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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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老害なんかではない、ブラック市長に対する住民自治の勝利だ

2015年05月21日 00時11分18秒 | 都構想・IRカジノ反対!



 5月17日大阪での住民投票で、橋下市長の推進する都構想(大阪市の廃止・分割)案がわずかの差で否決されたが、一部のネトウヨ(ネット右翼)が、その腹いせに、投票当日の出口調査の結果だけを一面的に見て、都構想反対派を「老害」だの「穀潰し」だのと貶める俗論を、ネットにまきちらしている。
 これらのネトウヨは、下町の周辺区で反対票が多数を占めた事や、出口調査で60~70歳代の高齢者から反対票が多く出た事を以て、「老人や生活保護受給者のエゴが橋下市長の改革の邪魔をした」と、しきりに喚き立てている。しかも、困った事に、一部の政治家や識者の中にも、そんなネトウヨの俗論を真に受けて、それに便乗する人間が出て来ているので(下記参照)、この際、この場できっちり反論しておく。

・【謎】大阪都構想の住民投票の世代別の賛成・反対投票率がどうも妙な件。
 http://life-hacking.net/tokoso-touhyou-nazo/
・小泉進次郎氏、大阪都構想での「注目点は、世代別の動き」 シルバー世代の反対多数で「高齢者の意向に左右された」と分析
 http://news.livedoor.com/article/detail/10125105/?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
・シルバーデモクラシーに敗れた大阪都構想に、それでも私は希望の灯を見たい(おときた駿)
 http://www.huffingtonpost.jp/shun-otokita/osaka-metropolis-plan_b_7302884.html?utm_hp_ref=tw
・「高齢者の1票を0.5票にしろ」とほざく「ちきりん」なる「超有名ブロガー」のつぶやき
 https://twitter.com/nozosan28/status/599935014478827520

 もとより、投票日当日に実施されるマスコミによる出口調査には、それ以前の期日前投票の動向は反映されない。それでも、期日前投票者が少数にとどまっていた一昔前なら、そんな従来の出口調査のやり方でも、予測が狂う事はほとんどなかった。しかし、今や期日前投票者が投票者全体の2割前後になろうとしているのに、いまだに昔と相も変わらぬ手法に頼っていたのでは、今後は次第に予測があてにならなくなっていくだろう。
 特に、派遣や契約社員など非正規雇用の労働者を中心に、深夜労働や土日・祝日出勤などの不規則勤務が増えるに従って、今までの様な「日曜日さえ投票日に指定すればそれで事足れり」というやり方では、投票率は今後どんどん下がる事はあっても、上がる事はもう余りないだろう。たまに投票率が上がる事はあっても、それは小泉や橋下、東国原のような、「電波芸者」上がりのタレント政治家が、人気投票まがいの選挙戦、宣伝戦を繰り広げた結果、一時的に回復させたものであるに過ぎない。なぜなら、それらの政治家は、今までの自民党政治の土俵の中で、従来と変わり映えしない安保・外交・経済政策や、復古的な歴史認識や教育政策にしか過ぎない代物を、さも目新しい改革であるかのように、上辺だけ仰々しい言葉で飾り立てているだけだからだ。

 そうなると、いくら期日前投票の制度があっても、一部のミーハーなタレント政治家ファンや熱狂的なネトウヨ以外は、ますます投票に行かなくなる。いくら無理して、休日に早起きして投票しても、当選するのは前述のタレント政治家か、ネトウヨくずれの保守系のボンボンか、ブラック企業の代弁者のようなホリエモンみたいな政治家ばかりだからだ。もう、そうなると、たとえ、身体がボロボロになるまでブラック企業にこき使われていたとしても、住宅や子どもの教育ローンや、家賃や学費の支払いや奨学金返済の為には、「背に腹は替えられない」「もう選挙や住民投票どころではない」としかならないじゃないか。
 たとえ、その中で、前述の「ちきりん」などが言うように、「まだ比較的時間に余裕のある老齢の年金世代しか投票しなくなった」と言うのが真実だったとしても、それは、若者が投票もできないほど貧富の格差を推し進め、若者から政治変革の希望を奪い、若者搾取の上にあぐらをかく「タレント政治家」や「保守系のボンボン」「ホリエモンみたいな輩」のせいであって、「老齢の年金世代」には直接の罪はないはずだ。

 そもそも、それ以前に、一口に「老人」や「若者」と言っても、その中身は千差万別だ。老人の中にも、石原慎太郎のような強欲ジジイもおれば、ほとんど無いに等しい年金しかもらえず、中にはそれすらももらえず、廃屋のような市営住宅や長屋の中で、誰にも看取られずに亡くなり、死後数か月もたってから発見される独居老人もいる。それは若者も同じで、「派遣切り」に遭い寮も追い出されて、ネットカフェ暮らしやホームレスに転落する若者もおれば、ブラック企業の経営者やオレオレ詐欺で財を成す輩もいる。今の橋下市長も、若い時はサラ金の顧問弁護士として、さんざん多重債務者を食い物にした挙句に、その中で身に着けた人心掌握術や錬金術によって、政界に打って出る事が出来たのだろう。
 だったら、「政治を変える事が出来ない」とか「変化や進歩の邪魔をしないでくれ」というような恨みつらみを、同じ弱者であるはずの「独居老人」や「生活保護受給者」に当たり散らすのではなく、もっと強い「強欲ジジイ」や、格差社会をもたらした真犯人たる「タレント政治家」や「保守系のボンボン」、「ブラック企業の代弁者」に直接ぶつけろよ。強い奴には何も言えず、弱い者虐めするしか能のない、ネトウヨや「ちきりん」「おときた駿」みたいな奴こそが、よっぽど「社会のゴミ」「穀潰し」じゃないか。



・大阪都構想を葬ったのは「シルバーデモクラシー」ではない=若い世代の人口は70歳以上の2倍以上多い(井上伸)
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20150518-00045839/
・「大阪都構想住民投票」で浮き彫りになった大阪の「南北格差問題」(古谷経衡)
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150518-00045813/
・大阪都構想は住民投票で反対、敗因は平野区にあった!(オークジャーナル)
 http://okiraku-news.net/2015/05/18/osakato-haiboku/

 先の大阪の住民投票で、都構想反対票が賛成票を上回った下町の周辺区の中でも、特に平野区で1万票以上もの差が付いた。平野区での票差が、そのまま投票全体における1万余票の僅差(きんさ)となって、住民投票の帰趨(きすう)を制する結果につながった。ネットの中にも、「なぜ平野区でこれだけの差がついたのか?」とか、果ては平野区民を「反日左翼の巣窟(そうくつ)」とまで貶(おとし)める投稿まで出る始末だ。
 しかし、これは私に言わせると、不思議でも何でもない。平野区には、元々そういう素地があったからだ。

 今の平野区には、昔は平野郷(ひらのごう)という街があった。堺と同様に、貿易や商業で栄えた中世の自由都市だった。環濠集落(かんごうしゅうらく)と言って、周囲に堀を築き、近くを流れる平野川から水を引き込んで、戦国大名の侵入に備えた街を造ったのだ。街の中にある寺も、町衆の集会所として機能した。今で言えば、さしずめ市議会に当るだろう。
 やがて時代は下り、平野郷も豊臣秀吉や徳川家康の支配に屈する事になったが、その後も平野川の水運や大和街道・高野街道の宿場町として街は栄え、明治以降は鉄道やチンチン電車も開通し、大正時代には大阪市に併合される事になる。
 第二次大戦中も空襲にみまわれずに街は発展したが、やがて時代の移り変わりでチンチン電車(南海平野線)が廃止される事になった。その中で、平野駅の駅舎保存運動がきっかけとなって、街並み全体を歴史博物館として再生する街づくりがスタートしたのだ。

 この街づくりの特色は、変に金儲けに走ったり、外国人観光客の誘致にばかり血眼になったりせずに、あくまでも地元の暮らしをそのまま生かした形で始まった所にある。平日は普通の商店として営業しているお店が、休日にはそのまま歴史博物館に早変わりするのだ。今の国内観光地が、ともすれば、大都市圏からの旅客や外国人観光客にばかり顔を向け、地元をないがしろにして、新幹線や新空港など大型公共事業にばかり依存した、他力本願の路線をとろうとしているのとは、正に対極のやり方だ。
 この街づくりは成功し、90年代から21世紀初頭にかけて、ちょっとした平野郷ブームが起こった。しかし、その後、橋下が大阪府知事や大阪市長になるに従い、このような一見地味な街づくりには予算を余り配分せず、カジノやリニアや高速道路網建設などに偏った街づくりを推進した為に、次第に平野区は寂れて行った。それに対する反発が、あのような票差になって現れたのだ。


上記写真の左から右に、「平野郷」散策路案内図、南海平野線廃線跡のプロムナード、商店街を彩(いろど)る平野郷の提灯。


上記写真の左から右に、昔の町衆の集会所でもあった大念仏寺、寺の境内に貼ってあった(今の解放同盟の前身)創立記念行事のポスター、町の公民館に貼られていた夜間中学生募集ポスター。平野は中世自由都市であると共に、大陸との交易の拠点でもあった。戦前の平野川改修工事には、数多くの朝鮮人労働者が動員された。



 そうは言っても、住民投票での賛否の票差はわずか1万票差であるのも確かだ。どっちに転ぶか、最後まで分からなかったのだから。
 若者の中にも、維新の支持者だけでなく自民党の支持者や共産党の支持者もいる。また、若者の中にも、貧困層もおれば富裕層もいる。同じように、下町の周辺区にも、都構想反対派もいれば賛成派もいる。決して、老人や周辺区は「反橋下」で、若者や都心は「親橋下」だとか、そんな単純に一色で捉えられるものではないという事も、最初から分かっている。

 そんな事よりも、むしろ、今まで政治変革を諦め、棄権に回っていた無党派層の多くが、今回は大挙して「大阪市を守れ、橋下の街壊しから自分たちの暮らしを守れ」と、投票行動に立ち上がった事にこそ注目したい。
 それは、時系列で捉えてこそ、より一層はっきりする。2011年の府知事選・大阪市長選ダブル選挙の時も、大阪市長選については今と全く同じ構図だった。それまで大阪府知事だった橋下徹が維新単独の市長公認候補として名乗りを上げたのに対し、共産党が従来の「反維新・反自民」の独自路線を改め、橋下独裁阻止の一点で、他の自民党・公明党・民主党と一緒に、当時の平松邦夫市長支持の側に回った。つまり、今と全く同じ構図だ。そこで平松は52万票しか集められなかったのに対し、橋下は75万票も集めた。しかし、この時の市長選も、投票率はたかだか43%余り。過半数の有権者は投票所に足を向けなかった。

 ところが、今回の住民投票では、投票率は66%余りと、何と23ポイント以上も上昇した。しかも、都構想賛成票は2011年の橋下票から5万票も票を減らしたのに対し、反対票は2011年の平松票よりも何と18万票も上乗せする事に成功した。その中で、昔なら自民から共産まで束になっても勝てなかった相手に、今回はたとえ僅差とは言え、見事打ち勝つ事が出来たのだ。
 その票差も、梅田や難波、京橋、十三(じゅうそう)などのターミナルや、大企業のオフィスを多数抱える北区や中央区、西区、淀川区では、反対票の増加も周辺区よりは少なく、賛成票が反対票を3千票以上も上回っている(上の表の青塗り部分参照)。特に北区や福島区では、2011年市長選当時の橋下票をも上回る勢いだ。
 それに引き替え、大正区や西淀川区、生野区、住之江区などでは、逆に反対票が賛成票を3千票以上も引き離している(同じく赤塗り部分参照)。その中でも、前述の平野区では、2011年の平松票よりも更に1万票以上も上乗せし、賛成票に1万票以上もの差をつける事が出来、結局この票差が、住民投票全体の票差となって現れる事になった。ここでは逆に、賛成票は2011年当時の橋下票から5千票以上も減らす結果となっている。
 正に「山が動いた」と言っても良い変化ではないか。だから、橋下のみならず維新の江田代表も、党首退陣表明に追い込まれたのだろう。憲法改正の為には維新の協力が不可欠だと、地元の自民党大阪府連を見捨ててでも、橋下市長の大阪都構想に対し援護射撃を行った安倍政権にも、激震が走ったのだろう。もちろん、この勝利はあくまでも第一歩にしか過ぎず、決して酔いしれてはならないが、でも、決して過小評価すべきではないと思う。
コメント (5)
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