前回記事「老害ではない、ブラック市長に対する住民自治の勝利だ」でも取り上げた平野区に、先日、記事の取材も兼て行って来た時の写真をここに紹介しておきます。紙数の関係で前回記事には載せる事ができなかった写真も多数掲載しています。
堺と同様に中世自由都市の面影を残す平野区では、90年代から、町全体を歴史博物館として保存する取り組みが行われてきました。先の大阪の住民投票で、橋下市長の掲げる都構想に、賛成票を1万以上も上回る反対票が投じられたのも、都構想で大阪市が廃止・分割され、街並み保存の予算が削られる事への懸念があったからでしょう。
上記写真の左から右へ順に、街並み散策路案内図の標識、街のシンボルとも言える大念仏寺、その境内に掲示されていた全国創立記念イベント案内のポスター。大念仏寺は融通念仏宗の総本山で、幽霊の掛け軸がある事でも有名です。毎年8月第4日曜日には、その掛け軸も公開されます。
平野には、80年代中頃までチンチン電車(南海平野線)が通じていました。地下鉄谷町線延伸と引き換えに廃止されたチンチン電車の廃線跡が、プロムナード(遊歩道)として整備されています。前述の街並み保存の運動も、このチンチン電車の駅舎保存運動から始まったものです。上記写真の左から右へ順に、チンチン電車廃線跡のプロムナード、商店街の軒先を彩る平野郷(中世自由都市)のネーム入りの提灯、古い民家で今も営業中の喫茶店。
街の中心にある全興寺境内の地獄堂では、地獄の様子を映像で再現しています。祠の中にある賽銭箱にお金を入れ、箱の下のドラを叩くと、右の閻魔大王の横にある鏡に、「賽の河原」や「釜ゆで地獄」などの様子が映し出されます。結構面白かったです。ペテン師の橋下も安倍も、地獄で閻魔大王に、その舌を引っこ抜かれたら良いのだ!境内には他に「駄菓子屋さん博物館」もあります。私が行った時は、あいにく休館日で観れませんでしたが。
江戸時代に描かれた「摂州平野大絵図」の複製図。この絵図の図柄は他に商店街の看板などにも使われています。東を流れる平野川から水を引き込んで築かれた堀が周囲を取り囲み、寺院を中心に発展した街の様子が、この複製図からもしのばれます。この複製図は全興寺で1部100円で販売していたものですが、隅に宝暦13年(1763年)作とありますので、原図の古文書は相当貴重な物ではないでしょうか。
上記写真の左から右へ順に、お店屋さんで売っていた「平野こんにゃく」、「新聞屋さん博物館」(大阪で一番古い新聞屋だったそうで、毎月第4日曜日に当時の新聞が公開される)、呉服屋さんの幟(のぼり)。平野の特産品としては、こんにゃくの他に飴や綿製品もあります。江戸時代には、平野を含む河内平野一帯は木綿の一大集散地でした。
上記写真の左から右へ順に、街のそこかしこに残る当時の道標、この町には全然似つかない維新のポスター、街のお饅頭屋さん。
今も一部に残る環濠集落の堀(合鴨が泳いでいた)、杭全(くまた)神社の大木。同神社の夏祭りのポスター。この平野近辺は難読地名が多い事でも有名です。この杭全の他にも、喜連(きれ)とか住道矢田(すんじやた)とか。