アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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プレカリアートのキューバ革命

2017年12月17日 16時41分08秒 | 当ブログと私の生い立ち

『エルネスト』予告篇(60秒)

 

 チェ・ゲバラと言っても、今の人は余りピンと来ないかも知れません。

 彼は、1928年に南米アルゼンチンの裕福な家庭に生まれ、小さい頃から持病の喘息(ぜんそく)に苦しんだ経験をバネに、医師になります。また、青年時代にバイクで南米各地を放浪し、各地で貧しい人々の生活を目の当たりにする事で、革命家を志す様になります。その中で、キューバの革命家カストロと出会い、カストロ達と一緒にヨットでキューバに渡り、バチスタ独裁政権打倒の革命に参加します。革命は見事成功し、カストロ革命政権の工業相に就任します。しかし、ソ連傾斜を強めるカストロとは次第に距離を置き、再び革命の旅に出ます。仲間と共にボリビアに渡り、そこで独裁政権打倒のゲリラ戦を展開するも、政府軍につかまり処刑され、1967年に39歳の若さで生涯を終えます。

 彼は誰に対しても気さくでした。だからこそ、今でも世界の人々から、「チェ!」(よお!)と愛称で呼ばれるのです。彼の自由奔放で、しがらみにとらわれない生き方は、左右の垣根をも越えて、世の中の変革を志す全世界の人の拠り所となりました。その広がり具合は、例えばこの日本においても、元自民党代議士の亀井静香ですら、ゲバラに心酔し、議員事務所にゲバラのポスターを堂々と張り出しているほどです。また、ゲバラは無類のタバコ好きとしても有名です。スタイルもイケメンなので、今もゲバラの肖像画が、キューバ煙草の宣伝CMに使われたりしています。

 そのゲバラと共に戦った日系人フレディ前村の実話をもとに作られたのが、上記の「エルネスト―もう一人のゲバラ」という映画です。今年はゲバラ没後50年に当たります。米国のオバマ前政権がキューバと国交を回復し、日本も安倍がキューバを訪問した事で、この映画がにわかに脚光を浴びる事になりました。今から半世紀前に、ゲバラが革命政権の閣僚として訪日し、お忍びで広島を訪問する所から映画は始まります。原爆資料館の展示を目にしたゲバラは、新聞記者のインタビューに「何故こんな目に遭わされても日本は米国に怒らないのか?」と質問します。彼はそこでは、原爆の悲惨さよりも、むしろ原爆を落とされたにもかかわらず米国の属国に甘んじる戦後日本の卑屈さを感じ取ったのでしょう。

 俳優オダギリジョーが扮する日系ボリビア人のフレディ前村も、そんなゲバラに心酔した青年でした。キューバの国立ハバナ大学に医学留学し、予備課程の専門学校に視察に来たゲバラに出会います。「なぜそんなに自信に満ちて堂々としていられるのか?」と聞いたフレディに対し、ゲバラはこう答えます。「自信があるのではなく、この世の不正義に怒っているだけだ。怒りは憎しみとは違う。憎しみだけでは戦いには勝てない」と。この一事だけでも、「自分の国さえ良ければそれで良い」という米国大統領トランプや、その顔色ばかりうかがい国民を全然顧みない安倍晋三、憎しみだけでテロに走るイスラム過激派のテロリストとは、全然器の大きさが違う事が分かります。

 よく言えば豪放磊落(ごうほうらいらく)。悪く言えば直情径行。ボリビアで反革命クーデターが起こったと聞けば、損得勘定抜きに、内政干渉と言われかねないリスクも承知で、政府の要職を投げ打って一ゲリラ兵士に身を落とし、外国で革命に身を捧げたゲバラ。そのゲバラに心酔し、ゲバラから自分と同じ「エルネスト」という姓をコードネームとして与えられ、再び母国に帰ってゲバラと運命を共にしたフレディ。そこには、家族の私生活や社内での出世競争といった「みみっちい話」なぞ、入り込む余地はありません。ゲバラ自身、二度の離婚を経験しています。実際の離婚は一度切りですが、二度目も家庭を顧みず外国の革命運動に入れあげたのですから、二回離婚したのも同然です。

 では、「ゲバラやフレディの行為はただの犬死にだったのか?」と言えば、決してそうではありません。革命キューバも、革命前は日本以上にアメリカの属国でした。キューバは米国の支援を得て20世紀初めに独立を勝ち取りますが、米国はその見返りに、米軍の駐留権や最恵国待遇(一種の治外法権)をキューバに認めさせます。キューバは、半ば米国の経済植民地の様な状態に置かれます。何の事は無い。今の日本とまるで同じです。

 ところが、キューバは日本とは違い、革命で米国やその息のかかった独裁政権を倒す事に成功します。そして、米国フロリダ半島の鼻っ先で、社会主義の国造りを始めます。その国造りも、決して順調に進んだ訳ではありません。米国からは経済制裁や破壊工作を仕掛けられ、中南米諸国の中でも一時は孤立させられます。米国に代わってキューバに進出したソ連も、キューバを属国扱いする点では、米国とそう変わりませんでした。そして、キューバには革命後の今もグアンタナモ米軍基地が居座っています。米国が独立支援の見返りに締結した条約の改定に同意しないからです。これも今の沖縄と同じです。

 しかし、やがて時代は変わります。一時はソ連崩壊でキューバの社会主義も風前の灯かと思われましたが、追い詰められたのは逆に米国の方でした。米国言いなりの政治が南米大陸全体に広まり、格差が拡大する中で、貧困層の戦いが大陸全体に広まって行きます。ゲバラが処刑されたボリビアでも、水道民営化により二倍以上に水道料金が値上げされる中で、飲み水を求める住民の闘いが広がります。これが有名な「水戦争」です。やがてボリビアでも独裁政権が倒れ、先住民出身の大統領が誕生します。ゲバラが処刑された村は、今や革命の聖地として、世界中から観光客が押し寄せるようになりました。

 それに引き換え、今の日本はどうか?西欧諸国ですらトランプの言いなりにはならない中で、一人日本の安倍だけがトランプにペコペコ。その卑屈さを批判されたら、「猛獣使い」という言い方で誤魔化す有様です。そんなに「猛獣使い」が上手いなら、北朝鮮の「猛獣」も、もう少し上手く使いこなせるはずでしょうに。そして、国民には、森友・加計疑惑の資料隠しで「臭い物に蓋」、株価対策や法人税減税で大企業にばかり顔を向け、年金も生活保護も切り捨てる一方。マスコミも安倍政権に迎合して、北朝鮮遭難漁民による家電窃盗事件はこれでもかと報じるくせに、沖縄の米軍オスプレイ部品落下事故はほとんど報じようとはしません。

 私の家の毒親親父も、そんな奴隷の日本社会が生み出した産物です。上にはペコペコ、下には偉そう。やれ、非正規だの独身だのと、体面ばかり気にして、人の本当の気持ちを全然推し量ろうとはしない(出来ない)。昔、私が教師を辞めて生協に就職した後も、父はまだ未練たらしく教職にこだわり、私に再び教員採用試験を受けさせようとしました。私は新しい仕事と職場に慣れるのに精一杯で、もう前職の事なぞキレイさっぱり忘れていると言うのに。それも、私に直接言わず、母をダシに転職を諦めさせようとしたのです。母が余りにも教員採用試験を受験するよう頼むので、仕方なく受験だけはして、わざと間違いだらけの答案出してやりました。そこで、ようやく父も諦めたようでした。よっぽど生協(親父にとっては共産党、アカ)への転職を阻止したかったのでしょう。本当に人の親なら、息子の選んだ人生を尊重し、それに見合ったアドバイスをするのが普通なのに。そういう経過を経て、今ようやく、親父の元を離れて経済的独立を勝ち取る事が出来ました。この親父との決別が、いわば私にとってのキューバ革命でした。

 ところで、今年の漢字が「北」に決まった理由も、決して日本人が北朝鮮の人権問題に目覚めたからではありません。むしろ、その逆で、自分たちは高みの見物を決め込んで、恐る恐る北朝鮮の「猛獣」を眺めている気分なんでしょう。ゲバラの様に、北朝鮮解放にはせ参じる訳でもなく。実際は、自分達日本人の方こそ、安倍という猛獣に支配されているのに。

 しかし、北朝鮮はそんなに恐ろしい存在なのか。北朝鮮遭難漁民の家電窃盗事件にしても、これは裏返せば、それだけ日本の家電を欲しがっているという事です。北朝鮮の経済さえ上向けば、立派なお客になるじゃないですか。別に家電窃盗を許す気はありませんが。私がもしブラック企業の経営者なら、衣食住は十分確保してやった上で、安い賃金でドン・キホーテでこき使います。「腹が減っては戦(いくさ)も出来ない」と言いますから。そして、「衣食住だけでなく自由も欲しい」という人には、フランチャイズ契約で店舗の経営権も譲渡します。但し、「後は自己責任で」と言う条件で。

 これは勿論、皮肉で言っています。確かに、この様に、北朝鮮も一筋縄ではいかない相手ではありますが、それでも、外国排斥に凝り固まったイスラム過激派のテロリストと比べたら、よっぽどまだ北朝鮮の方が組みしやすいと思います。安倍も、やれ「猛獣使い」だ何だと自画自賛するなら、それぐらいの度量で、拉致問題にも、パフォーマンスばかりでなく、もう少し真剣に取り組んだらどうかと言いたいです。

 以下、チェ・ゲバラ名言集より幾つか抜粋。

・国民の英雄たるもの、国民から遠くはなれていてはいけない。高い台座に上って、国民の生活と無縁なところにおさまるべきでない。

・指導者とは、人が自分と同じところまで追いつけるように誘導するものだ。ただ言葉で強いるのでなく、後ろにいる人たちを力づけて、自分のレベルまで引き上げようとするのだ。

・私はキリストではないし、慈善事業家でもない。キリストとは正反対だ。正しいと信じるもののために、手に入る武器はなんでも使って戦う。自分自身が十字架などにはりつけになるよりも、敵を打ち負かそうと思うのだ。

・世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。

・ただ一人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。隣人のために尽くす誇りは、高い所得を得るよりもはるかに大切だ。蓄財できるすべての黄金よりも、はるかに決定的でいつまでも続くのは、人民たちの感謝の念なのである。

・未来のために今を耐えるのではなく、未来のために今を楽しく生きるのだ。

・明日死ぬとしたら、生き方が変わるのか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なのか。

・もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、出来もしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。「その通りだ」と。

(参考資料)キューバ略史 (映画「エルネスト」公式サイトより引用)

1952年 3月 元大統領フルヘンシオ・バティスタ将軍がクーデターで政権掌握

1953年 7月26日 フィデル・カストロらがバティスタ政権打倒の狼煙を上げるため陸軍モンカーダ兵営を襲撃

1955年 5月15日 フィデルら恩赦。フィデルは7月メキシコに亡命

1956年 12月2日 フィデルらゲリラ82人がグランマ号でオリエンテ州上陸、革命戦争開始

1958年 5月 政府軍が大攻勢。だが8月、叛乱軍が撃退

1959年 1月1日 バティスタ大統領が国外へ亡命、キューバ革命成就

    2月17日 フィデルが首相に就任

1960年 2月4日 ミコヤン・ソ連副首相来訪、キューバ・ソ連通商条約調印

1961年 1月3日 アイゼンハワー米大統領が対キューバ断交を発表

4月16日 フィデルが「社会主義革命」を宣言

4月17日 反革命傭兵軍侵攻(~19日)(ヒロン浜侵攻事件)

4月25日 ケネディ米政権が対キューバ全面経済封鎖に踏み切る

1962年 10月14~28日 キューバ核ミサイル危機

1963年 フィデルがソ連を長期訪問

1965年 10月 キューバ共産党結成。その式典でフィデルがゲバラの「別れの手紙」を公表

1967年 10月9日 ゲバラがボリビアで処刑される

1972年 7月 ソ連圏の経済相互援助会議(コメコン)加盟

1975年 第1回共産党大会、アンゴラ派兵本格化

1976年 社会主義憲法(現行憲法)制定

1977年 米国と利益代表部を相互に開設

1983年 米軍がグレナダを侵攻

1989年 11月 ベルリンの壁崩壊、コメコン体制消滅。12月東西連戦終結

1991年 ソ連消滅、資本主義ロシアが発足

1993年 キューバが米ドルなど外貨を合法化

1994年 米国とキューバが難民問題で合意

1996年 米ヘルムズ・バートン法成立、経済封鎖を制度化する

1998年 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がキューバ訪問

2002年 カーター米元大統領がキューバ訪問。

2006年 7月 フィデルが重病で緊急手術、静養生活に入る

2008年 2月 フィデルが国家評議会議長を引退。後継議長に実弟ラウール・カストロが就任

2009年 4月13日 オバマ米大統領が経済封鎖を緩和

2014年 4月 第6回共産党大会が市場原理導入を決議

12月18日 キューバと米国が国交正常化で合意

2015年 7月20日 両国が国交を再開

2016年 3月21日 オバマ大統領が米大統領として88年ぶりにキューバを訪問

9月23日 安倍首相がキューバを訪問、カストロ兄弟と会談

11月25日 フィデル・カストロ前議長が死去、90歳

2017年 1月20日 トランプ米政権発足

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