9月13日は、16時から大阪の靭(うつぼ)公園で戦争法案に反対する集会とデモに参加したのですが、それまで間があり、せっかくの休日でもあったので、大正区のエイサー祭りにも顔をのぞかせて来ました。エイサー祭りは2010年にも参加した事があり(当時のブログ記事)、その時はJRと市バスを乗り継いで行ったのですが、渡船を使えばもっと短い距離で行ける事が分かりました。今まで渡船に乗った事がなかったので、今回はそれに乗って行く事にしました。
南海電車の各駅停車で、いつもは素通りする岸里玉出(きしのさとたまで)で汐見橋線に乗り換えます。
この汐見橋線ですが、昔は高野山に向かうメーンルートでした。今でも、正式には南海高野線の一部として扱われています。汐見橋線というのは、あくまでも通称でしかないのです。
ところが実際は、もう大分以前から赤字の盲腸路線と化していました。今はもう線路も高野線とは完全に切断されています。昔のメーンルートのなごりで、今でもほぼ全区間が複線のままですが、実際は2両編成の電車が、30分に1本の機(はた)織り運行でわずかな乗客を運んでいるだけです。私が乗った時も、2両合わせても数人しか乗っていませんでした。
それでも、この超閑散路線が廃止を免れてきたのは、地下鉄なにわ筋線延伸問題との兼ね合いがあるからです。関空特急のラピートを地下鉄に乗り入れるのに、この路線が必要だからです。でも、仮にそれが実現するとしても、もっと先の話です。それまで汐見橋線が命脈を保てるかどうか、かなり微妙な状態にあります。今はもう、沿線の津守(つもり)駅のすぐそばに、以前このブログでも反貧困教育の記事で取り上げた府立西成高校があり、同校の通学生の利用があるのと、阪神なんば線への乗換客の利用も一定見られる事で、何とか廃止を免れている状態です。
その汐見橋線を前述の津守(つもり)で降りて、線路に沿って500メートルほど歩けば、落合上(おちあいかみ)の渡船乗り場に着きます。乗り場には待合室が設けられ、時刻表や乗り降りする際の注意事項などが掲げられていました。通路も黄色のセンターラインを境に乗船、下船の区別がされています。うっかり左の下船側に立っていた私は、乗船時に船の操縦者に注意されてしまいました。
大正区の周囲を流れる木津川と尻無(しりなし)川には、貨物船が航行するので、生活道路の橋がかけられないのです。川にかかっているのは、はるか高い所にかけられた自動車専用道路の橋だけです。その生活道路の橋の代わりに、大阪市建設局が渡し船を運行しているのです。船は公道の一部なので、無料で誰でも乗れます。但し、乗せる事ができるのは人と自転車だけで、単車は乗せる事ができません。
大正区周辺の前述の2つの川には現在、左から右へ反時計回りに、甚兵衛(じんべえ)、千歳、船町、木津川、千本松、落合下、落合上と、7つの渡船場があり、その他に、此花区と港区の間を流れる安治川にも天保山の渡船場があります。いずれの渡船場も、ほぼ15分に1本の割で、両岸をほぼ1分で渡しています。乗客数も、さっきの汐見橋線とは違って、いつも満員に近い数を乗せています。私が乗った落合上の渡船場(上記地図の黄色で示した所)は、木津川の最も上流にあります。渡船場を降りたら、もうすぐそこがエイサー祭り会場のグラウンドがある千島公園です。
その大正区ですが、私はつい最近まで、大正時代に埋め立てられて街ができたと思っていたのですが、そうではなく、既に江戸時代には新田開発が盛んに行われていたようです。大正区の名前の由来も、JR大正駅近くにある大正橋から取ったもので、大正時代とは何の関係もありません。明治以降になると、造船や鉄鋼、製材などの工場が次々と進出し、沖縄から多くの人が職を求めてやって来るようになりました。今でも大正区民の4人に1人は沖縄出身者です。エイサー祭りも、元々は沖縄の盆踊りとして伝えられてきたものが、大阪でも沖縄の文化や伝統を絶やさないように、40年ほど前からずっと取り組まれてきたのです。
上記は大正時代の区内の地図ですが、縦横に運河が走り、今の区役所や千島公園のある場所には貯木場の池が広がっていました。その運河や池を埋め立てて今の街が作られたのです。当時も今と同じ場所に落合上の渡船場があったので、地図上の同じ地点に赤と黄色で印をつけてあります。今の地図と見比べてみると、街が大きく変わってきた様子が分かります。
今までのJR、市バス経由の回り道ではなく、渡船経由の最短ルートでエイサー祭りに行ったのですが、汐見橋線が30分に1本のダイヤなので、会場に着いたら既に14時近くになっていました。そこでようやく昼食のありつけると思ったら、既に屋台には長蛇の列!
ようやく沖縄のソーキそばにありつく事が出来ましたが、1杯700円もするとは!以前行った時には確か1杯500円だったのに!付け合せで買った1パック300円の白身魚フライも、味はただのミンチカツみたいな感じでした。でも、そうやってわざわざ苦労してでも、ソーキそばは食べるだけの価値があります。うどんダシのような淡白なスープに、縮れ麺のような噛みごたえのある麺が、非常によく合っていて美味しかったです。
その他に、前回食いそびれたトルネードソーセージなども食べたかったのですが、16時には靭公園に行かなければならないので、もう買わずに会場を少し散策するだけにしました。
沖縄といえば、やはり米軍基地の問題を避けて通るわけには行きません。今も沖縄では普天間基地の辺野古移設問題で大きく揺れています。エイサー祭りの会場の一角でも、「沖縄の米軍基地の一部を大阪が引き取ろうとする動きについて、どう思うか?」という展示がされ、誰でも自由に意見が書き込めるようになっていました。全国の0.7%の面積しかない沖縄に、全国の75%の米軍基地が集中している現実。「日本本土の平和や繁栄は、沖縄の犠牲と引き換えに成り立ってきた」と言っても過言ではありません。沖縄の人々は、本土の基地賛成派に厳しい目を向けるだけでなく、基地反対派に対しても「口先だけの反対に終始してきただけでは?」「沖縄の苦労を本当に分かっているのか?」と、厳しい視線を投げかけてきました。
でも、それでもやはり、「沖縄にいらない物は本土にもいらない」と、声を上げるしかないと思います。でないと、大阪市内の阿波座から堺筋本町までがスッポリ入る普天間基地をたとえ大阪に持ってきたとしても、今度は大正区の沖縄の人々が墜落事故や基地犯罪の危険にさらされるだけではないですか。