアクセス数がグンと伸びました(それまでの1日千前後から2千以上に)。注目を集めた理由は、恐らく兵庫県小野市の生活保護条例と、橋下従軍慰安婦発言について連続して書いたからでしょう。特に5月26日にブログで紹介した吉見教授の橋下発言批判記事は、それが単なる転載記事であるにも関わらず、はてなブックマーク等でも結構注目を浴びました。

 6月に入ってからは落ち着きを取り戻しましたが、それでも時折アクセス数がグンと跳ね上がるのは、7月の参院選で、自民党がそれまでのアベノミクスという飴の代わりに、憲法改悪の鞭をふるい始め、いよいよ保守反動勢力としての正体を現すに至ったからでしょう。それまでは「維新の会」を鉄砲玉として前面に押し立て、自分たちはその後で真打ちとして登場する戦略でいたのが、参院選で大勝したのと橋下慰安婦発言で維新の凋落が明らかになった事で、もはや「役立たずの鉄砲玉なぞ要らない」とばかりに、自民党が前面に躍り出てきました。8月に入っても、麻生ナチス発言や平和教材「はだしのゲン」の学校図書館からの排除という形で、この流れは続きます。

 その一方で、9月の堺市長選での維新敗北や、10月の京都朝鮮学校襲撃事件でネオナチ「在特会」敗訴などの朗報もあり、11月の山本太郎による天皇直訴事件などでもブログ記事が注目を集めました。そして11月からは、いよいよ秘密保護法反対運動が盛り上がります。残念ながら、この悪法は自民党やその別動隊(維新・みんな)による強行採決によって成立してしまいましたが、そんな無法はいつまでも続かないし、続かせてはなりません。これで自民党の正体も完全に明るみになりました。それに抗する新たな動きも次第に広がりつつあります。私自身も、来年も負けずに秘密保護法廃止の闘いに参加していくつもりです。

 次に私個人の身に起こった出来事では、何と言っても4月から5月にかけてのMとのトラブルを第一に上げなければなりません。発端は私の不注意による職場での労災事故ですが、日頃から私の職場での組合活動を「目の上のたんこぶ」扱いしていたMは、これを機に私に損害賠償を求めてくる嫌がらせに出てきました。それに対し、会社も本来なら労災保険で処理すべき所を、「第三者行為」規定の拡大解釈で労災逃れに汲々とするばかり。幸い、私が個人加盟していた地域労組の尽力で、めでたく労災で処理される事になりましたが、この事で私の会社不信は更に深まりました。

 また、9月からは職場のシステム・作業変更に伴い、始業時間が9時15分から早朝7時に、2時間以上も早くなりました。お蔭で4時半に起床しなければならなくなりましたが、その反面、残業も大幅に減り、年末以外はほぼ定時に退勤できるようになりました。所長も新しい人が赴任し、私の意見も結構通るようになりました。

 そういう事で、来年からはまた何かと忙しくなりそうな予感がします。では、皆様も良いお年を。(記事冒頭の写真は、今日の大晦日の昼食に食べたソバ定食)

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